2:嫁ぐ決心
「マリー!」
家に帰った私の顔を見るなり、父が地べたにカエルのように這いつくばった。
立ち呆ける母と弟二人が背後に立つ。三人とも神妙な顔をしていた。
帰った父が、朗報を持ち帰り明るく迎えてくれるか、交渉がうまくいかず机に突っ伏して沈み、母と弟二人に慰められていると思っていたら、予想を覆す状況にマリーは呆気にとられた。
「すまない、マリー!!」
額を床にこすりつける父はマリーに向かってさらに叫ぶ。
「マリー、お前を隣の領地を治めるハウイット領に嫁がせることになってしまった」
結論だけ叩きつけられ、話が見えないマリーは動揺した。父がいったいどういう経緯でそんな話を持ち帰ったのか、想像もつかない。
「なにを言っているの、父さん。
父さんは、去年の不作、今日の日照り続きにもかかわらず、増税の通達を出してきた領主に面談を申し込まれたのでしょう。
持って帰ってくる知らせは、増税取り消しや減税、徴税の延期とか、交渉が成立しないとか、税にまつわることになるはずでしょう。
それが何を間違って、私の結婚話になっているのよ。話がまったくつながらないじゃない」
「そうだ。俺は三日前、この状況下で増税を持ち出してきた領主に直談判に向かった。領地内にある五つの村の村長、全員が揃っていた。
必死で訴える俺たちの話も領主は上の空で聞くばかりで、なしのつぶて。
一人の村長が怒鳴り声をあげた時、領主は睨み『それだけ元気があるなら、まだ増やせそうだな』と法外なことを言いだした。
このままでは、一人の村長が領主を殴りかねない。私ともう一人の村長が止めに入った。ここで村長を失えば、その村はきっと大変なことになる。領主はからかい、挑発を繰り返す。
正直、俺だって腹に据えかねた。本当は、殴ってやると憤る村長と一緒に、報いてやりたい思いだったよ」
「それはそうでしょう。そうでしょうとも。
それがなんで私の嫁ぎ先に話が飛ぶのよ。おかしいじゃない!」
ひたいを床にこすりつけていた父が顔を上げた。悲痛な顔で縋るようにマリーを凝視する。
「このままでは、人々が飢えて、人買いを頼るような事態になりかねない。ひっそりと売られている子どもは増えてきているんだ。
去年から、子どもの死亡率が増えていることになっているが、その大半は売られている可能性が高い。生き残るために、俺たちは悪い方向に転がり始めてしまった。この増税を受け入れれば、地獄へ真っ逆さまだ」
マリーもそれは薄々分かっていた。
さっき木陰で女たちが人買いの話をしていたのも、それは身近に迫っている不安の表れとも捉えられる。食料が減り、食べることもままならなければ、人間は品性を欠いていく。
歴史の中で、飢餓は何度か繰り返され、その度に弱い者が犠牲になってきた。
「そんな領主と俺たち村長の話に割り込んできた人物がいた。
実はその場には、ひっそりと隣の領主が佇んで、話を聞いていたのだ」
「なんで、そんなところに隣の領主が……」
女たちが噂をしていた件の領主である。マリーの表情がさっと曇った。
「集められた村長が交渉に与えられた時間は十分。領主が隣の領主との歓談の席に、余興として挙げられたようなものだった。
隣の領主は俺を名指しして言ったんだ。
『お前の娘を領地の妾として嫁に差し出せ。その結納金を、今回の増税分に当て、私が領主に払ってやろう。五つの村の増税分すべてだ』
そうして、隣の領主は黙った。
領主も他の村長も呆然とした直後、俺を凝視した。面白可笑しいと領主の目が俺を見下して、言ったんだ。
『いいだろう。お前の娘を隣の領主に差し出せば、例年通りの税額になる。さあ、どうする』
俺は硬直した。すべて決が、俺の肩に、マリーの人生にかけられてしまった」
再び、父は額を床にこすりつける。
「済まないマリー。俺は承諾する以外に選びようがなかった!」
父の言葉はマリーを打つ。大鐘を叩いたように、頭の中はぐわんぐわんと揺れ動く。息も苦しくなった。
「ねえ、父さん。それ、断ることは、できないのね」
「すまない。俺が了承するなり、その場で隣の領主がうちの領主に金を払ってしまった。結納金として与えられたお金だから、返金も不要なんだ。すまない、こればっかりは、どうにもならなかった」
「そっか、すでに、金銭の授受まで済んでしまっているのね」
マリーは天井を仰いだ。
(これで、この領地にある五つの村がすべて、助かるのよね。
私が嫁ぐ、と言っても妾として入るわけね。村娘なら、そんなものね。身分相応、こんな時世でなければ、村長の娘として見れば良縁の部類に入るわ。
それに、今回は、どれだけの人達が助かるか分からない、分からないことだけど……。引っかかるのは、噂話ね)
各々の村もそれぞれ事情を抱えている。もしそのまま増税が通ってしまったら、木陰で話していた女性達の話は対岸の火事ではなく、身に降りかかる火の粉となる。いずれは村を焼き払う炎に変わるだろう。
子どもが泣く姿は見たくない。
兄弟姉妹を送り出し、走り去る馬車を追いかけ、転ぶ子供なんて見たくない。
殺される家畜さえ、骨と皮ばかりになり、血をすすって生きるような真似はしたくない。
枯れた草の隙間によろよろと歩く虫を食べて生きるのか。
かつて最悪の飢饉では、食人まで行われたというまことしやかな伝承もある。
目の前で隣の領主が条件を提示していたら、どうするだろうとマリーは自問する。
(最悪の未来を回避するために、受け入れていたわね)
前を向くと母は唇を噛み、弟二人は泣きそうな顔をしていた。三人とも、ショックで声も出ない様子だった。
父は父で額を床に擦り続け、顔を上げる気配もない。
マリーはしゃがんだ。
地べたに這う父の肩に手を乗せる。打ちひしがれた父が憔悴しきった顔をあげる。苦渋の決断をした哀れな父に微笑みかける。
「父さん、大丈夫。私は行くわ」




