23、サイン
「アルフォード様のお屋敷に?」
いよいよ飴ケースを納めに行く日が近付いていた。
スランはすでに十ケース仕上げて、ネロは最後の一缶の下地を塗っている。
私はあと二ケース絵を描かなければならなかったが、その合間にエミリアの店に寄っていた。
「うん。どうしようか迷ったんだけど、せっかくのチャンスだから、そのアルフォード様っていうのを見ておこうと思って、付き添いで行くことにしたの」
女店員には悪いけど、やはりこの世界のラスボスは知っておきたい。
「すごいことですわ。貴族でも滅多に行ける場所ではありませんもの。でもアルフォード様のお屋敷に行くなら、帽子と靴ぐらいはきちんとしたものにした方がいいですわね」
「うん。ケンが支度金として5000ルッコラくれたの。これで何とか揃えられないかしら」
「5000ルッコラですか。最低限の物になりますが揃えてみましょう」
「ありがとうエミリア。助かるわ」
こういう時に元貴族の友人がいるのはありがたい。
「手袋と靴下も身に着けた方がいいでしょう。貴族のように華美にするのはいけませんが、食べ物を取り扱うなら清潔な装いはした方がいいでしょう」
「うん。エミリアに任せるわ」
「先日買ったリボンは余っていませんか? それがあれば帽子にワンポイントぐらいなら付けられます」
「あ、それならここに……」
私は最初の試作品のブリキのケースを籠から取り出した。
このケースの中にしまっていた。
「まあ! これがレイラさんがおっしゃってた絵ですか? 素敵……」
そういえばエミリアにはまだ見せてなかった。
エミリアは感心したように絵をまじまじと見つめてうなづいた。
「このお城はアルフォード様のお屋敷ですね」
「えっ!?」
「いえ、少し違うかしら。もう少し塔の数が多いですわね。窓の数も」
「えええ?!」
いや、これシンデレラ城なんだけど。
王子様の住むお城なんだけど。
アルフォード様っていうのは、こんなお城に住んでるの?
いや、これより大きい城に?
どんな金持ちよ。
「こんな素敵なケースは初めて見ました。これなら国賓への贈り物としても充分通用すると思います。全部この絵柄なんですか?」
「ううん。十ケースとも色も絵柄も変えてあるの。かぼちゃの馬車だったり、魔法使いだったり、ガラスの靴だったり」
テーマはあくまでシンデレラだけど、全部違う絵だ。
なぜなら同じ絵を描くと同じ色の絵の具ばかりが減ってしまうから。
補充できるアテがない今は、できるだけまんべんなく使うしかない。
「かぼちゃの馬車? ガラスの靴? 面白い題材ですね」
この世界ではシンデレラの物語は知られてないらしい。
なんだったら私が絵本を描いて売り出そうかしら。
「実物はこれよりもう一回り小さいケースなの。これは最初の試作品で、アルフォード様にお渡しするものじゃないから、記念に私がもらったの」
ケンとスランの了解を得て、私のものになった。
当日は一応予備の飴玉とコンフェイトを入れて持っていくが、それが終われば中身ごと私にくれると言ってくれている。
中身はネロにあげて、ケースは私の作品として誰にも売らず持っておくつもりだ。
「あら? このサインは……」
エミリアはケースの側面の隅に書いた文字に目ざとく気付いた。
「うふふ。ちょっと芸術家気取りで私のサインを入れてみたの」
もちろんアルフォード様にお渡しするケースには書いてないが、これは私物なのでいいかなと思って。
大事な大事なウエッジウッドブルーで『Leila』と少し崩して描いた。
スランに半分ぐらい使われてしまったけど、サインを描くぐらいなら使い切ることもない。
この絵の具はサイン用にするんだもん。
「ブルーだけど、とてもシックなブルーですね。こんな色、見たことないわ」
「そうでしょ? とても貴重な絵の具なの」
「でも……どこかで……」
「え?」
「あ、いえ、どこかで見たような気がしたけれど……気のせいですわ」
エミリアは何かを思い出そうとしたようだが、結局うやむやになった。
まさかこの私の小さな遊び心が大きな事件になるなんて。
この時は思いもしなかった。
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※現在のレイラの所持金
前回残金 240
ヨハンに三日分 ― 600
(渡さなかった日もある)
食費、湯宿代、他 ― 550
(あまり風呂に入れてない)
ブリキの絵付け + 350
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― 560ルッコラ
(スランに借金)
次話タイトルは「出発の朝」です