追憶。いま。
いつからだろう。美稲と、不必要なまでに距離を置くようになったのは。なぜだっただろう。理由は明白で、それは、後ろめたさからだったはずだ。僕は彼女を救えなかった。どころか、美稲を救ったのは、僕の最大の天敵だった、すぅちゃん。その頃すでに僕の才は、その分野ではすぅちゃんをも凌いでいて、しかし、それでも、美稲を救えたのはすぅちゃんで、世界中どこを探したって、本当の意味で、すぅちゃんだけだったのだ。だから、それは贖罪に見せかけた、ただの逃避。
美稲と距離を置く事で、自分の劣性から目を逸らそうとしていた、弱さ。いつ追いつけるのか、いつ追い抜けるのか。ありもしない幻想を追いかけて、日に日に存在価値を見失っていって、見つけて掴んだ頃には、僕の思想は崩壊だった。美稲に対する恋心は、とうの昔に、消え失せている。変わらないのは美稲だけで、美稲は、変わってはいけないのだ。彼女の場合、変わってしまうことは死を受け入れることに相違ない。それは、嫌だ。エゴもエゴ、僕の都合で全ての尺度を決めつけているけれど、それだけは嫌だった。
君の思いに応えることはできないけど、君の事は好きで死んでほしくないから死なないで。
言葉にはしていないそんな思いは、きっと美稲に伝わっている。伝わっていて、理解していて、叶わないと知って、でも、美稲は僕の願いに応えているのだ。痛い。僕の為に生きる美稲を見るのがつらいし、解放してやれない僕が痛い。でも、仕方がないのだ。僕には、どうしようもないのだから。
こんな世界は、崩壊するのだから。
追憶。過去は追った。後は、捨てるだけ。
*
「どうしたのよ、改まって」
訝しげに、明音さんが言う。それもそうだろう、僕の表情にはきっと、なんの余裕も無いのだから。
「話があるんだ、明音さん」
「嫌よ」
即答。聞きたくない、と、彼女は吐き捨てた。言ったら殺すと繋げる。「困るなぁ」なんて呟きつつも、僕は言を止めることなど考えてもいなかった。明音さんの表情が強張る。嫌よ、と呟いて、面を伏せてしまった。僕はその表情に、とどめをさすんだ。
「研究部を、終えるよ」
一晩、追憶して、そして決めた事だった。
勘違いをしていた。世界は僕の才を認めるために存在していて、僕は世界を、崩壊させるために崩壊させるのだと。それは決まりごとなのだと、そう思っていた。分かり切っていたのだ、それは思い込みで、逃避で、目を向けてしまえば、その事実から逃げることは二度と叶わない。目を向けてしまったから、逃げられない。もう、逃げる気力も無い。
「ごめんね、明音さん。僕なんかの為に二年も付き合わせてさ」
「っ」
僕の知る明音さんには信じられないくらいあっさり、彼女の瞳から、涙の筋が落ちた。思わず眉をしかめる。分かっていても、痛いものは痛いみたいだ。明音さんのことだって、僕は等しく好きだった。泣かせるのは、本意じゃないけど。
伝えきらなきゃいけない。彼女にも、緑にも、蒼ちゃんにも、美稲にも、すぅちゃんにも。ああ、すぅちゃんばかりは、気付いてるかなぁ、なんて。
ごめんね、明音さん。
「僕は、逃げていたんだ」
「知ってるわ」
無理してるのが分かるほどに湿った声音で、明音さんは言った。うん、明音さんなら、気付くと思っていた。だから、ごめん。他のメンバーより、君が一番つらいだろうから。
「美稲が、」
「やめてっ!」
泣き叫ぶ明音さん。余裕は見えない。でも。
「美稲が、僕の『理由』だったみたいなんだ」
美稲に対する贖罪が、想いが。重過ぎるそれを分散するために、僕は退路を作った。研究部と言う、重さを肩代わりさせるための場所を、作った。
身勝手にも程があるけど、僕は明音さんも、緑も、蒼ちゃんだって、皆好きだった。そこまで深く関わり合いになるつもりは無かったのに、惹かれてしまった。だから、より深く逃げてしまっていた。気付けなくなるほどに。過去を見返すことに、恐怖を覚えるほどに。
明音さんの顔は見えなかったけど、泣いてない事は無いだろうなと思った。泣いているのだろう。僕の今の表情を見たら、きっと余計に明音さんは泣き崩れるのだろう。こんなにも無感情な、僕の表情を見たら。
「ごめん、明音さん」
最後に、僕のエゴを押し付ける形になって。とどめの一言を、置いていくことにもなるけど。でも、安心して。僕だけ救われようなんて、全く思わないから。
「好きだったよ、明音さん」
「けんせぃ……」
それ以上は言わないでと。そこから先は口にするなと、明音さんの声が訴えていた。明確な音で。
その先は。
「でも、アイツの方が、大事だったんだ」
ヨシナノホウガ。
実験室を出る。赤坂姉妹にも、伝えなくてはならないな。でも、彼女たちに伝えるのは、もう少し後にしよう。研究部は、もう終わる。明音さんは、きっと明日には元の態度を取り戻している。でも、赤坂姉妹は、きっとそこまで強くないから。最後まで、せめて、後伸ばしにさせておいて欲しいと。それも全部、僕のエゴ。
美稲の為に、研究部を作った。美稲と一緒に居られるために、研究部を作った。黙ってこれまで通りにその隣に居られなかったから、妥協点を作った。同じ部活ないなら、多数の内の一であれば、と。そのために傷つけた彼女らを、而して僕は、あっさりと切り捨てようとしている。狂っているなぁ、なんて。
ああ。
僕って、最低だなぁ。
なんて。
終結が見えてまいりました。顕正は実はこの作品中で最も弱かったのですね。
一方的に切り捨てて、いきつく先は何処か。
こんな展開なのにまだコメディー要素が入ります。切り捨てられた明音さんの強さに縋って、顕正はまだまだ『弱い』を継続するのです。歪に見えるかも知れませんが、なんとか笑える応酬を作っていこうと思っているので、「なんだよシリアスかよ」だなんて捨てないでください(笑)
もうじき、終わると思います。
それでは、感想評価等いただければさいわいです。