14:懇願するイーノック領主、困惑する村娘
「お願いです。どうか、どうか、僕を助けてください!!」
両手をついた領主は身を乗り出し、唾を飛ばしなら更に叫ぶ。
「もう限界なんです。これ以上、僕にはできない! 母は御せない。母の実家には虎視眈々と領地を狙われる。助けてやろうと声をかけられても、その対価は大きく、この領地すべてを明け渡すことになりかねない。
僕には八方ふさがりです。
母と母の実家が重くのしかかる。娘と結婚しろ、正妻として娶れと迫られ、拒否してきましたが、もう無理です。母の実家がこの領地を乗っ取りにきています。
領地を治めるだけならいざ知らず、母や母の実家が入れてくる横やりをかわしながら、このまま続けられません。
どうか、もう、僕を解放してください。
あなたが帰ってきたのなら、大丈夫ですよね。
あなたの帰りを待っていたんです。
あの雪の日、あなたは子どもを連れて、僕の妹を連れて帰ってくると約束したではありませんか」
マリーは領主の言っている意味が分からず困惑する。
ただ、領主が誰かと自分を見間違っているということは、なんとなく分かった。
「待っていたんです。
その後、王都の流行り病で父が死んで、重い母と、したり顔で寄ってくる母の実家をかわしながら、なんとか十五年やってきました。
助けてください。
奥様、お願いです。僕のもう一人の母よ。お願いです。
ハウイット領で起きた水災を助けたその手腕をもって、このどうにもならない状況を……」
領主はぼろぼろと泣き始めた。
マリーはその様を黙って見つめるしかなかった。言っていることの半分も理解できていない。
ただ、この領主は、自分が背負っているものが重いと嘆き、突如マリーに助けを求めてきた。それしか、分からなかった。
「どうか、どうか、助けてください。僕を、見捨てないで……」
領主は額を床にこすりつける。うずくまって、嗚咽を漏らす。卵のようにまるまり、助けて、と呟き続ける。
マリーは深呼吸をした。
領主はマリーを誰かと間違えている。
そして、間違えた人物に懇願している。
『助けて』
十五年、一人で背負ってきた何かを吐露し、助けを求める。痛ましい姿に同情するとともに、マリーはいまここにたどり着いたことに感謝の念を抱く。
(この人は、弱いけど、悪い人じゃないのかもしれない)
それはマリーにとっても救いだった。
うずくまる領主に近づく。目の前にしゃがんで、肩に手を載せた。
「お願い、状況を教えてください。今、この領地は、日照りがひどく、水が不足しています。このままでは持たないわ」
「分かっています。分かっているんですけど、もう、なにから手を付けていいのか……」
「水を分けて。雨が降るまでの間、溜池には水があるのでしょう。その水を周辺の地域に分けて欲しい。水の少ない地域には、税を減免してほしい。
難しいことかしら……」
「いいえ、いいえ。出来ます、できますとも」
領主はそう呟き、顔をあげた。
互いに目が合う。同色の瞳の色に互いの顔が映し出される。
涙でぼろぼろになった領主の顔が、凍り付く。
マリーは別人だと気づかれたと思い、口元をキュッと結んだ。
領主の唇が震え、その小刻みな動きは全身へ伝っていった。
「生きて……、生きていたのか」
領主が身をもたげる。両腕を伸ばし、マリーの二の腕を掴んだ。
「生きてたんだな。生きていたんだな」
「生きてって……。そりゃあ、私は生きていますとも」
「良かった、本当に良かった。僕は一人ではないんだ」
再び領主の両目から涙があふれだす。
ここまでくると、マリーもどう受け止めていいか分からない。
領主の手に力がこもり、体が揺すられる。しゃがんでいた態勢がくずれ、しりもちをついた。
水を分けてほしいと嘆願にきて、このような事態になるとは思いもよらなかった。声もだせずにもごもごしてしまう。
(この人は私を誰と間違えているの?)
困惑するマリーに、涙を流しながら領主は堪えるように笑う。
「よく似ている。酔った僕は見間違ってしまったよ。
声も同じだ。水災に立ち上がった奥様そっくりだった。あの時のように、颯爽と僕を助けに戻ってきてくれたんだと……、そんな幻覚を見てしまったよ」
マリーには答えようもない。生まれてこの方、水災に見舞われた記憶はなかった。いつの話をしているのか、分からないことばかりだった。
沈黙が降りるなかに、二人の間を怒声が割って入る。
「ドナルド! マリー!」
マリーと領主が声がした方へと振り向く。
そこにはルットが立っていた。シャツとズボンという軽装で、慌ててやってきたのが見て取れた。開いた扉に手をかて、肩を上下に動かす。下を向き、大きく息を吸って吐く。
顔を上げると、長い前髪をかき上げた。碧眼が露になる。手を乱暴に降ろすと、再び落ちた前髪で両目は覆われた。
「予定を大幅に狂わせやがって! とんだお転婆だな、マリー。こっちの心臓がつぶされそうだよ!!」
今までにない乱暴な言葉にマリーは驚く。家令として接してきた丁寧な面影が消えていた。
つかつかと進み出たルットは、領主とマリーの真横に立ち、腕を組んだ。
「こっちの計画ガン無視で、突っ走るなよ。ああ、そんなところも、前領主の正妻そっくりなのかもしれないな、マリー。
九割がた準備が整っていたからいいものの、いきなり動くとは思わなかった。動きが早いのも度が過ぎる!!」




