第二十二話 第八章「作戦決行」其の六
蟋蟀と別行動することを選んだのはただ彼の安全を考えてのことだった。
自分のような捕まりやすい人間が一緒にいるより逃げやすいと思ったのだった。
走り出した方向はまるででたらめだった。
蟋蟀がひとりで逃げると決めてくれればどこでも良かったのだが、その蟋蟀はまだ
「泰雅!」
とそこに立ったまま泰雅の名を呼んでいる。
塀の向こうで警備隊とまだ戦っているか、斬られているかもしれない首領の命令を気にしているのだろうか。
蟋蟀はしばしその場でためらっていたが、やがて意を決したように泰雅とは反対の方向に走り出し始めた。
泰雅も闇の中で立ち止まり、蟋蟀を見ていたがそれを見て息をひとつ吐き、また蟋蟀と逆方向に走り始めた。
「あれが奴らの逃げ道だ!あの縄梯子を切れ!」
純史郎は息子を抱いたまま刀を構え、叫んだ。
息子の純太郎は、
「ははうえー!」
と奈央姫、いやいまは邪鬼姫を見ながら泣き叫んでいる。
邪鬼姫は不敵な笑みを浮かべながら、
「ほら、奴らを袋のネズミにしてやりな!」
と叫んでいる。
奈央姫の警備隊は縄梯子を切った。
襲撃団の首領は彼の右腕である男と背中を合わせ、長刀を構えた警備団に囲まれていた。
初老ともいえる首領も四角い鍔の忍者刀を構えながら同じ構えでいる背後の若い部下にしゃがれた声で言った。
「飛ぶぞ。いいか?」
「わかりました」
部下が応える。
首領は刀を構えたまま、右手を自らの懐に突っ込み、紙に包まれた玉をひとつ掴んだ。
それをすぐ近くの地面に投げつける。
煙が上がり、首領と部下のふたりの姿が一瞬見えなくなった。
「行くぞ。飛べ!」
首領が鋭く叫んだ。
首領と部下は塀に向かって飛んだ。
部下は信じられないほど高く飛び上がり、塀の上にひらりと着地した。
首領は忍者刀を素早く塀の近くの地面に突き刺し、その四角い鍔を塀に立てかけられるようにした。
そのままひらりと飛んで自らの忍者刀に向かって飛び、鍔に足をかけて塀の上に飛び上がった。
今度は待っていた首領の部下が懐から紙玉をつかみ投げ付けた。
また煙が上がり、かれらふたりの姿が一瞬見えなくなる。
そして煙が晴れたとき、そこにふたりの姿はなかった。
庭に降りて襲撃団と闘っていた警備団の副隊長の男がまだ部屋にいる純史郎のほうを振り向く。
「奴らを追います!」
「ちょっと待った!」
吠えたのは同じく部屋に立っている邪鬼姫だった。
「奈央を守るのはどうすんだよ!」
「逃げた奴はいい!」
純史郎も叫んだ。
「また襲撃が来るかもしれん。ここにいる者は残って奈央姫と純太郎を守ってくれ!」
「了解!」
副隊長以下、警備団は刀を収めてまたどやどやと部屋に戻って来た。
それを見て邪鬼姫は思い通りだったのか、にやりと笑った。
純史郎は自らの腕の中にいる息子の純太郎を見た。
「純太郎…」
思わず声が出る。
そして息子の異変に気付いた。
「純太郎…」
邪鬼姫も彼の名を呼び、近付いた。
いや、もうその女は邪鬼姫では無かった。
奈央姫であった。
彼女はもう一度息子の名を愛しげに呼んだ。
「純太郎…」
その手を伸ばす。
いつもなら純太郎は母親である奈央の胸に飛び込んで来て抱き付き、甘えただろう。
だから純太郎がその身をねじるようにして母の伸ばした手を避けたのに気付いて、奈央姫は驚愕した。
「純太郎⁉」
思わず息子の名を呼ぶ。
その息子は父である純史郎の腕を離れ、奈央姫をにらんでいた。
「ははうえは…」
純太郎は言った。
「ははうえは・・おにになった!」
奈央姫は両眼を見張った。
「ちがうの!」
奈央姫は息子に叫んだ。
「あれは邪鬼姫なの!母さんとはまたちがうの!」
しかし純太郎はきかなかった。
「母上は鬼になった!」
もう一度叫ぶと純太郎は踵を返し、部屋の外へ駆けて出て行ってしまった。
「純太郎!」
「純太郎!」
奈央姫と純史郎は同時にまだ幼い息子の名を呼んだ。
「どうしよう?純太郎にすべて説明しようか?」
純史郎が言う。
「だめよ!」
奈央が言う。
「それにいま話したところで、幼い純太郎に理解できるとは思えないわ」
純史郎は警備隊員に純太郎の捜索手伝いと護衛を頼まなければいけなかった。




