母であり姉であり恋人であるひと
年の暮れ。
ふだん家事をやってくれている水華さんへのお礼として、芳人は2人で出かけることにする。
そして、
デートの当日。
「水華さん、待った?」
「いいえ、遅刻しました」
「俺より先にいたような……」
「待ち合わせ場所は駅前の大時計"前”ですが、私が立っていたのは横です。……いまやっと前に来ました。お待たせしてしまい申し訳ございません。そこのホテルで愚かなメイドに罰を与えていただければと――」
「いやいやいや、今日はそういうのじゃないから」
「芳人様、このシーズンによく使われる言葉をお教えしましょう。『とりあえずナマ』――これは忘年会のみならず、デートにも通じる真理ではないでしょうか」
この日、水華さんの服装はいつものエプロンドレスではなく、白いタートルネックの縦セーターだった。
身体にぴたりと張り付いて、大きな胸から腰のくびれまでのラインがくっきりと出ている。
正直なところ俺の理性はグラグラだ。
けれど、ガマン、ガマン
水華さんに楽しんでもらうことが、一番の目的なんだから。
俺の勝手な欲望に付き合わせるのは申し訳ない。
* *
中学卒業と同時に、俺は吉良沢の家を出た。
今は伊城木を名乗り、山の手の一軒家で暮らしている。
ただ、申し訳ないことに、ほとんどの家事は水華さんがやってくれていて――今日はそのお礼を兼ねてデートに誘ったのだ。
* *
電車に乗った。
JRの快速、2人掛けのボックス席に並んで座る。
「ところで芳人様、どうして駅前で待ち合わせにしたのですか? 一緒に家を出てもよかったのでは」
俺は一人暮らしというわけじゃない。
同じ家に水華さんや小夜ねえも住んでいる。
ただ、
「待ち合わせのほうがデートっぽいかな、って」
そんな風に思うのだ。
「ふふ」
微笑む水華さん。
ひとさし指で、俺のほっぺたを突っついた。
「芳人様は可愛らしい方ですね」
「もしかして、俺、馬鹿にされてる?」
「いえいえ。むしろ好感度があがりました。今すぐ食べてしまいたいくらいです」
「……えーと」
ぎゅ。
俺は通路側の席に座っていたんだが、水華さんが密着してくる。
「どうかしましたか?」
「……ううん」
なんかいいよな、この距離感。
暖かくて柔らかくて、すごく安らぐ。
「水華さん、眼鏡ずれてるよ」
「直してくださいますか?」
「オッケー」
とはいえ横並びの姿勢じゃ難しいから、やや向き合うような形に座り直す。
その拍子に、
「んっ……」
「……!?」
一瞬だけ、唇が重なった。
「水華、さん?」
「とりあえず今は、これで満足しておこうかと」
やけに妖艶な表情とともに、小さく舌を出す水華さん。
俺は柄にもなく赤面してしまう。
どうにもこの人には、勝てる気がしない。
1時間ほどして、俺たちは快速電車を降りた。
そこからさらにバスで30分。
辿り着いたのは海近くの遊園地、白城セントラルパーク。
略称、SCP。
一時期は経営難で閉鎖され、心霊スポットとして有名だったものの、今はまったくその面影を残していない。
真月財閥が買い取り、某ネズミーランドに劣らない一大テーマパークへと変貌を遂げていた。
「芳人様、チケットを買わなくてよろしいのですか」
「だいじょうぶ。フリーパスなら確保してある」
「綾乃様に譲ってもらった、と」
「いや、自分の貯金で買ったよ」
もちろん綾乃を頼る選択肢もあったが、それはさすがにどうかと思う。
デートくらいは己の甲斐性で済ませたい。
「では行きましょう。――こういうところは初めてなので、楽しみです」
「乗りたいものってある?」
「そうですね、なら……」
最初に水華さんが指差したのはコーヒーカップだった。
それほど混んでおらず、すぐに乗ることができた。
「懐かしいですね」
「あれ? 水華さん、遊園地は初じゃなかったっけ」
「いえ、昔のことを思い出しまして。覚えていらっしゃいますか?」
俺に関係があって、コーヒーカップがらみ……ううむ。
「もしかして、ルンパ?」
円形の、自動運転の自動掃除機。
まだ赤ちゃんだったころ、アレに乗って遊んでたっけ。
「正解です。あのころに比べると、芳人様も大きくなりましたね」
しんみりとした表情を浮かべる水華さん。
ごく短い期間だったとはいえ、この人は俺にとって育ての親みたいなものだ。
なんだか少し、センチメンタルな気分にさせられる。
「まあ、だからこそ組み敷かれた時の背徳感もたまらないのですが」
って。
なんか色々と台無しだー!?
というか意味深な流し目とか勘弁してください。
男子の純情を弄ばないでほしいです、マジで。
やがてコーヒーカップが回り始める。
「折角ですし、多く回してみましょうか」
水華さんがハンドルを握る。
カップがグルグルと回転し、周りの景色が流れる、流れる、流れ――。
「うう……」
って、水華さん!?
まさか開始数秒で酔うとは思わなかった。
と、とりあえず、回復魔法だ、回復魔法。
「も、申しわけありませんでした……」
「こっちこそごめん。水華さん、乗り物酔いするほうだっけ?」
「普段は平気なのですが、相性が悪かったようで…………」
「とりあえず休む?」
「大丈夫です、次に行きましょう」
「乗り物系はしばらくやめておいた方がいいかな」
とすると……ふむ。
「近くにお化け屋敷があるし、そこはどう?」
「芳人様、もしや暗がりに乗じてあちこちを触ったり揉んだりするつもりでしょうか。いいですね、すぐに行きましょう」
「あ、はい」
急に活気を取り戻した水華さんに引っ張られ、お化け屋敷へ。
そこは閉鎖されていたころのSCPをモデルにしたもので、当時有名だった心霊現象がいくつも再現されている。
たとえば、通称"イナミさん”。
昏い目をした長身の女性で、こちらが眺めているかぎりは動かない。
けれど目を逸らしたとたんに襲い掛かってくる。
もちろんお化け屋敷にいるのは偽物、人間が演じているだけなのだが――
「あっ、ヨッシーおひさー。ミズカちんも元気ー?」
「へ?」
「お久しぶりです、イナミさん」
なんか本物がいますよココ。
中学の時に片っ端から退治したはずなんだが、どうなってんだこれ。
「綾乃ちゃんが助けてくれてね、今はここでバイトしてるの」
おいマジかよ。
リアル志向のお化け屋敷は色々あるけど、これはちょっとやりすぎじゃないか?
「もしかしてデート? 熱いねー、ヒューヒュー」
なんかもう色々と台無しだ。
ホラーじみた雰囲気はどこへやら、うっかり知り合いの家にあがりこんでしまったような気まずさばかりが漂う。
「まあ、他の子たちにはちゃんとオバケするように言っとくから楽しんでよ。じゃ」
気さくに笑って姿を消すイナミさん。
「元気そうでなによりですね」
「ああ、うん……」
そのあとも動く絵画やら爬虫類めいた怪物に遭遇したが、全員、揃いも揃って生暖かい視線を向けてきた。すれちがいざまポケットに、薄さ0.01mmのアレを捻じ込む輩もいる始末。
「疲れた……」
「ご休憩を所望ですか」
水華さんが言うときわどい意味に聞こえるのはなぜだろう。
「次行こうか、次」
「では、あれはいかがでしょう」
指差した先は、天高く。
地上約147メートル、世界最大級のフリーフォール"エンジェル・ダウン”。
絶叫系は……いける、いけるはずだ。
前世じゃ苦手だったが、いまの俺は次元の壁やら何やらを超越する存在。
たかが高所からの落下ごときでビビるはずもない。
うおおおおおおおおお……ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――えっ、次はジェットコースター? 時速300キロメートル? ひええええええええええええええええええええ! ぎょわあああああああああああああああああああああああ! ま、まだだ。追い詰められれば覚醒するのが俺だ。水華さん楽しそうですね。つ、次は回転ブランコですか? それなら、まあ……ってなにこれ遠心力でほぼ垂直になってるんですが怖い怖い怖い怖いぴゃあああああああああああああああああ! 死ぬ、マジで死ぬ! 水華さんちゃんと安全バー掴みましょうよ落ちますよコレほんと落ちるってひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
はぁ、はぁ。
お、俺のライフはもう限界だ……。
あれ以上の高速戦闘は慣れっこなのに、どうしてこんなに消耗しているのか。
「自発的に動く場合と、そうでない場合では話がまったく別ですから」
満足げな表情を浮かべて水華さんが呟く。
「いつだって、他人にされる場合は刺激が強く感じられるものかと」
「なるほど……」
「かなりお疲れのようですし、そろそろ観覧車でゆっくりしませんか」
ナイス提案。
時刻も午後5時を回ったところで、空は夕焼け。
きっと景色は最高だろう。
実際、そのとおりだった。
SCPは海沿いにあって、観覧車からは水平線に沈む夕日を眺めることができた。
「綺麗ですね」
「……水華さんのほうが綺麗だよ」
「褒め言葉としては、あまり上手ではありませんね」
と言いつつ、こちらに寄りかかる水華さん。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「いつも家事をしてもらってるぶん、お返しになったかな」
「はい、もちろんです。素敵な一日になりました」
それはよかった。
……って、うわっ!?
胸元に抱きすくめられる。
顔に感じるのは、やわらかなセーターの感覚。
さらにその向こうの、豊かなふくらみ。
「芳人様、このあとの予定は決まってらっしゃいますか?」
「2人で帰宅、かな」
「家のことですが、今夜は静玖に任せています。私が戻らなくても大丈夫でしょう」
「えっと……?」
「察しが悪いところも好きですよ」
耳元に、艶めかしい吐息を吹きかけられる。
「デートの楽しみには、女性としてのものと、雌としてのものがあります。……前者はもう十分ですから、後者を満たしていただけませんか?」




