ナイフ。地下、交差。
定められたかのように赤は広がって、その様すら、どこか模範的に見えるのは、はたして僕の錯覚ではないだろう。
彼女はいつだって模範で、いつだって上位だった。
入れ替えたのは僕だった。越えてしまったのは僕だった。彼女を崩したのは僕だった。崩れた彼女は、模範でいられなくなった彼女は、失墜する。
果てには。
僕は絶句する。絶句。言葉を継げない。いや、ならば今の僕は絶句どころの問題じゃないだろう。
絶息。こと切れたわけではない。それは僕の末路にしては早過ぎるから。ただ、そのままの意味で、絶息。息がつげない。ひゅ、と、喉の奥が鳴った。規則正しく広がる赤。まだ止まらない。僕の足元をも、それは通過していった。
血。
そして僕の眼の前で。得物を持った男の足元で。
至極正しく、これ以上ないくらいに美しく。それこそ、見本通りに。
天香具山 翡翠は、死んでいた。
すぅちゃんが、死んでいた。
………………………………………………・・・・・・。
――――――――は?
*
バカみたいで、その上嘘みたいな話だが、山神 竜太は殺し屋だった。悠然とその姿を現している彼が言うには、どうやら、天香具山本家に雇われての仕事だったらしい。
天香具山 翡翠の殺害。それが彼の仕事だった。
そして、すぅちゃんは腹を無骨なナイフに裂かれ、血池を形成して動かない。
仕事は終えた。十メートル以上離れた場所で、山神が携帯電話に向かって一言呟く。ナイフを濡らす赤を、使い捨てのタオルで丹念に拭き取っている。ふと、同じ人類とは思えない程に鋭い相貌が、僕の目線に重なった。無言で、にらみ合う。
すぅちゃんは、規格外の人間だった。五感は異常なまでに優れている。それは第六感も同じことで、彼女は気配などでこの事態を予測していたはずなのだ。予測していたのに、逃げなかったのか。それとも、予測していたけど、逃げられなかったのか。
どちらでもいい。彼女は、触覚だって優れているのだ。それはつまり、快感の増強とともに当然の如く痛覚の増強もつかさどる。
痛かったろう、すぅちゃん。
視界が。僕の視界が。急に鮮明さを増したかのように思えた。ふっと、身体から全ての重さが失われたかのような感覚に陥る。山神の顔が、見える。無表情に、その眼光で、僕を射抜いている。僕はひるまない。恐くない。あるのは、猛然。決まっているだろう? そんなの。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!」
怒号。
止。
黙して、周囲を見渡す。広がった視界は、現在地の廃墟たるビルの地下を燦然と映し出した。早朝から留守だったすぅちゃんの部屋の机に無造作に置かれていた開封済みの封筒。そして記されていたこの場所。なぜすぅちゃんは言われるがままにここに来たのだろう。持った疑問は、決して晴れない。
どうでもいい。
右ポケットから、小ぶりのナイフを取り出す。「キーエア・ガン」君もあるにはあるが、この相手には通用しないだろう。なら、対応は自然と限られる。
同時に、僕と山神は口を開いた。
「「かっ裂いてやる」」
自他の距離は、瞬く間もなく詰められた。下げた頭の上を、数ミリの髪を引きつれてサバイバルナイフが通る。一閃、空振った山神の懐に一歩踏み込んでから、相手のそれより二回り以上も小さいナイフを振る。驚異的な反応速度で紙一重にかわされ、追撃を警戒して僕は三歩、リズミカルに後方に飛んだ。ダンッ、と、地下に響く踏み込み音とともに、肉薄してくる山神。心臓を狙っての一突きを勢いを削ぐようにいなし、左腕の殴打は身を屈めてやり過ごす。
好機。
両腕を交差した状態でがら空きの腹部に、僕は体重を乗せた肘を叩きこむ。くぐもったうめき声が聞こえて、そのまま相手は四メートル近く吹っ飛んだ。自ら飛んだのだろう、膝をつくことなく着地し、山神はにぃと口元を歪める。楽しげに楽しげに、笑う。顔の造形が整っている男の邪悪な笑みは、全体、つくづく大嫌いだ。余裕ぶりやがって。
「上々だなぁ上々だなぁ。ここまでやるとは上々だなぁ。殺しの世界にもそうはいねぇぜ、俺に一撃入れるやつってのはぁよ」
「身に余る光栄だから返却するよ」
いつまでも口の減らないやつだ。芝居がかった口調も、どうにもならないのかなそれは。
「お前にゃあ言われたかねぇわな、それ。まぁ、腹割って話せねぇんなら、」
山神は愉快そうに笑う。愉快なんだろう。
僕も、相当愉快だよ、馬鹿野郎。
「腹裂いて話そうぜ、変人」
「同意だよ、変態。但し裂けるのは、」
「「てめぇの腹だっ!」」
互いに疾駆。得物を持った右腕が交差する。
勢いそのままに、互いに頭突きをかまし合って。
「いてぇじゃねぇの、親友」
「痛いじゃないか、親友」
僕らは怪しく笑いあった。
「あらくんもたつたも、どうして普通に再会できないのかなぁ」
さっきまで血みどろだった死体が何事か呟くけど、聞こえない聞こえない。
「しっかし、腕上げたじゃねぇか、萩の字」
「そっちも、つくづく殺し屋だな、山神」
山神 竜太。超絶スペックの、三人目の天才。すぅちゃん暴行事件の時に出会った、腐れ縁だ。にししと笑うその表情は、様になり過ぎて腹が立つ。
「これで伏線も回収、と」
「んぁ? 何の話だ萩の字」
「いや、こっちの話だよ。僕が勝手に騙ってるだけだ」
「相変わらねぇなぁ」
「そっちもだ」
「帰ろうよ、二人とも」
っと、すぅちゃんを忘れていた。半眼で僕らを睨む彼女にまぁまぁと手を振って、僕らは立ち上がった。にしても、頭痛い。
「頭突きかましたんだからあたり前だよあらくん」
「それもそうだね」
呆れ気味に答えるすぅちゃんに、苦笑を返す。仕方ないじゃないか、僕らはいつまでもクソガキなんだから。
山神は、僕の唯一の、親友と呼べる存在だ。殺しの業界で名を馳せる悪い意味過ぎる有名人だけど、彼は決して善人を殺そうとはしないし、受ける依頼も彼の意にそぐわなければ断っている。彼の主観で悪と定められなければ、彼の標的にはなりようが無いのだ。僕も一度狙われた身、その辺はようく理解している。
『悪しきは劣悪に滅ぼされりゃあいいんだよ』
口角を釣り上げて邪悪な笑みを浮かべながら、例の芝居がかった口調で彼はそう言っていた。きっと今も使ってるのだろう。あんまり格好良くないって忠告してあげたんだけどなぁ。そこから、すぅちゃんを救いに行っての敵陣中にも関わらず死闘を繰り広げたのは、今だからこそ笑える笑い話だ。当時は本気の殺意をぶつけ合っていたから。だってコイツ、敵にいるとこの上なくムカつくんだよ。
「それもおめぇには言われたくねぇわな」
血糊を片したらしい山神は不本意そうに言った。また精巧なオプションを持ってきてるなぁ。腹裂き用の特殊メイクも、今はすぅちゃんの腹から離れ彼の持つ紙袋に収められている。
さて、帰路につく前に僕には聞かねばならないことがあった。
「なぁ親友」
「うん?」
質問は分かっているだろうに、ワザトらしく首を傾げる山神。突っかかっても時間の無駄なことは自明の理なので、僕は文句も言わずに続ける。
「すぅちゃんの殺害依頼だっけ? それ、本物だろ?」
おやおや、と言う風に山神は肩をすくめた。すぅちゃんは自嘲気味に苦笑している。分かっているのだろう、彼女も。天香具山という家を。
大人しく、彼女の帰りを待っていれば良かったものを。そうすれば、遺恨無く回復出来ていたものを。
全く、これだから一度味をしめた人間ってやつは愚かしい。相手にするのも面倒だが。
そうは言っていられないだろう。どうせ山神の後続がいずれ動き出す。最初に彼の所に依頼がいってくれて助かったってところか。
「さて、どうする? 親友」
手伝うにやぶさかじゃないぜ、と、僕の親友は笑った。
まさかの山神さん参加。しかしこれは予定調和なのでありんす。
適当なようで一応ストーリー性を帯びてきました今作なので、今後もお付き合い頂ければ光栄至極であります。
それでは、感想評価等よろしくお願いします。