糸屋の蜘蛛
玲奈達は、冥界の商店街を歩いていた。周囲には、長屋のような建物が連なり、見たこともないようなものが売っている。干物屋には怪や妖の干物、薬屋には草木を干したものが置いてあるのが見えた。それを、死神達が買っている。
智は、それらには全く目もくれず、糸屋、冥界の服屋に向かっていた。行った事があるのか、その足に迷いはない。
そして、商店街の奥に“糸屋”という看板が見えた。その看板が付いた長屋の扉を開けると、色とりどりの糸や生地が売っている。智が呼び鈴を鳴らすと、着物を着た一組の男女が現れた。
「いらっしゃい智君、クリスちゃんのお使いに来たのね」
「こんにちは、シルクさん、ジュートさん」
智は二人にお辞儀をして、中に入って行った。
シルクとジュートは、それぞれ絹糸と黄麻を司る死神だった。どうやら、死神達は現世の神と同じように、それぞれものの力を司っているらしい。智の母親の晶子ことクリスは、水晶を司っていた。
智は紙袋を取り出して、シルクに手渡した。
「シルクさん、こちらが頼まれていたお品物です。」
「ありがとう、またクリスちゃんにも伝えといてね」
シルクは箱を受け取り、建物の奥に入って行った。そして、黒い服を持って戻って来る。それは、智がいつも着ている黒いパーカーだった。
「服そろそろ小さくなるでしょ、また造っておいたわよ」
智はそれを受け取って着てみた。少し大きめに造ったのか、今はぶかぶかだったが、成長すればちょうど良くなるだろう。
「いつもありがとうございます」
智はパーカーを脱いで、自分の霊力が入った瓶を取り出して、その中身を1滴垂らした。すると、パーカーに智の霊力が宿る。
「そうやって使うのね」
「少量で効果があるそうです」
智は、それを紙袋に詰め込んだ。そして、シルクに礼を言って、玲奈の横に来た。
玲奈は色とりどりの布や糸を見て、楽しんでいた。
「綺麗ですね、ここでは服を造っているんですか?」
「そうなの、私達は蜘蛛の怪から糸を取って、それを紡いで布にして、服を造るの。」
建物の奥には工房があった。そこでは何人もの死神達が粗末な機械を使って、手作業で糸を紡ぎ、布を織っている。
工房で働いている死神の一人が、玲奈達に気付いて声を掛けた。彼女はコットンという名で、梨乃と同い年くらいに見えた。どうやら、シルクとジュートの娘らしい。
「蜘蛛の糸は柔らかくて丈夫で、しかも燃えにくいので、死神の服に一番よく使われるんですよ。他には、怪の毛や、綿花も使われるんです。現世もそうなんですよね?」
「蜘蛛の糸で服は造らないけど…、綿花や動物の毛は使うよ。」
コットンは建物の奥に入って、小さな窓の横に来た。
「この建物の地下で、蜘蛛の怪を飼っているんです。見ますか?」
コットンはそう言って、窓を開いた。玲奈達が覗くと、そこには巨大な蜘蛛が別の怪の肉を食べ、尻から糸を出していた。その先には糸車が付いていて、仕掛けで巻き取るようになっている。
「この糸を紡いで、更に強い糸を造るんです。その糸を織って、布を造るのが私の仕事です。」
コットンは玲奈達にそう説明した後、別の死神に呼ばれて、仕事に戻ってしまった。
そして、玲奈達は休憩室に入って行った。ここは、働いている死神達が、普段休憩に使っていて、今は誰も使っていない。玲奈はそこの畳に座って、リュックを開ける。
「お母さんからクッキー缶貰ったんだった、食べる?」
智は、玲奈からクッキーを受け取って食べた。
「美味しい…」
梨乃と勤も、クッキーに手を伸ばして食べた。シルクは、現世の食べ物は見たことないらしく、不思議そうにそれを眺めている。
「これ、現世の食べ物なの?」
「クッキーです、美味しいですよ」
玲奈は、シルクにクッキーを手渡した。シルクは見たこともない食べ物に、最初は不審がっていたが、いい匂いがする事に気付いて一口齧った。
「あら、美味しいわ」
初めて食べたのが余程美味しかったのか、シルクは、玲奈に貰ったクッキーを一枚食べきってしまった。
玲奈は冥界の畳に寝そべっていた。触り心地は現世のものとほとんど変わらないらしく、玲奈は茂の家に居た時を思い出す。
「ここ、おじいちゃんの家みたいで落ち着くな…」
玲奈はクッキー缶をしまって、リュックを枕代わりにして眠ってしまった。
「玲奈、こんな所で寝るんじゃない!」
「いいわよ、ゆっくりしてね」
シルクはそう言って、仕事場に戻って行った。
そして、四人はしばらく眠っていた。流石の智も、ここまで歩いたのに疲れたのか、すっかり眠ってしまった。
コットンは蜘蛛達が居る部屋の窓をうっかり閉め忘れていた。そこから、一匹の巨大な蜘蛛が、地下から這い上がってきた。しかし、不思議な事に誰もそれに気づかない。
蜘蛛は玲奈達に気付いて近づき、腕を伸ばす。
「人間の子か、久々に見たな。喰ってやろうか」
蜘蛛がそう言って玲奈達を食べようとした時、智の横に光るものがある事に気づいた。
「うん?こりゃ何だ?」
それは、智がしまい忘れた霊水晶の小瓶だった。その中には、中身が残っている。霊力の匂いを感じた蜘蛛は、大きな腕で器用にそれを開け、中身を飲み干した。
すると、蜘蛛の身体が光りだした。そして、光を放ちながら身体が変化を始める。初めての感覚に、蜘蛛はしばらく気を失っていた。
玲奈達が目を覚ますと、智の横に見たことない少年が倒れている事に気づいた。玲奈達より幼い見た目で、ここで働いている死神ではなさそうだった。
少年は、蜘蛛の巣の模様が着いた白い衣を纏っている。その横には、智の小瓶があった。どうやら、それを飲み干してしまったらしい。智は、その少年の妙な気配に気づいた。
「こいつはまさか…、ここの蜘蛛の怪か?!」
智の声に気づいた少年は、目を覚ました。
「うるさいな…」
少年が起き上がると、先程自分が食べようとしていた子供達が、自分よりも目線が高い事に気付いて、驚いた。
休憩室には鏡があった。少年はそれで初めて変化した自分の姿を見る。
「なんだよ、この姿は…」
少年は、鏡の前の自分の姿に戸惑いを隠せなかった。先程まで、玲奈達よりも巨大な蜘蛛だったはずだ。それなのに、今は玲奈達よりも小さな少年の姿になっている。
徳を積んだり、人の霊力を取り込んだ怪は、人の姿に変化する力を持つ事がある。術や先天的に人の姿になれる妖と異なり、変化出来る怪の人数はそう多くはない。
また、その際に変化した姿は、実際に生きた年数よりも、精神年齢が反映されるようで、蜘蛛の怪は、七歳くらいの少年の姿になっていた。
「君、名前は?」
少年は、戸惑いながらこう答えた。
「名前は…、無いんだ。何百年と生きて俺に名前を付けて貰った人は誰も居ない。」
玲奈は、少し考えてこう答えた。
「じゃあ…、結紀ってどうかな?結ぶに紀、両方糸編の漢字だよ」
結紀は、人間の少女に名前を付けられた事に驚いたが、その名前は気に入ったらしく、こう答えた。
「結紀…、分かった。今日から俺は、結紀だ。」
結紀は、最初は嫌だったこの姿にも慣れ、それを他の死神にも見せようと作業場に向かおうとした。
その時、そこからコットンが飛び出して、玲奈達にこう叫ぶ。
「大変です智さん達!外で怪が暴れています!」
智が表に出てみると、そこでは幾つもの触手を生やした異形の怪異が、商店街で暴れていた。武器を持っていない死神達は必死に逃げ、鎌を持った死神達は、店を守ろうと必死に戦っている。
だが、その怪は死神達の攻撃をいとも容易く交わし、触手で攻撃をしていた。
「俺の縄張りを荒らすな!」
同じ怪の結紀は、その怪に恐れる事なく飛び出す。
「俺達も続くぞ!」
「了解!」
梨乃と智はそれに続いて、戦いの中に向かっていった。