(3)
「……?」
小さい影。子供だろうか。
ワンピース……ではない。古びた着物を着ている。裾がぼろぼろになった着物から覗く手足は細く、剥き出しの足は土で汚れていた。ぼさぼさのおかっぱ頭や頭の上で一つに括った髪は、時代劇で見るようなものだった。
目を凝らすと、子供は何人もいた。木々の間をうろうろとさ迷ったり、木陰に座り込んだりする彼らは皆、一様に心細げな顔をしていた。もしかして迷子……いや、たぶん違う。
「あれは……」
「ああ、見えるんですね」
ミソカはラング・ド・シャの色の変化を確認しつつ答える。
「人間の子供の霊ですよ。この時期になると現れて、お腹が空いたと言って、延々と泣くんです」
小さな子供達はやせ細っていた。擦り切れた着物に、こけた頬。やがて一人が泣き出すと、つられて次々と子供達は泣き始める。
――おっとう、どこにいったんだよう
――おっかあ、おいていかないでくれよ
――おなかすいたよう
――ひもじいよう
――ひもじいよう、おっとう、おっかあ……
わあん、わあん、と泣く声が、山々の間で木霊する。
大きな声ではない。風で揺れる葉擦れの音に紛れる程の小さな声だ。なのに、風に紛れる声の幼さと悲痛な響きは、聞かぬふりをすることができない。
ノゾミが不安そうに耳を動かして、兄の脚にぎゅっと抱き着いた。その頭を撫でながら、ミソカは言葉を続ける。
「昔から、この山には幾人もの子供が捨てられてきたんです。戦や飢饉、流行病……何かしらの災害が起こる度にね。口減らし、と言うんでしたっけ。父が若い頃くらいまで行われていたそうですよ」
「……」
「生まれた時はあれだけ喜んで可愛がっていたのに、生活が苦しくなると数年で山に捨てる。捨てられた子供達は、赤く色づいた葉っぱをおいしそうだと思ったのか、夢中で食べていたそうです。哀れなことだと、父が言っていました」
ミソカはどこか冷めた目で、色が黄色から少しずつ赤へと変わるラング・ド・シャを見つめる。
「捨てるくらいなら、最初から生まなければいいのに。この葉っぱみたいに、人間も変わりやすいものですね。不思議で、面倒な生き物だ」
ミソカの冷淡な言葉に、スグリは何も言えなかった。
食料に溢れ、不安の無い現代の生活を送ってきたスグリには、口減らしが行われるほど困窮した昔の生活は想像できない。
当時の親がどんな思いで子供を山に捨てたのかも、捨てられた子供がどれだけ辛い思いをしたのかも、スグリには分からない。
ただ――悲しかった。
遠い昔に辛い思いをしながら死んでいった子供達が、いまだにお腹を空かせて泣く姿が哀れだった。
「……」
ぐっと口を引き結ぶスグリの頭に、何かがぽすりと当たる。柔い感触の正体は、黒いしっぽだ。肩に乗ったミントが、スグリの頭をしっぽで叩いたのだ。
『なんて顔してんだよ。百年以上も前のことだ。そういう時代もあった。誰にもどうにもできなかった、過去のことだ』
呆れた声と共に、ミントは地面へと飛び降りてミソカを見上げた。
『いやいや、思ってたより青いな、てめぇは。御託を聞いている間に、葉っぱがみぃんな赤くなっちまった。さっさとやれよ』
「……ええ」
ミソカはすっかり赤く染まったラング・ド・シャの袋を持ち、封の開いたそれを思いきり振った。
宙にばらまかれたラング・ド・シャが地面に落ちる前に、強い風が吹いて、空高く舞い上がる。
「あっ……」
まるで本物の紅葉のように、ラング・ド・シャは山裾へ向かってひらひらと舞い落ちていった。空から降ってくる赤いラング・ド・シャを、子供の霊は涙に濡れた目で受け取り、口に入れる。
――あまぁい
――おいしい
――おいしいねぇ……
泣き声はやみ、子供達は夢中でラング・ド・シャを頬張る。ミソカは次から次へとラング・ド・シャをばらまいていく。
ざああああ、と風に乗って流れる、赤い紅葉のラング・ド・シャ。これが紅葉流しなのだと説明されなくても分かった。
やがて満腹になったのか、子供達の霊は一人ずつ淡い影となり、消えていった。最後の一人が消えた頃、風もまた止まる。
空になった袋と箱を片付けながら、ミソカがぽつりと言う。
「赤橙の魔女……ザクロ様が手助けするようになってからは、子供の数がだいぶ減ったそうです。あの菓子のおかげで、満たされて成仏していったんでしょうね。僕らは、紅葉を風で流すだけでした。ただの葉っぱで一時的に慰めて鎮めるだけで、彼らの空腹を本当に満たしてやることはできない」
自嘲を含んだその言葉に、スグリは思わず口を開いた。
「私は、ここで泣いている子供達がいることすら知らなかったわ。あなた達に頼まれるまで、きっと、人間の他の誰も気づかずにいた。でも、あなた達は泣いている子を、人間の子供を、ずっと慰めていたのね」
放っておくこともできたはずだ。この時期だけと言っていたし、少しの間見て見ぬふりをしておけばいい。人間のことなど、化け狐の彼らには関わりの無いことなのだから。
だが、その泣き声を憐んだ彼らは、子供達の霊を慰めた。紅葉が色づかない時には、人間に手を借りてまで。
「あの子供達が成仏できたのは、あなた達のおかげだわ」
「……」
ミソカが細い目をわずかに見開いて、やがて顔を伏せて溜息を吐く。
「……僕よりも彼女の方が、よほど青い。そうは思いませんか、黒の御方?」
『俺に言わせりゃどっちもどっちだな』
ミントはくああ、と欠伸を零す。
『それより、早く帰らねぇと日が落ちるぞ。見ろ、チビがうとうとしだしたじゃねぇか』
ミントの指摘通り、片付けの手伝いをしていたノゾミが眠そうに首を揺らしていた。スグリは急いで荷物をまとめる。
「それじゃあ、帰……ええと、どうやって?」
『ここに来た時と同じだろ。おい、巾着は……』
言いかけたミントの前で、ぼんっ、と何やら煙が上がる。
何が起きたのかと目を丸くするスグリの前には、一人の青年が立っていた。
「え……」
「こっちの方が、弟を抱えやすいもので」
背の高い青年は、長い白銀の髪を持ち、水色の狩衣を身に纏っていた。その面影は、以前月夜の茶会で見た男性とそっくりだ。
「み……ミソカ君?」
「はい。実はこちらが、本来の姿でして」
にっこりと糸目で笑う彼は、ノゾミと荷物を軽々片手で抱えた後、スグリに近づく。ぽかんとしたままのスグリの腰に長い腕を回して、ひょいと抱え上げた。
「わっ」
『おい何してんだ!』
「せっかくです。僕らの山を見て行って下さいよ」
言うなり、ミソカはとんと地面を蹴った。強い風が吹いて、まるで先ほどのラング・ド・シャのように空高く舞い上がる。
眼下に広がる山々は夕日に照らされ赤く染まり、とても美しかった――
「……あれ」
気づけば、スグリはポムグラニットのカウンターにうつ伏せて眠っていた。
まさかまた夢オチ……と見せかけた現実だと分かったのは、カウンターの上に紅葉が二枚置いてあったからだ。大きい紅葉と、小さい紅葉。色が変わる途中なのか、珍しく緑色と黄色と赤色が混じったそれは、とても綺麗なものだった。
ちなみに、夕食時にぶつぶつとミントが『ドラゴンの次は狐かよ……』と言っていたのだが、スグリにはよく分からなかった。