エピローグ或いは蛇足の外伝1
事態は決着した。
なにもかもが完璧というわけではないが、収まるべきところに収まった。
誰もが幸せなハッピーエンドとまでは言わないが、十分納得できる結末へと至ったはずだった。
だが、妙だ、なにかがおかしい――
春人という名を持つ船長は、眉間にシワを寄せ腕を組んで悩んだ。
落ち着かない。なにかが奇妙にねじれている。
船長は、ベッドの上で頭をひねる。
気楽に自堕落に居られるはずの場所だというのに、心は勝手に今が厳戒態勢であると判断していた。
あれから、心動船より泰樹内部へ無事に戻ることはできた。
泰樹は良くも悪くも杓子定規だった。心情というものを持たない存在は、当たり前のように彼らを出迎えた。攻撃されたことや脅されたことなど、もはや覚えているかどうかも怪しい。
必要な事柄のみを行うその精神は現在、種の生産に乗り出している。
問題は、泰樹内部にいる人間の方だった。様々な人が密集する船着き場の光景は忘れられない。悲喜交々の罵倒や喝采で出迎えられた。
本来であれば倒さなければならない相手――フユという人型の『聖域』を引き連れ戻ったのだ。反逆者を仲間とし、出現した意物を撃退した。単純に英雄だとはもてはやされることはない。
特に問題となったのはフユだ。
泰樹上層部は、当然のように彼女を処刑すべきと判断した。
人類への反逆者だ、許されぬ大逆を犯したものであり、その罰は極刑が妥当。法の名の下に、公平に扱うべきだ――
研究者や混種は反発した。
『聖域』を拡散させることなく形を保持した。この成果は計り知れない。『成った直後』の混乱を、罪と判断するべきではない――
その場で殴り合いの喧嘩がはじまった。
平行線となる議論は当事者を置き去りに紛糾し、いまだ結論は出ていない。
上層部からすれば、現実世界の人々に対する『言い訳』が必要だった。現在、地上では選挙が近い。急速な事態終結の宣言をしなければならない。
一方、現場で動く彼らからすれば、聖女聖者を殺さずに済む『未来』が必要だった。多くの仲間を救う手段が目の前にある。過去のことなどどうでもいい。
船長からすれば、どちらも敵となる可能性があった。
――馬鹿が下手な行動に出ないとも限らねえ……
処刑を求める側はもちろん、聖域人化の手段を求める方も油断ならない。『効率的な実験』をしようとする短絡者が出てきかねない。
おぼろな記憶しか残っていないが、身内がその手の馬鹿だったはずだ。容赦のないその実行力は、骨身に染みていた。
だからこそ、聖女と『聖域』――ナツとフユの二人を、船長の私室近く、意海内に浮かぶ心動船に押し込め、いざとなれば全員で逃げ出せるようにした。
気分としては逃亡者、追跡者が現れたならば即座に逃げ出す構えだ。これはこれで、少し楽しい。
「……」
船長が心動船内部の様子を『接続』を通して伺えば、笑いさざめく声が聞こえた。
聖女からすれば、「友達と存分に遊べること」が、ただうれしくて仕方なかった。
聖女は意海へ出たり入ったりを繰り返していたが、今はハンモックで寝転がり、ぜえぜえと仰向けで肺だけを動かしていた。
汗だくだが、口元は笑っている。
フユはいまだに残る繭の中から腕だけを伸ばし、おそるおそるという具合に手を握ろうとした。
聖女は、その手をパンと打ち鳴らす。ハイタッチの格好だ。
「ちょっと休んでから、もう一回な!」
「意海内鬼ごっこは、もうやめましょうよ……」
四方八方に広げた心動船の根を足場とする、無駄に高機動かつ高難易度な遊びだ。
言うまでもなく、大変危険だ。
――この心労が原因か?
一つの脳で目の前の現実と心動船内部、二つの事柄に注意を払わなければならない。聖女が目を離せばなにをしでかすかわからない以上、いざとなれば船に乗り込み、回収する必要がある。
まったく、大変だ。
座りの悪い、落ち着かない気分でいるのは、きっとこれが原因……
……さすがに、そうではないとも思えた。
ベッドの端、少し尻を動かせば落ちそうな地点で、窮屈に腕を組む。
ならばいったい、他にどんな理由が……?
ちなみにベッドの反対の端では、これ以上ないほど縮こまった状態の魔女がいる。
すでにシャワーを浴び終え、衣服も新しいものに変えている。できる限り素肌を見せてなるものかというようにフードを目深にかぶり、布にくるまっていた。体育座りだ。
素足がぱたぱたと上下している。
船長は、なぜか追いつめられているような心地になった。
ひょっとしたら自分は今、ここでなにか行動をしなければならないのではないか。
そう思うだけで、汗が服下を流れる。
縮こまる魔女の表情は、フードに阻まれわからない。
めくって確かめたい衝動に駆られたが、恐怖が拒んだ。
布の奥からじっとこちらを見つめ続けているのではないか――そんな根拠不明の予感があった。フードを取れば視線が合う。
泰樹内部の情勢が不安定であるからこそ、皆で一カ所に集まらなければならない――ごく当然の考えが、なぜかこの奇妙な緊張状態を作り出していた。
――わけわかんねえ……
頬杖をつき、ため息を吐いた。
苛立ちに頭をガリガリと掻く。このような感情は、「怒り」ではない。
耳を澄ませば水音が聞こえた。
泰樹内部では、現実世界の海水を濾過しながら吸い込んでおり、その供給量は十分だ。
壁に耳をつければ、鼓動のような脈動音がわかるはずだ。少しばかり味に癖はあるが、十分に飲料に耐え、浴びることもまたできる。
だからこそ、シャワーも気にせず存分に流すことができた。
水滴がはじける様子と、ちいさな鼻歌が遠く聞こえた。
使い方すら忘れつつあった器具の使用に四苦八苦していたが、ようやく思い出したようだ。
やけに邪悪な含み笑いをしながら、一人で苦境を乗り換えたことを自画自賛していた。
当然だが、シャワーを浴びているのは魔女でもなければ船長でもない。
隣のフードの奥からは、「ふっほぉぉううぅぅ……!」という声と妙に荒い鼻息が発生した。
体育座りの状態のまま尻を基点にぐるぐる回転する。動力源は不明。「もう一回シャワー浴びなきゃ!」と立ち上がり、襲撃しようとしたので襟首をつかむ。
そう、皆で一カ所に集まり、いざとなれば逃げ出せるようにしなければならない。
当然のことながら船長の『分身』であるハルトもここにいた。
『自分』を取り戻した彼女は、船から分離が可能であり、出歩くこともできた。
シャワーは、最初こそ嫌がっていたが、一度やってしまえば思ったよりも心地良いらしく、ご機嫌な様子が『伝わって』来た。
魔女はその鼻歌へ向け脱獄囚のように這い進もうとしていたが、船長が片手間ではなく本気で止めようとした段階で、急いでベッドに引き返した。うつむく顔がなぜか赤い。柔道技で拘束をという考えが『伝わって』しまったらしい。『接続』の能力が妙に強化されていた。
――やっぱり、野郎同士と同じ対処はダメか。
そのあたりの感覚は、実はまったく理解していない。
混種用孤児院から心軍学校、泰樹防衛としての心動船乗りという来歴は、やはり世間一般の情報をそぎ落としてしまうのだなと嘆息する。
心軍学校時代の友人――万変能力を持つアイツや、妙に一緒に風呂に入りたがっていたアイツや、世界平和実現を大真面目に唱えていたアイツは、いったい今頃どうしているだろうか。
水音が止まり、ドアの開く音がした。
――ああ、そろそろか……
面倒だなと思いながら、船長はタオルを手に立ち上がった。一応、新品を用意する。
その手を、がっしり魔女につかまれた。
「船長……?」
やけに低い声だった。
船長は眉をしかめる。
「おう、なんだ」
「いや、私もけっこう問題だったと自覚しちょりますけれどね、船長は、いったい今なにしようとしてるのかなあ?」
フードに隠れた口元は、ひきつっていた。
「あいつ、まだ自分の体に慣れてねえだろ、俺が拭いてやった方が早い」
長年動いてなかった以上、筋力は落ちている。
その上、視界は不自由であり、手も片方は失われている。助けはあった方がいい。
「船長、知ってる?」
「なにをだ」
「ハルちゃん、女の子」
「おお、知ってる」
「そして船長、男の子」
「子、って言うのはなんか違くねえか?」
「そうじゃなくて! 男の子が女の子の体を拭くのは、なんか間違ってはいないでしょーかっ!」
「自分で自分の手助けをするだけだろうが」
「端から見てたら邪推しちゃう光景になるの! というか私が妄想しちゃうの! だから、そういうのは、私の目の黒い内はダメっす!」
「いや、知らねえよ」
「むしろ、あっしがハルちゃんの体拭きます、ぜんぶ隅々まで、そう、ぱーふぇくとに……!」
握る拳はぷるぷる震えていた。
船長は無視することを決断した。
風呂場に向け、手をメガホンにしながら呼びかけた。
「おーい、それだと背中にまだ水滴残ってんぞー」
「む……」
「え、船長、どうしてそんなことわかるの――あ、ひょっとして『接続』で覗き見自由自在だったの!? なにそれズルい!」
魔女がすがりつきながら、その情報こっちにも寄越せの顔をした。無視を継続する。
数秒の間があってから、ハルトはあきれたように言葉を返した。
「……人間種とは残留水滴程度のことを気にするのか、心の小さなことだな」
「いや、おまえ、ただ面倒くさがってるだけだろうが」
船長はため息をつく。
ハルトは脱衣所で「なぜバレた」という顔をしていた。
体が固くなっているため、上手く拭けない様子も伝達された。「はっ、ふっ、ぬっ……!」という苦労の声もまた聞こえる。
魔女が聖戦に赴く戦士の雰囲気を醸しだしながら、タオルを手に立ち上がった。
船長の手が引き止めた。
「船長、ハルちゃんが私に助けを求めてるのっ! というか私もハダカ見る! 三人は仲良しだから仲間外れダメ!」
「その無駄にわきわき動かしてる指はなんだこら」
「揉む」
「断言してんじゃねえぞ、拭くためですらなくなってるだろうが!」
「つまり……船長なら揉んでいい……?」
「どういう理屈がありゃそうなんだよ!?」
「私、揉む、ハルちゃん――男でも可!」
「なに俺の乳首狙ってやがる!?」
戦士の瞳が、今度は船長に向いた。
人差し指がまっすぐその地点を目指していた。船長が捕縛していなければ着地した。
奥の手を出してまで背中を拭き終わったハルトが、「ふむん」と満足にうなずく様子を後目に、魔女は咆哮する。
「大丈夫、優しくするからっ! イメージトレーニングとか十分だから!」
「見境い無くし過ぎだ落ち着け! というかおまえから男同士の映像がちらっと見えたのはなんでだ!」
「うふっ」
「どうしてさらに興奮してやがるっ!?」
伝わってくる腐敗情報に、あわてて『接続』を切る。
魔女は魔女らしい含み笑いをダラダラこぼした。
「そっかぁ、船長って情報伝達できるから、私の考えたことも「私が感じたように」受け取ることができるんだぁ……えへへ……」
「どうして少しは心を読める俺の方が追いつめられてんだよ! てか魔女! 額をつけてなにしようと企んでやがる!」
「届け、私の妄想!」
「人のこと洗脳しようとしてんじゃねええ!!」
乳首争奪プラス趣味嗜好上書き争奪戦が続いた。
ハルトという『分身』を取り戻した船長は、その接続能力を高めていた。
長く接触すれば、その気持ちは伝達されてしまう。それがどのような情報であってもだ。
つまり、魔女の攻撃手段は頭と両手の三つであり、それを防ぐ船長の両手は二つのみであり、標的となっている対象は頭部と左右の乳首だった。必然的に不利となる。
床の方で丸くなった猫が「ばかだなー……」と声を出した。
苦労しながらパジャマに着替え終えたたハルトは、イスに座って足を組み、ため息をついた。あと一時間くらいはこのままだろうか?
「変な気を利かせてんじゃねえよ! とっとと戻れ! 『おまえ』のピンチでもあるんだ、今すぐ助けろ!」
「え、最初から三人とか、そんな――」
「魔女も恥ずかしがるくらいなら今すぐとっとと退けやああ!」
船長はベッドに押し倒されている格好だ。
魔女は恥ずかしがる素振りを見せているが、攻撃の手は一切ゆるめない。
そして、この場に止める意思を持つものは、船長以外に誰もいない。
いるのは傍観者か覗き見だけだ。
だから天井付近に向けて叫んだ。
「そこの聖女どもも、なにこっそり接近して見てやがる!」
「やっぱバレてたー!」
「こういうのは、だめですって……!」
透過能力を使い、ごく間近にまで接近し、その頭部付近だけを出していた二人は、甲高い笑い声を上げながら逃げ出した。
余りに教育に悪い状況から、子供たちを引き離すことはできた。
しかし、なにひとつ事態は改善していない。
「ええやないかええやないか……!」
魔女はキスを強要するような体勢で、その実、思考を自分色に染めるべく頭を近づける。
大望を叶える寸前の瞳は、完全に正気を無くしてた。
「人の心を好き勝手しようとすんな!」
追いつめられた船長の脳裏に、未来のあり得るかもしれない己自身――「うひょひょひょぉ!」と笑い叫び、セクハラを行う姿が浮かんだ。
意海に身を投げなければならない事態だ。
「だ、大丈夫だから、船長だけじゃなくて三人一緒だから! ち、ちーむわーくとか必須だから!」
「ンなものが結束であってたまるかっ! ただの変態集団じゃねえか!」
「それもまた良し!」
「テメエが変態であることを普通に認めてんじゃねえよ!」
「待て――そこの魔女はわたしにまで汚染を押しつけるつもりか?」
すぐ側まで迫った魔女の額が、ぴたりと停止した。
ハルトが、『根』を魔女の首へと巻き付けたためだった。
それは切断された右手から伸びていた。ハルトはいまだ洗面所で座った体勢のままだ。
仮にも泰樹に『混種』と呼ばれた存在だ。その体内にはまだ心動船の影響が残存していた。
「え、だめ?」
哀願するように魔女は言う。
「わたしは人間的思考を受け入れるつもりは一切ない」
「えー……」
「人と船、その違いは明確にするべきだと断言する」
「あ……? おい、ちょっと待て」
今度は船長が不満を顕わに、上半身を起こした。
「おまえは、『俺』じゃないつもりか?」
「そんなことを承諾した覚えは一度もない。このような姿であり状態である現実は認めるが、センと同一存在であることは否認する」
「ふざけんな――俺が俺でいることを否定してんじゃねえぞ」
「そんな戯れ言は、センもまた体内より生やした根を自在に操れるようになってから言うべきだ。明確に異なる点があるというのに、これを認めないとは愚かに過ぎる!」
「ンなもの些細な違いだろうがっ!」
「現にセンは魔女の攻撃を一人では防ぐことができなかった。これは根を持つわたしの優秀さの現れであり、もっとも異なる点でもある!」
「え、あの、性別は?」
根による首締めを受けている魔女の言葉を、二人とも聞いていなかった。
「このッ――――ああ、そうだな、わかったよ、たしかに違うな。たしかに俺は夕食にオレンジジュースがついたくらいで興奮するほどお子様じゃねえからなあ!」
「センはコーヒーなどという苦味ばかりの液体を好んで飲むことが偉いと考えているのか? 糖分の接種を喜ばないひねくれ者というだけだろう」
「単に舌がお子ちゃまなんだよ、その体だけじゃなくて心もそうなってんじゃねえのか?」
「ははは、センは面白いことを言うなあ! ことある毎に怒らずにはいられない未熟者がなにを言っている! どちらの精神が幼いかなど、人間、聖者、混種、泰樹に心動船の誰に聞いても判別可能だ!」
「怒るべきときに怒れねえ精神がなんの役に立つってんだ! 曲がりくねった怒り方しかできねえことの方が問題だろうが!」
「っ! わたしの意海での、前進速度の低さをここで指摘するか!?」
「くだらないこと気にしてんじゃねえよ、『俺』」
「その呼び方をわたしにするなセン!」
「間違いなくお互い様だボケ!」
「なんだと、この……!」
「あの、ハルちゃん、引きずらないで……」
魔女はずるずると、ベッドから二人の中間地点にまで強制的に引きずられた。
床に座った状態の魔女を、猫の前足がぽんぽんと叩く。慰めだった。
その上では、額に青筋を浮かべた船長と、湯上がりの肌を怒りで塗り替えているハルトが接近し、ごく間近で睨み合った。どちらの拳も全力で握りしめられている。
「おまえは俺だ!」
「わたしはわたしだ!」
「この分からず屋が!」
「過去はともあれ、今は異なる事実を認めぬセンが狭量なだけだ!」
「姿形と性別と年齢と種族が違ったくらいで別人扱いしてんじゃねえ!」
「そこまで違えば十分すぎるはずだ! センはいったい何を言っている!?」
「おお、何回でも言ってやるよ! たかがその程度のことで、たったそれだけのことで、取り返しがつかねえことみてえに思ってんじゃねえぞ!」
「この、この――ッ! あくまでもわたしの人格を認めないつもりか!」
「逆だ! 俺たちが同じであることを、おまえは認めないつもりか!」
「もう既に分かたれて別種となった事実をセンは理解するべきだ!」
「俺たちが望んだ分断じゃなかっただろうが!」
魔女は、口元や目元をイヤそうに下げ、なんとも微妙な表情で猫を撫でた。
「ねえねえ猫の人……なんだか二人の会話が、一度は別れた恋人同士の会話に聞こえるんだけど、これって私の気のせい?」
猫は鳴いた。
その通りだよ、と言っていた。
船長とハルトの二人は真下の魔女へ向け、同時に否定の声を上げた。
双子でも不可能な息の合い方であり、動作であり、タイミングだった。




