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第88話 俺は、嫌だ。






「いやだ」


 答えなんて、最初から決まっていた。

 勝算? リスクとリターン? 地に足の着いた判断?

 くだらない、小賢しい、馬鹿馬鹿しい。

 ぜんぶ『臆病』の言い換えだろう。

 纏めて丸めて屑籠に捨ててしまえ。

 

「俺は、いやだ」


 ダダをこねる子供のように呟いて、アリシアを押しのける。

 黒獣の剛腕が迫る。

 衝撃。

 身体が宙を舞っていた。

 夜空の星々が、やけに近い。

 きれいだ。


 その眺めを遮るように、黒獣が追い付いてくる。

 地面に叩きつけられた。


「ぐぅ……あッッ……!」

 

 今度は、痛みがあった。

 口元から血が零れる。


「ヨシト!」

「……来るな」


 駆け寄ろうとするアリシアを、目で制した。

 歯を食いしばって、立ち上がる。

 全身がバラバラになりそうだ。


 けれど、ほんの少しだけ状況はよくなっている。

 見(・)え(・)た(・)。

 黒獣の動きを、眼で追うことができた。

 ここまでに100回もボコられているから、101回目のなんとやら。

 僕は死にましぇんの武田徹〇。

 オーケー、ジョークも回す余裕もある。


「俺は、嫌だ」


 アリシアを盾にしながら?

 チクチク敵を突っついて?

 隙ができたら一人で逃げましょう?


 なんだそりゃ。

 格好悪すぎだろ死ねよ負け犬。

 生きるための最適解がそれだとしても、男としては最悪だ。

 

 犠牲を許容し、清濁を併せ吞む。

 それが大人だというのなら、俺はずっと子供のままでいい。


「アリシアは、後ろで、見ててくれ」


 大きく息を吸い込み、懐かしい感覚に身をゆだねる。


 幼いころ、俺は自分をヒーローと信じていた。

 守るべき人、帰るべき場所。

 大切なものを見失わない限り、絶対に負けやしない。


 そういう存在だと、己を、強く、強く、再定義する。


 失ってばかりの勇者――八矢房芳人はただの過去。

 心の中でそっと決別を告げて、

 

「お前には負けない。こっちにだって、意地がある」


 超加速で肉薄する黒獣、その拳を――片手で受け止めた。


 


 


 * *




 


 されど天秤は伊城木芳人に傾かない。


 かたや神、かたや人。

 存在の格というものが違う。


 喩えるならば羽虫が巨像に――否、太陽に挑むようなもの。

 脆弱な身体は成層圏を越えられず、勝負自体が成立しない。

 始まる前から終わっているはずだった。

 しかし。


「いける、まだ、いける……ッ!」


 100、200、300――。

 何度となく手足を砕かれた。

 何度となく臓腑を抉られた。

 全身は激痛に苛まれているであろう。

 にもかかわらず、肉体を再構築して、

 

「この程度で、俺が、折れるわけが、ないだろう!」


 立ち上がった。

 

 そう、再構築である。

 《時間術式》での巻き戻しとは異なる、はるか高みに位置する力。

 芳人本人は自覚していないものの、彼は神域へと至りつつあった。


「ィ――――――ッ――――」


 それは黒獣にとって過去の再現だった。

 自らが《泡》を打ち破ったのとまったく同じ過程。

 

 強大な敵を糧(おや)とし、立ち向かいながら成長を続ける。

 加速度的に、指数関数的に、天文学的に。

 やがてその牙は敵手を(おやごろしを)食い破る(なしとげる)だろう。

 

「マダ、ダ」


 しかし黒獣もまた“芳人”である。

 数十億年ぶりに言葉を紡いだ喉は、歯車が軋むような響きをあげた。


「俺ハ、コノ程度ジャ、ナイ……!」


 神威が吹き荒れ、無形の刃となって放たれる。

 それはひとつひとつが《死》という概念を内包し、かすかに触れただけでも対象を崩壊させる。

 一撃必殺。

 《生》を終焉させる無慈悲の処刑鎌であった。

 芳人の首が落ちる。

 全身が塵に変わり――コンマ1秒のうちに再生を果たす。


「それが、どうした」

 

 双眸に闘志は絶えず、むしろ、深紅の輝きを増していく。

 芳人の背後で、ゆらり、と大気が蠢いた。

 蜃気楼である。

 燃え上がるような神威が形を成し、流星群となって降り注いだ。

 

「ヌ、ァァッ……!?」


 黒獣は驚愕する。

 威力そのものは微少であり、小石を投げられた程度。

 だが戦いの起点が『羽虫と太陽』であったことを考えれば、あまりに爆発的な進化であろう。


「負ケル、モノ、カ……!」


 芳人を突き放すように、黒獣も己を高めてゆく。

 全身から稲妻が迸った。


 ところで前世における芳人の苗字――『八矢房(はやぶさ)』についてだが、彼(か)の一族の系譜を辿ると、やがて古代日本の九州南部に至る。ここに住まう人々は『薩摩(さつま)隼人(はやびと)』あるいは『隼人(はやひと)』と呼ばれ、雷神の加護を受けた猛者ばかりであった。

 

 ゆえに、だろうか。

 芳人は《火炎術式》のみならず《雷撃術式》も得意とし、黒獣に至っては言わずもがな。


 ――雷(いかずち)は極白の奔流と化し、森羅万象すべてを区別なく塗り潰した。


 後には草木も残らず、星は砕け、月も消え去った。

 あたりは暗闇に閉ざされ、寂寞(せきばく)たる荒野が広がるばかりである。


「アリ、シア……?」


 呟く黒獣。

 真紅の瞳には理性の光が戻りつつあった。

 芳人を打ち倒すために二度、三度と覚醒を遂げた結果、その副産物である。

 

「ァ、ァァァ、俺ハ……俺ハ…………」


 夢中で戦うあまり、アリシアを巻き添えにしてしまったのだろうか。

 黒獣の巨体が震えた。

 慟哭の叫びをあげる、その前に。


「ヒロインに手を出すとか、負けフラグだろ」


 黒獣の足元で、その影がぐにゃりと歪んだ。

 中から浮かび上がってきたのは、芳人とアリシア。

 

 手品のタネはごく単純なものである。

 《虚影術式》の応用。

 黒獣の影を支配下に置き、そこにアリシアともども避難したのだ。

 

「第2ラウンドだ。俺はもう追(・)い(・)付(・)い(・)た(・)。じきに追い抜く」

 


 




 




「ヨシト……」


 鼓膜を破きかねない轟音。

 芳人と黒獣が、血肉を削りながらぶつかり合う。

 

 アリシアはまばたきもせず、その姿を凝(ジッ)と見詰めていた。

 

「――――ぉぉぉぉぉおおおおああああああああああああっ!」

「――――ォォォォォオオオオアアアアアアアアアアアアッ!」


 初めとはうってかわって、両者の力量はまったくの互角。

 だがそれは、決して平衡状態などではない。

 

 芳人が新たな力に目覚めれば、追い詰められた黒獣がそれ以上の力に目覚める。

 それによって追い詰められた芳人が、さらに大きな力に目覚める。

 

 互いに激突を繰り返し、どこまでも高みを目指す二重螺旋。

 であれば、その勝敗を決する要因は何なのか。


「お願い、負けないで」


 アリシアは祈るように両手を組む。


 ――もはやこの戦いに私が割り込む余地はない。


 ゆえに見ていることしかできず、しかし、無力感を覚えるようなことはなかった。


 先程の雷撃。

 あの見境のない暴力から、芳人は私を守ってくれた。

 ううん、それだけじゃない。

 彼がこうして戦っているのも、つまりは、私を失いたくないから。

 

 それがとても嬉しい。

 求められているという実感に、胸がきゅっと熱くなる。


「頑張って、ヨシト」


 私だって本当は、お別れなんかしたくない。

 彼もきっと同じことを願ってて、それが戦う力になっていると確信できるから――


「貴方は強い。誰よりも強い。だって」


 黒獣は孤独だけれど、


「芳人は、ひとりじゃないから」


  

 



 * *




 


 永遠にも思える繰り返し。

 殺して、殺され。

 滅ぼして、滅ぼされ。

 蘇り、黄泉帰り、よみがえる――。


 いたずらに規模だけが大きくなるだけの千日手。


 俺と、黒獣。

  

 その勝敗を決したのは。


 

「芳人は、ひとりじゃないから」



 ふと耳に入った、アリシアの呟き。

 咄嗟の閃き。

 俺はあえて黒獣の一撃を受ける。


「っ……!」


 胸を貫かれた。

 心臓を消し飛んだが、そんなのは大した問題じゃない。

 腕を引き抜こうとする黒獣。


「捕まえた」


 それを、がちりと握って、呼びかける。

 誰に? 

 黒獣じゃ、ない。

 ヤツの中にいるであろう、ヤツにとってのアリシア。

 俺の場合と同じように、黒獣が気付いていないだけで、実はすぐそばにいるのかもしれない。

 だとしたら応えてくれ。




 今のコイツは、君が願ったヨシトの姿なのか?

 人間としての幸福を投げ捨てた怪物(かみさま)。

 それを眺めて喜んでいるわけが、ないよな。

 全部何とかしてやる。だから手伝ってくれ。

 力を貸すから、貸してほしい。

 

 


 ――戦いの中とは思えないほど静かな時間が流れる。




 やがて。


「ゥ……ァ……ァリシァ……ッ…………」


 黒獣の腕が、ずるりと、俺の胸から抜ける。

 追撃はなかった。

 力なく垂れ下がっている。


 俺は見た。

 アリシア。

 師匠、フィリシエラ、シオン――たくさんの人々の魂が、黒獣に寄り添っていた。

 見覚えのない顔は、俺が将来的に出会う相手だろうか。


 彼女らは視線で訴えかけてくる。

 この人の目を覚ましてほしい、と。


 ああ、分かった。

  

 だったらやることはひとつだ。


 拳を握りしめる。

 踏み込んで、腰に体重を乗せて。


 渾身の右ストレートを、ぶちこんだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 隼人よりも薩摩のイメージが強すぎて薩摩なら仕方無いになってしまいますな…
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