12、イケメンを信じてはいけない
ああ、神様。
私は危うく直子の二の舞になるところでした。
顔と肩書きのいいクズ男に何度も引っかかっては裏切られて泣く。
イケメンと縁のない私は、どうしてこう何度も同じように騙されるのかと不思議だった。
でも少し直子の気持ちが分かったわ。
イケメンに優しい言葉をかけられて微笑まれたりすると、この人こそ私の王子様だなんて信じたくなってしまうものなのね。
たとえそれが傍目には明らかなクズ男であったとしても。
「な、なにやってるのよっ!! スランッッ!!!」
私は飛び起きて叫んだ。
「あっ! まじい!」
スランは私が起きたことに気付いてあわてて手元を隠した。
隠したが、もちろん隠しきれる大きさではない。
「私の絵の具を勝手に使ったのっ?!」
ちゃんと鍵を閉めてから眠ればよかった。
睡魔と、イケメンへの誇大な信頼から、絵の具をそのままに眠ってしまった。
「いや、レイラがこんなに上手に描けるなら、オレも出来るかなって思ってさ」
よりによって一番大きなバケツを手に持っている。
「でも全然うまく描けなくてさ。しょうがないから塗りつぶそうかと思って」
そう。大きなバケツに絵の具を塗りたくっている。
しかも……。
私は震える足でスランに近付き、足元の絵の具を見下ろした。そして。
い……。
「いやああああ!!! 私の高級陶器灰青っっ!!!」
この一色のために百色セットを買ったと言っても過言ではない、一番大切な色を……。
この世界では二度と手に入らないだろう魂の絵の具を……。
半分以上搾り出した、干からびたししゃもみたいな絵の具が転がっている。
「わ、私のウエッジウッドブルーが……私の……」
私の悲鳴のような叫び声にスランがたじろいだ。
「ご、ごめんってレイラ。そんなに怒るなよ。青色はまだこんなにいっぱいあるんだしさ」
「ないわよっ! この色はこの一色だけよ! もう二度と手に入らないのに!!」
たかがマッチケースには絶対使うまいと温存していた。
使った絵の具だって、この先の長い人生を考えてパレットにカスさえ残らないぐらいチビチビ使ってたっていうのに。
よりにもよって。よりにもよって。
他の色なら子供のイタズラぐらいに軽く受け流せたかもしれないけど。
この色だけは、この色だけは許せない!
「なんでこの色を使ったのよっっ!!」
「え。いや、このブルーが一番綺麗だなと思って」
「……」
うむ。センスはいいのよね。数あるブルーの中からこれを選び出すなんてさすがだわ。
いや、感心してる場合じゃなかった。
この調子のいいイケメンめ!
人の物を勝手に使ったらダメって学校で習わなかったの?
そうだった、貧民街の子供は学校には行ってないんだっけ。
いや、学校に行ってなくたって、そんなの常識でしょ!
ああ、イケメンなんて信じるんじゃなかった。
やっぱりイケメンなんてろくでもない。
そういえば直子の三番目のモデル彼氏もこんなヤツだった。
私の前では「直子のお姉さん、会いたかったです。お邪魔してます」とか爽やかに微笑みかけて、ブスの心を波立たせておきながら、陰で「あの顔、生理的に無理」とか心臓をえぐるような悪口を言うようなヤツだ。
悪気もなく軽い気持ちで、私の心に二度と立ち直れないほどの打撃を与えるのよ。
悪口を言ったのはスランじゃないけど、顔が同じってことは言ったも同然よ。
直子の彼氏への行き場のなかった怒りも含めて、私はスランを責めた。
「ひどいわ、スラン! 一番大事な色だったのに……。これだけの絵の具を使えば、どれほどステキな作品をいっぱい描けたか分からないのに……ひどい……」
ゆうべいろいろしてもらった感謝も忘れて、カンカンに怒りながら絵の具を片付けた。
バケツはまだ途中だったが、もちろんこれ以上絵の具を使うつもりなんてない。
半分ウエッジウッドブルーで塗った、未完成のバケツだけを残してカチャリとジュラルミンケースの鍵を閉めた。
「ごめんって、レイラ。機嫌直してくれよ。悪気はなかったんだよ」
「あなたたちイケメンは悪気がなければ何でも許してもらえると思ってるのよ。イケメンだからって、イケメンだからって、許せることと許せないことがあるわ!」
「あの……レイラ、イケメンってなに? オレそんな組織に入ってたっけ?」
「……」
イケメンって言葉はこの世界にはないらしい。
「どうしたのぉ……お姉ちゃん? 何かあったの?」
あまりの騒ぎにネロが目をこすりながら起きてきた。
私はネロを両腕に抱き締めて誓った。
「ネロ。あなたは私が正しいイケメンに育ててみせるからね。イケメンだからってなんでも許してもらえるなんて思うクズにはしないわ。美しいことにあぐらをかいてはダメなの。私ったら自分が美少女になったことに浮かれて、危うくブス時代に骨の髄まで学び取った教訓を忘れるとこだったわ」
「何を言ってるのか分からないよう、お姉ちゃん」
寝起きに捲し立てられたネロはオロオロと戸惑っている。
そしてスランも未完成のバケツを抱えてすっかり反省している。
「悪かったよレイラ。このマッチケースを一個くれたら今日の報酬は無しでいいよ。それで許してくれよ」
「……」
そこまで悪いヤツじゃないのよね。
直子のクズ彼氏たちも、浮気ばっかりするクズだったけど、悪人ってほどじゃなかった。
私にとっては高い授業料にはなったけど、美少女に優しいからといってイケメンを信頼しすぎてはならないと、最初に気付くことができた。
そう前向きにとらえよう。
しかもスランに報酬を払わなくていいなら、マッチケースを十個売ればヨハンの1000ルッコラを稼ぐことができる。それはありがたい。
「分かったわ。許してあげる。その代わり、もしまた私の絵の具を勝手に使ったりしたら絶交だからね」
「分かった。もうその銀のケースには触らないよ。だからこれからも一緒に作品を作ろうぜ。オレ、レイラと一緒ならすごいものが作れそうな気がするんだ」
それは私も思った。
スランのブリキ細工の腕があれば、いろんな物が作れる。
この世界で生きていくには、スランの助けが必要不可欠だ。
でもイケメンに簡単にいい顔をしてはダメ。
直子も浮気されても謝られるとすぐ許してたからドロ沼に突入していた。
イケメンは甘やかすとつけ上がるのよ。
私はブス時代にそれを散々間近で見てきたんだから。
「そこまで言うなら考えてあげてもいいわ。考えるだけだからね。まだ決めたわけじゃないから」
「うん、それでいいよ。でもオレの気持ちは変わらないから」
「……」
なんだかこの会話って恋の駆け引きみたいじゃない?
しかも私がイケメンを焦らしてるみたい。
ちょ……ちょっと気分いいわね。
ブス時代にはこんなことブサメンにも言われたことないのに。
高級陶器灰青を使われたショックが少しだけ薄れた。
そして、スランが陰でネロにぽそりと呟いていたことには気付いてなかった。
「なんかお前の姉ちゃん、以前と変わったよな。ちょっと前までは引っ込み思案でオレが声をかけてもお前の陰に隠れるような子だったのに」
「うん。昨日どこかで頭を打ってから、ちょっと変なんだ」
「そうだな。いろいろ変な気はするけど……まあ、オレは気の強い美人は好きなんだよな。ちょっと楽しくなってきたぜ」
次話タイトルは「マッチ売りの美少女」です