《お茶漬け》襲来
フィリスさん(イギリス在住)の話
「このまえ、うちに真姫奈が遊びに来たの」
昼下がりの午後。
優雅に紅茶を飲み干した後、フィリスはそう話し始めた。
「それで、折角だから料理を振舞ってみたのだけど、真姫奈ったら食べるなり失神したの」
「フィリス、いったいどんなゲテモノを作ったんだ……?」
俺の声はすでに震えている。
未亜、玲於奈に続く新たなメシマズ勢の出現に、胃袋がキリキリと痛み始めていた。
「ゲテモノとは失礼ね。お茶漬けよ、お茶漬け。"When in Rome, do as the Romans do."って言うでしょ? 日本人らしいメニューにしてみたの」
ふむ。
調理工程を考えるに、お茶漬けならそうそう大惨事にはならないはずだ。
ご飯にお茶をかけるだけだしな。
だとすれば、真姫奈がノックアウトされた原因はおかずだろう。
「お茶漬けの他には、何を出したんだ?」
「何もないわ」
「へ?」
「でも安心して、ウナギたっぷりのお茶漬けだったから」
ウナギ?
予想外のフレーズに、俺の思考は数秒停止する。
お茶漬けに、ウナギ。
それは名古屋名物の“ひつまぶし”じゃないだろうか。
「もちろん自分で鰻をさばいたわけじゃないわ。ちょうどゼリー寄せの缶詰があったから、それを入れてみたの」
なんてものを混ぜるんだ、この人。
ウナギのゼリー寄せ。
イギリスの伝統料理であり、ぶつぎりのウナギをゼラチンで固めたものだ。
生臭さと泥臭さのハーモニーによって数多くの外国人を卒倒させてきたという。
「それは誤解よ、ヨシト。お酢やチリソースをたっぷり使えば、まあまあ食べれる料理になるんだから。もちろん今回もそうしたわ」
「……お茶漬けに入れたのか。酢とか、チリソースとか」
「ええ」
上品な笑顔で頷くフィリス。
「そのあと一晩寝かせて、真姫奈と一緒に食べたの」
「なぜ寝かせるんだ……」
「えっ? 日本人ってそういうの好きでしょ? カレーでも味噌汁でも、なにかと『一晩置いたものはうまい』って言うじゃない。私にはちょっと理解できないけど」
理解できないものを理解できないまま扱うのはやめてほしい。
俺、お茶漬けを一晩寝かせる人間なんて初めて見たぞ……。
「でも確かにすごくおいしかったわ。ぺちゃぺちゃのお米が面白い食感でね、お茶にチリソースの酸味が混じって、すうっと鼻に抜ける感覚がたまらないの」
「そ、そうか……」
さすが通称“最悪の魔女”。
聞いているだけで鳥肌が立つ。
日本人としての魂を蹂躙されているような気分だった。
さらには、
「残りを今日、持ってきたの」
「はい?」
フィリスは鞄から水筒を取り出す。
かなり大型で、保温が効くものだ。
フタがそのままコップになっていて、そこに、唐辛子やら米と思しき残骸の浮かんだお茶が注がれる。
「真姫奈が気絶した理由を調べるために、サンプルを集めてるの。ヨシトも協力してくれない?」
「え、いや……それは…………」
漂ってくる匂いからしてヤバい。
ウナギのくさみと、酢、チリソースが混じり合って、発酵物じみた臭気を漂わせている。
「ヨシト、もうすぐ期末考査だけど、成績は大丈夫かしら」
「じ、実技では満点だな」
「学科は?」
「うぐっ」
「私の科目については、授業さえ普通に受けてたら、平常点ってことで30点くらいボーナスするつもりなの。……でもヨシト、貴方、いつも居眠りしてるわよね」
「……ごめんなさい」
「もし協力してくれるなら、平常点のこと、考えてあげないでもないけど」
くっ。
成績をタテに身体を要求するだなんて、まるでエロ同人じゃないか。
いやまあR-18展開なら大歓迎なんだが……これは、R-18Gだろ、おい。
どうする。
どうする。
《泡》以上の強敵……《お茶漬け》を前に、俺は決断を迫られていた。
* *
死ぬかと思った……。
もはやあれはお茶漬けじゃない。
屍肉の腐汁のような味だった。
「大丈夫、ヨシト?」
「もうだめだ……かみはしんだ…………」
ぱたんきゅう。
俺はリビングで仰向けに倒れていた。
両足はこたつに突っ込んでいるので暖かい。
「ごめんなさい、まさか本当に食べるとは思ってなかったの」
フィリスは俺の頬を労わるように撫でた。
ちなみに現状、膝枕をしてくれている。
ほどよい弾力と温かさはなかなか心地よく、このまま眠ってしまいたいくらいだった。
……まあ、胃袋が悲鳴をあげているせいで寝るに寝れないんだけどな。
「真姫奈が気絶した時点で、とんでもない劇物ってことは分かってたわ。でも、それはそれでひとつの成果でしょう? だから、誰かに見せたくって、つい」
「俺のところに持ってきた、と。――ううっ」
「ヨシト、無理せずに吐いてきていいのよ」
「いや、大丈夫だ……! どんなものであろうと、作ってもらったなら、食べる。食べて、消化する……ッ!」
キュピーン! (謎の擬音)
追い詰められた肉体が、いま、食後から数えて6度目の覚醒を遂げた。
脈動する胃袋。
削れた胃壁が猛烈な速度で再生し、さらには自己進化を始める。
《お茶漬け》を倒すため、今こそ立ち上がれ! 胃の細胞!
「もう、無理しちゃって」
呆れたようなため息。
フィリスは俺の頬を両手で挟み込んだ。
グイ、と強く。
おかげでこっちはタコみたいな顔になってしまう。
「ばびぶぶんば」
「何となくよ、何となく。……他の子たちがヨシトに惹かれる理由、ちょっと分かったわ」
「ひふふ?」
そんなものがあるのだろうか。
「誰かのために無茶するのもいいけど、ほどほどにね。そのうち刺されるわよ」
「ぼ、ぼう」
実はすでに何度か刺されてるんだが、伏せておいた方がいいだろう。
無用な心配はかけたくない。
「ところで、ひとつ訊いてみたいのだけど」
フィリスは手を離すと、こちらを覗き込んできた。
銀の瞳が怜悧な光を湛えている。
こちらの魂までも射貫くような、鋭い視線。
「ヨシト、貴方自身の幸福って、なに?」
「今のこの生活だよ」
「本当かしら」
「ああ」
「ハーレムだから?」
いや、まあ、確かにそれは否定しないが――
「好きなんだ。誰かのために、何かすることが」
自分でも偽善者めいた発言と思うが、本音だから仕方ない。
文句があるなら、幼いころの俺にヒーロー番組ばっかり見せてた母さんに言ってくれ。
「皆を幸せにできる。……その機会があることじたい、俺にとっては幸福なんだよ」
前世。
八矢房芳人だったころ、大切な人はみんなこの手から零れ落ちていった。
だから尚更に、現在の自分が恵まれていると断言できる。
って。
ガラにもなく、気障ったらしいことを語ってしまった。
きっと《お茶漬け》の毒が頭に回ったんだろう。
「……すまない、今のは聞き流してくれ」
「無理ね」
フィリスは短く答えると、俺の額にくちづけを落とした。
どうやら催眠魔法が籠められていたらしく、ほどなくして眠気が訪れる。
「今日はこのまま休みなさい。胃もつらいでしょう?」
「でも、せっかくフィリスがいるのに」
「いいのよ。私の幸福に貢献してちょうだい」
それはどういうことだろう。
訊き返すより先に、俺の意識は眠りに呑まれていく。
やがて何も分からなくなる、その直前、
「……おやすみなさい。私といる時くらいは、ゆっくり羽根を伸ばしてちょうだい」
優しく髪を撫でられたような気がした。
「大晦日の夜に」の続き(めいたもの)はノクターンにあります。
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