3、ナンシーの水差し
「ケンの野郎がそんなことを?」
私は売上を持って、まっすぐスランの工房に逃げ帰った。
そしてさっきの出来事をすべて話した。
「昔っからお高くとまった嫌なやつだと思ってたけど、変わらないな」
「仲良しだったんじゃないの?」
隣に住んでる同じ年の幼なじみだから、今は身分も違って思うところもあるだろうが、昔は仲が良かったんだと思っていた。
「親同士が仲が良かったから一緒にいることは多かったけど、気の合わないやつだった。……というか気が合いすぎたのかもしれないけどな」
「どういうこと?」
「好きなものとかやりたいこととか、似てるんだよ。だからいっつも取り合いになって、お互いを出し抜いて手に入れることばっかり考えてた」
二人とも野心が強そうだから、壮絶な争いが繰り広げられてたのが目に浮かぶ。
その負けん気が今の二人のモチベーションになってるならいいライバルとも言えるけど。
「とりあえずもうロリポップの前で飴玉ケースを売ることは出来ないわ。いい市場だったのに」
「そうだな。ケンのやつなら次に会ったら本当に自警団に突き出すだろう。もう行かない方がいいよ、レイラ」
「困ったわ。他に貴族と接点を持てる場所なんてないのに」
なにか新たに売るものを考えなければならない。
「ちょうど頼まれてた水差しが出来たんだ。しばらくはこれを完成させたらいいんじゃないか?」
「水差しが?」
ナンシーに10000ルッコラで注文を受けたやつだ。
スランには材料代1000と職人代2000の、合わせて3000ルッコラ払うことになってる。
スランは裁断機の裏に置いていたモノを持ってきて私の前に置いた。
「え? これが水差し?」
私はてっきりじょうろみたいな物を想像してたのだが、それは取っ手のついた大きめのピッチャーのようなものだった。
「貧民の家ではあまり見かけないからな。二階や三階まであるお屋敷に住む貴族さまが自室に置いておく手洗い用の水入れだ。メイドが下階から汲んできて置いておくんだ」
そうか。
前世と違って蛇口をひねればどこからでも水が出るわけじゃない。
かといって貴族さまがいちいち下階におりて手を洗うわけにもいかないものね。
「何度か注文を受けて作ったことがあったんだ。自分で言うのもなんだけど、この曲線を作れるのはこの工房でもオレしかいない。今回は取っ手を幅広にして下部にくぼみを利用した装飾もつけて斬新なものに仕上げた自信作だ」
「うん。すごく素敵。それに持ちやすい」
私は水差しを手に持って感心しながら眺め回した。
これならメイドさんたちも運びやすいだろう。
デザイン性も機能性も素晴らしい。
「へへ。レイラに褒められると自信がわいてくるな」
スランは人差し指で鼻の下をこすりながら、まんざらでもない顔になった。
スランのこういう素直なリアクションは結構好きなのよね。
なによりモデルばりのイケメンだし。
いい市場をなくして落ち込んでたけど、ちょっと元気になったわ。
「じゃあ私もスランの水差しがもっと映えるような絵を描くわ。これがきちんと納品できればしばらくは飴玉ケースが売れなくても大丈夫だものね。よし! がんばるわ!」
「おう、がんばれ!」
それから二日間は私の工房と化した川べりの岩陰でひたすら水差しに絵を描いた。
ナンシーの好みは分からないが、前世の冴子の好みならよく知っている。
好きな色は黄緑。少しシックでくすんだ萌黄色をベースにして。
好きな花は桜。洋風にアレンジして濃いピンクを使おう。
枝には小鳥が二匹楽しそうにさえずり合っている。
小鳥のさえずりを聴くと幸せな気持ちになるとよく言っていた。
そんな鳴き声が聴こえそうな躍動感あふれる小鳥がいい。
部屋にこもってレース編みばかりしている貴族の少女の気持ちが晴れるような水差しを。
ナンシーが一日眺めていられるような華やかなものを心をこめて。
そして約束の日の朝。
「できたあああ!」
満足できるものが仕上がった。
我ながら上出来だ。
「あとはこれをナンシー嬢に渡せば10000ルッコラが……」
と言いかけたところで大変なことに気付いた。
「そ、そうだった。ナンシー様とはロリポップの前で会う約束をしてたんだった」
ということは、もう一度ロリポップの前まで行かないとナンシーに会えない。
でもケンには二度と店に近付かないと約束してしまった。
もしケンに見つかることがあれば自警団に突き出されてしまう。
いや、ケンじゃなくてもロリポップの女店員に見つかればアウトだ。
「ど、どうしよう……」
絵を描くことに夢中でそんなことすっかり忘れてた。
◇
「ケン? さっきから深刻な顔をして何を見てるんだい?」
ロリポップの店の奥の休憩室では、白髪混じりの人の良さそうな店主が息子に尋ねた。
「親父さん。店のお客さんの落し物なんです」
ケンは養父に手の平にのる小さなブリキのケースを差し出した。
「なにかの入れ物かね? 見たことのない装飾だね」
「飴玉ケースらしいです。店の前で貧民の子供が売ってたようです」
それはレイラとスランの作ったブリキの飴玉ケースだった。
貴族の令嬢がカウンターに置いたまま忘れていったのだ。
「ほう。飴玉のケース。面白いものを考えたものだね。それにしてもこの絵は何の絵だろう?」
「私もさっきから考えていたんですが、どうやら飴玉を紙で包んで両側でねじっているようです。こんな包装は見たことがない。でも一個ずつ包装すれば引っ付かずに保存できるし、持ち運びも便利ですよね。何より見た目が華やかです」
「だが包み紙も安くはないぞ。贈り物ならいいだろうが」
「不思議なのはまるで見てきたように描いていることです。こんな包み方をしている店があるんでしょうか」
「どうだろうか。少なくとも私はこの道四十年だが見たことはない」
「例のこともありますので……作ってみたいのですが。いいでしょうか、親父さん」
ケンは遠慮がちに養父に伺いをたてた。
「何を遠慮しているんだい。この店はお前が来てからこんなに立派になったんだ。子供もいなくて、しがない砂糖菓子の店など年老いて閉めるしかないだろうと思っていたのに、お前と出会って養子に迎えて、私はこれ以上ないほど幸せな毎日だよ」
「親父さん」
ケンはうっすら涙を浮かべて恩義ある養父を見上げた。
「この店の店主はもうお前だよ、ケン。思うようにやってみるがいい」
「ありがとうございます、親父さん」
深々と頭を下げるケンだったが、まさにその時、店の売り子が休憩室に駆け込んで来た。
「ケン坊ちゃん! また来ました!」
「なに?」
「いつもの貧民の子供が、また来てます!」
「なんだと!」
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※ 現在のレイラの所持金 2600ルッコラ(900ルッコラはヨハンへの毎日の支払いと湯宿、食費などで消費)
次話タイトルは「レイラ、ケンに捕まる」です




