写し世。ねずみ返し。
怖い話。華は夏の暑い夜と相場が決まっているが、僕としてはそれを推して今すぐにでも中止にしたい次第なのだが、しかし、一度取り決めた事柄を明音さんはけして撤回しない。それは残念至極な事実であり、また、不変の決定事項でしかなかった。
故、即席怖い話大会、開始である。なぜこうなったのか、なんて無粋な問いは最早すまい。この研究部に節度や脈絡を求めるなど、今更愚にもつかない事なのだから。
それでも一応これは義務である。問おう、なぜこうなった。
というわけで、ことの発端は例によって明音さんの一言である。
秋も中盤に差し掛かっていると言うのにまるで夏であるかのように蒸し暑い日、こんな日に限って設置してあるクーラーが故障して室内は蒸し風呂状態、以下にしてこの暑さをしのぎ切るかと、協議を始めた直後の明音さんの歪な笑顔を、僕は見逃さなかった。見逃さなかったのだから止めればよいのだが、それで止められるのなら苦労は無い。止めるべくして口を開きかけた僕を一睨みで黙らせ、戦々恐々と彼女の言葉を待つ僕以下研究部一同(美稲は除く)に嫌な笑みを向けると、明音さんはたっぷり溜めに溜めて、その単語を発したのだった。
「ちきちき、第一回研究部怖い話大会よ」
まさかのちきちきだった。それは突っ込まないにしても、協議開始直後だというのに断定の口調だった。有無を言わせる気は欠片もなさそうだった。厄介これに極まれりだった。簡単過ぎることこの上ない過程だったが、つまり、こういうことである。
「それで、誰から喋るのさ」
少し憮然として問いかけるのは、別に不機嫌だからではないと弁明しておこう。恐い話。つまりそれは聞き手に対し恐怖を与えなければならないものであり、普段温厚で情に脆い僕としては、気を許した仲間たちを怯えさせるのに抵抗があるのである。とても嘘である。
「ええ、私は勿論トリとして、そうね、最初は赤坂姉にでも喋ってもらおうかしら」
「無理です死んじゃいますっ!」
即答したのは指名された緑だ。顔面蒼白、どう言いつくろっても怖がってますと言わんばかりの表情で、既に目にうっすらと涙さえ浮かべて必死に首を振っている。恐がりなんだっけなぁ。さっき呼んできた美稲は寝ていた所為かボケっとした目をしていて、まあ、そうでなくても美稲が怪談を怖がるような人間で無いのを僕はしっているわけだが。
蒼ちゃんに視線を移してみる。
「……」
顔を完全に隠すようにうつむいて、手が宙をさまよっていた。耳をふさぐ準備は万端らしい。赤坂姉妹は怖がりばかりか。紅花ちゃんも多分そうとして、紫ちゃんは絶対無いな、うん。
「問答無用に決まってるじゃない。今すぐ話始めないなら百物語に変更するわ」
「わかりましたっ止めてほんとにぃ……」
ほとんど泣き声で叫ぶと、緑は完全に意気消沈した風にがっくりと肩を落とし、座っていた椅子から滑り落ちて地面に正座する形になった。諦めたみたいだ。賢明な判断と言わざるを得ないだろうね。
「……じゃあ、いきます……」
緑自身が幽霊みたいな声で、最初の語りは始まった。
いざ、怪談である。
*
その子はとてもとても可愛らしい子で、彼女もまた、自分が可愛い事を知っている、それをきちんと理解したうえで可愛らしく振舞っている、そんな少女でした。
学校で定められた制服も、彼女が着ると他の女の子とはまるで違った、一つのファッションのようにも見えます。紺色のブレザーを着て、女の子はその日の朝も、中学へと家を出ました。いつも通りの道筋を歩き、学校の校門に差し掛かった辺りで、彼女は誰か、見知らぬ女の人に声を掛けられます。女性はキチッとしたスーツを着込んだ、とても美人さんでした。女性は言います。
「貴女はとても可愛らしいわね。周りの子たちからは随分疎まれているでしょう」
確かに、女の子はクラスメイトの女子に、よくよく嫉妬の眼で見られる事がありました。何しろ可愛すぎるため、男の子は皆自分に言い寄って来るのです。女子からしてみれば、面白くないのは明白でした。そんなことも、言われるまでも無く彼女は知っていたので、女の子は余裕を持って鷹揚に頷きました。
「私はとても可愛らしいので、仕方ないのです」
そういうと、女性はうんと首肯して、にっこりと笑みを浮かべます。それから、急に悲しそうな顔を作ると、忠告するように言いました。
「狼に注意しなさいね」
女の子はこの国で狼が絶滅していることを知っていたので、それが比喩だと分かりました。この場合、きっと狼というのは男の子のことだろうと推測できます。歌にもありました、男は狼なのよと。世の中には嫌がる女性を無理やり襲う不届きな輩がいることも知っていたので、女の子は素直にその忠告を受け入れました。何しろ、自分は可愛すぎるのですから、そんな心配もする必要があったのです。
その日の授業を終えて、部活動に参加した女の子は帰り道、男に襲われて死にました。おしまい。
*
「ちょっと待て緑」
ぼそぼそと、それこそ自分が死んだみたいに呟き声で語り終えて、緑はよろよろと椅子に座りなおした。はぁ、と大きなため息をついて、僕の言葉には気が回らないらしい。しかし待て、今の話のどこが怪談なんだ。
「だからね、女の子がいくら注意してもね、やられちゃうときは、やられちゃうんだよ」
……それは怪談じゃない! し、世知辛いわ!
僕の無言の突っ込みは勿論伝わらず、緑はそれきり黙りこんでしまった。自分で語るだけでもこの憔悴具合である。きっと明音さんの話が終わるころには魂が抜けていることだろう。蒼ちゃんは……。
不動明王と化していた。別に顔が怖いわけではなく、単純に、動かないのだ。指先で額をつっついてみると、その身体は容易に向こう側に傾いだ。慌てて支える。
……気絶してる……。今の話でか?
「あら、情けないわね赤坂姉妹」
「うん、流石の僕もこれは情けないと思う」
「うう……なんで皆平気なの?」
「だから怖くねぇんだよその話」
結局、気絶した蒼ちゃんは飛ばして僕の番となった。語り古されたと言って過言ではないであろう口裂け女の話を終えるころ、緑が耳を塞いでうずくまり、目に見えて震えていたので流石の明音さんもいたたまれなくなったのか、怪談は中止となった次第である。研究部、だよなぁ……。今日も世界は平和に壊れていた。
美稲は、いつの間にか眠っていた。
勿論のこと、この話に深い意味なんてあるはずが御座いませんでした。明音さんの怪談はまたの機会に。あるかなぁ。
それでは、感想評価等戴ければ幸いです。