50、血まみれのネロ
夕闇が辺りを灰色に色付け始めた頃、レイラは思いのほか順調にミリセント教会に辿り着いた。
途中で遠くに軍服の男たちが馬で駆けてくるのが見えてひやりとしたが、どういうわけか何かに阻まれるように別の方向に行ってしまった。
神様はまだ私を見捨ててないらしい。
ただ一つ気がかりなことは、街を歩く人にミリセント教会の場所を尋ねると、みんな場所は教えてくれるものの、「あんな教会に何の用があるんだ」と不思議がられた。
小さくとも教会ならばそれなりに用があってもおかしくないはずだ。
まるで古代の遺跡のように知ってはいるものの、今では誰も訪れない場所らしい。
でもセリーヌは叔父さんが牧師だと言っていた。
牧師がいるなら、それなりに教会の機能を果たしているはずなのに。
「これが……ミリセント教会……」
到着して薄闇に浮かぶ廃墟のような建物を見たとたん、町の人々が不思議がる理由が分かった。
「どういうこと? セリーヌはこんなことになってるって知らなかったの?」
警戒しながら、そっと壊れたドアから中をのぞいてみる。
「ネロ? セリーヌ? 誰かいないの?」
荒れた室内からは返事はない。
「ここじゃないのかしら? それともまだ到着してないの?」
私は足を踏み入れ、砂埃に刻まれた足跡を見つけた。
「誰かが最近入ったみたい。この小さな足跡は……」
足跡をたどってステンドグラスに月明かりが差し込む祭壇まで来て悲鳴をあげた。
「ネロッ!! ネロッ!!」
祭壇の下に血だまりを作ってネロが倒れていた。
「どうしたの、ネロッ!! お願い返事をして!!」
服が赤く染まるのも厭わずネロを抱き上げる。
「ネロッ!! 嫌だ!! 死なないでっ!!」
泣き叫ぶ私の声にネロがうっすらと目を開ける。
「ネロッ!! 良かった!! 生きてたのね! 待ってて、すぐに手当てをするわ」
なにか止血できるものをと辺りを見回す。
「お姉ちゃん……ごめんなさい……」
ネロはそんな私に小さな声で呟いた。
「何を謝ってるのよ。いいからしゃべらないで。体力がなくなるわ」
「ううん……ごめんなさい……。うう……ごめんなさい、お姉ちゃん……」
ネロはなけなしの力で涙を浮かべて謝り続けた。
「謝らないで。謝らないでよ、ネロ。まさか先に死ぬけどごめんとか言わないわよね。そんなの許さないから……ううう……嫌よ、ネロ」
「僕なんか死んだ方がいいんだ……うう……ごめんなさい……。お姉ちゃんが信じて預けてくれた銀のケースと鍵を……守れなかった……。ごめんなさい……うっく……」
「銀のケースと鍵?」
私はようやく気付いて周りを見回した。
確かに何もない。
そしてネロの首にかけていた鍵もない。
「どういうこと? そうだわ、セリーヌは? セリーヌはどこに行ったの?」
ネロは涙をいっぱいに溜めて悲しそうに顔を歪めた。
「セリーヌが……セリーヌが……僕を木の棒で殴ってケースを持っていったんだ」
「セリーヌが?!!」
私は驚いて聞き返した。
「だ、だって、心を入れ替えたって……。私の力になりたいって……」
「嘘だったんだ。僕とお姉ちゃんを騙すための……」
「まさか……。どうしてそんなことを……」
「銀のケースが欲しかったんだと思う。途中で何度もケースを持ってあげるって言われたから」
ネロが渡したら鍵を奪って逃げるつもりだったんだ。
簡単に渡してしまうような子だったら、殴られずにすんだかもしれないのに。
あんな重いケースをずっと胸に抱えてここまで歩いてきたんだ。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……僕のせいで……」
それなのに自分を責めて謝り続けるネロに胸が締め付けられる。
「バカね。そんなことを謝ってたの? ネロは何も悪くないじゃない」
もう一度ぎゅっとネロを抱き締めた。
「だって僕はいっつもお姉ちゃんの足手まといで、迷惑ばっかりかけて……」
「迷惑なんて。あなたにかけられたことなんて一度もないわ」
「今回だって僕が一緒に行くって言わなかったら銀のケースを奪われることなんてなかったのに……」
「何を言うのよ。あんな重いケースを持って逃げてたら、きっと途中で見つかってつかまってたわ。ネロのおかげでここまで辿り着けたの。それにセリーヌを信じてしまったのは私だわ。何も気付かずあなたを預けてしまった。私のせいよ」
「ううん。お姉ちゃんのせいじゃないよ。僕が……ううう……」
「泣かないで、お願い、もう泣かないで。これ以上体力を奪われたら本当に死んでしまうわ」
私はポケットから王子様のハンカチを取り出した。
いつか返そうと大事に大事に肌身離さず持っていたハンカチだけど……。
「もう……いいよね……」
もうきっと一生返すことはないだろう。
まだ血の止まらないネロの頭にそっと当てた。
「ごめんなさい、黒馬車の王子様……」
次話タイトルは「セリーヌ、ロイに見つかる」です




