16:秘密が語られる雨の夜①
マリーがハウイット領の屋敷で、子ども達に囲まれて過ごすうちに物事は片付けられていく。
まず、前領主の異母兄であるイーノック領の家令が王都に提出した書類により、三日目には爵位の譲渡が受理された。正式な継嗣が相応の年齢になり、受け継がれることに誰も異論を唱えなかったという。
その証明書を持って、家令は王都に住まう前領主の妾を拘束し、領地へと連れ帰った。
前領主の妾は、領主が管轄する領地の端に建てられていた空き家があてがわれた。衣食住は最低限与えられるものの、領主の管轄地以外の自由な出入りは禁止された。実質的には軟禁である。
手続きに王都まで出向いた家令は戻るなり暇を希望した。妾の監視役をかって出て、領主の管轄地に居を構えた。
次の家令には、イーノック領の前領主であるドナルドが就いた。酒を断ち、マリーを助けるべく奮闘し始める。それは本来あるべき、彼の立ち位置だった。
元家令の助けを得ながら十二歳から十五年、実母や実母の実家のちょっかいをかわし続けたドナルド。肩の荷が下りれば本来の真面目さがあらわれ、仕事に前向きに取り組めるようになった。
ドナルドの実母の実家は、なにもなかったと言わんばかりに、動きを静観している。このまま、引いていくことが目に見えていた。
ルットはイーノック領の屋敷に滞在中、各村長を呼び出し、水の分配を話し合った。雨がいつ降るかはわからないにしても、それまでは辛抱しようと結束を固めた。
すべてが片付いた一週間後、ルットがハウイット領に戻るために馬車に乗り込もうとした時だった。
ぽつりと頬に雫が落ちた。
見送るドナルドの頬にも雫が落ちる。
二人同時に目を合わせ、空を見上げた。
黒い雨雲が覆いつくしていた。昼間から暗く、大気も湿っぽかく、もうすぐ雨が降ることを期待していた。
ぽつりぽつりと振り出した雨が、地表に黒い点を無数に作り出す。点は重なり合い、程なく地面は真っ黒に染まった。
ルットとドナルドは濡れそぼりながら、肩を叩き合って、笑いあった。
雨は、ハウイット領にもふりそそいだ。
その日、マリーは一日中、部屋の窓から空を眺め続けていた。
夜遅く、雨の中、ルットは屋敷に戻ってきた。
マリーはルットを迎えに行った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
小さな挨拶をかわし、互いに目が合うと、照れて、苦笑する。
「大変だったでしょう」
「そうですね。でも、やっとイーノック領が収まるべきところに収まり、膿を出しきることができました」
話し言葉も家令のルットに戻っていた。
イーノック領の屋敷で見せた話しぶりは何だったのか。マリーは、この一週間で一つの結論にたどりつきつつあった。
ルットは湯につかり、マリーとともに食事をする。一週間ぶりの食卓で、イーノック領がいかに良くなったか聞くことができて、マリーは半分満足した。
もう半分、大事なことをききそびれたまま、部屋に戻ることになった。
真夜中も、雨がざあざあと降る続いている。心地よい雨音に打たれながら、マリーは寝衣のまま部屋を出た。静かに隣の部屋へと向かう。
マリーの予想が正しければ、この行為は間違いではない。
左手の薬指にはめられた指輪を撫でる。
ノックもしないで、マリーはルットがいる扉をあけた。
ルットはベッドに横になっていた。よほど疲れているのかもしれない。扉が開いても気づかず、寝ている。
ここまできて、引き下がることはできないマリーは、近づいたベッドの脇に腰をかけた。
「ねえ、おきているんでしょう。寝たふりなら、こっち向いてよ」
静かに声をかけると、ルットが片目を開けた。
「起きてますよ。だめですよ、家令の男の部屋に一人で忍んでくるなんて」
「そうかしら。私は問題ないんじゃないかって予想しているのよ。でもね、その前に教えて欲しいの。私には分からないことがたくさんあるわ。
本当に色々なことが、分からないのよ。
ああ、でも、最初に言わなくてはいけないことがあるわ。
ありがとう。
助けてくれて、心から、ありがとう」
「いいんだ。俺がマリーを助けたかっただけだから。ドナルドも含めてさ」
「私、これからあなたに質問をするためにきたの。
きっと、この質問を終えた時、降りそそいだ雨が川を満たすように、きっと、今、私が抱いている感謝の気持ちはもっと大きくなっているのだと思うわ」
ルットは口元をほころばす。
マリーはルットの傍にそろそろと近づいていく。
ルットは上体を起こした。
「私、ここに戻ってから、毎日、聞いたの。ここで働いている最年長の女の子に。
『伯爵様は今日はお戻りになるの』って。
お礼を言いたかったのよ」
「きっと伯爵様はお喜びになりますよ」
「そう? ルットはそう思うの」
「はい」
「良かった。感謝を受け取ってもらえてうれしいわ」
マリーはルットと向き合うため、ベッド脇にすわりながらも片足をベッドにあげた。
「今日、ルットが帰ってくるという知らせがきたいたでしょう。だから、逆に、問わなかったの。『伯爵様は今日はお戻りになるの』って。
毎日、聞いて、考えてたもの。
正直、背景もなにも分からないけど、それしか結論を出せなかったの。
ねえ、ルット。
伯爵様とは、あなたのことなんでしょう」
マリーは手を伸ばし、ルットの前髪を避けた。金髪で覆われていた碧眼があらわれる。
雨はざあざあと振る音が、二人の間を抜けていく。
「……」
「ちがう?」
「どうして、そう思ったのですか」
「勘、かな」
マリーはドキドキしながら、ルットの答えを待つ。
ルットは笑った。マリーの片手は、まだ彼の前髪で遊んでいる。
「正解。
俺は家令であり、領主でもある。妾の子であり、本妻の子の……、影なんだ」




