20、レイラのお願い
「飴を少しでいいから分けて欲しいの」
私はケンに言った。
「飴を?」
ケンは不審な顔をして、女店員は眉を吊り上げた。
前回来た時にネロがよだれを垂らしそうな目で見つめていた。
十歳の子供が美味しそうなお菓子を目の前にして我慢するのは辛いだろうと思った。
本当はあの日売ってもらいたかったけれど、ケンとの商談を成功させることの方が優先で、個人的なことを頼める雰囲気ではなかった。
でも母親に捨てられて、それでも泣き言も言わずにブリキに色を塗っているネロに、どうしても喜ぶお土産を持って帰りたかった。
「図々しい!」
言ったのはケンではなく女店員だった。
「ちょっと坊ちゃんに褒められたからって、すぐに褒美をねだるんだから。貧民ってホントに卑しいったらないわ」
「い、いえ。分けてって言っても、もちろんお金は払います。今はあまり手持ちがなくて……三個なら……買えるかなって思って持ってきました。これでお願いします」
私はポケットから60ルッコラを差し出した。
このところ、ロリポップのケース作りに没頭していて、他のものを描くひまがなかった。
収入がないと、当然お金は減る一方で、もうしばらくロリポップに専念することを考えるとあまり無駄遣いは出来なかった。
一個20ルッコラの飴玉は貧民には高すぎる。
「どこからそんなお金を持ってきたの? あなたって貧民のくせにそんな高そうなワンピースを着たり、どうやって工面してるのよ」
「それは……」
「前からおかしいと思ってたのよ。貧民でお金を持ってる子っていうのは、たいがい悪いことをしてるのよ。スリか強盗か……ああ、女の子ならいかがわしい店で働けば結構稼げるかもしれないわね」
「な! そんなことしてないわっ!」
「どうだか。貧民にしてはやけに綺麗にしてるし、そういうことだったのね」
「ち、違うわ!」
「……」
ケンは私達が言い合っている間も、無言で何か考え込んでいる。
試作品のブリキ缶の中身を見つめたまま黙り込んでいた。
ケンというのは、どうも会話の間が長い人らしい。
口数も少なくて、熟考するタイプのようだ。
まさか、女店員の言うように私がいかがわしい店で働いてると思ったのだろうか。
やがて考えがまとまったのか、ケンがようやく口を開いた。
「ごめん」
「え?」
その口から出た言葉の意味が分からず、私と女店員は言い争いをやめてケンを見つめた。
その私達の視線を受けたまま、ケンは手頃な大きさに切られたワックスペーパーを取り出し、飴玉のガラスビンを手に取った。
そしてトングのようなもので飴玉を取り出すとペーパーの上にコロリと乗せた。
何個か同じように取り出すと、今度は別の味の飴玉のビンを持った。
そうして次々に飴玉を乗せていく。
やがて十個ほども乗せると、くるりと包んでそれを紙袋に入れた。
「……」
さすがに飴職人ともなると扱いが慣れている。
その手さばきに見惚れるように、私と女店員は無言で見ていた。
そして「ほら」と言って、ケンは紙袋を私に差し出した。
「え?」
「持っていけ」
「え? で、でもそんなには買えないわ。今はあまりお金がなくて……」
十個以上は入れてたと思う。
そうなると200ルッコラ以上だ。
払えなくはないけど、今はそこまでの贅沢は出来そうにない。
「やるって言ってるんだよ。金をとるつもりはない」
「で、でも……」
ただほど怖いものはない。
前世の教えが頭の中で響いた。
ケンがどういうつもりでそんな事を言うのか分からない。
「ケン坊ちゃん、なに言ってるんですか! いつも金のない貧民は店に入れるなって言ってたじゃないですか。汚い身なりの貧民は店の印象が悪くなるからお金を持ってても売るなって言ってたのに」
女店員が不満そうに叫んだ。
「レイラはきちんとレディの身なりをしている。それに……仕事の大事なパートナーだ」
「そ、そんな……」
「前に来た時に渡すべきだった。自分が扱う商品を知らずに、いい仕事が出来るわけがない。俺はそのつもりで試作品用の飴を渡したつもりだったんだが……もっとはっきり言っておけば良かった。すまない」
ケンは試作品のブリキ缶に詰め込まれた飴玉を見つめた。
「バカ正直に一個も味見せずに二十個とも全部詰めたんだな」
「だ、だってこれは試作品用に預かった飴玉だから……」
「ふ……」とケンは微かな笑い声を洩らした。
「そんな正直者の貧民はお前たちぐらいだよ。物欲しそうに見ていたネロのことを考えれば、落としたとか割れたとか言って半分ぐらいは食べても仕方ないという計算で渡したんだ」
「そ、そうだったの?」
前世で育った私には、試作品用と渡されたものを勝手に食べる考えはない。
「こいつだって店頭で飴を包みながら、カウンターに落とした飴は勝手に持って帰って食べてる」
急にケンに話を向けられて女店員は慌てた。
「そ、それは、もうお客様にお出しするわけにはいかないから仕方なく……」
「わざとカウンターに落として持って帰ってることもあるな。みんな気付いてるが数も少ないし黙認してたんだ」
「えっ……」
女店員は青ざめて絶句している。
どうやらケンの言う通りらしい。
「人としての品性は平民、貧民は関係ないようだな」
「ケン坊ちゃん……」
女店員はケンの言葉にショックを受けて、悔しそうに私を睨みつけてからプイッと目をそらして店の奥にバタバタと駆け去っていった。
次話タイトルは「ケンが優しい」です