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打ち下ろしにより振り抜かれた白光は、意海に線を描いた。
線上すべての意物を蒸発させる絶対のラインだ。
怖々と遠巻きに覗いていた意物たちの一部を打ち砕き、更に下方へと過ぎ去り、幾日も、あるいは意月もかけなければたどり着かぬ場所の、分厚い凝固物すら破砕した。
いかなる聖人聖女でも成し得なかった破壊と到達距離は、人の形を取る『聖域』と縁を結び、手をつなぎ、力を伝達したからこそだった。
「……?」
船長は、その破砕の先に巨大な船を見かけたように思えたが、猫の目の不調だろうと頭を振り、接続方向を目の前へと向けた。深海より歓喜と共に浮き上がる人々の気配もあったが関わり合っている暇はない。
猫の目でどれほど確かめようとも、あの意物は欠片もなく消え失せていた。
完全に、消滅していた。
船長は細く長く息を吐き、その事実を口にする。
途端に歓喜と笑顔が沸騰した。
ハルトは魔女と拳を打ち付け合い、リベンジを果たしたことを確かめる。聖女と『聖域』の二人は船外で抱き合い、笑い合う。船長と猫だけは油断はしない。まだ根本の問題が――彼らを敵とするものが近くにいた。
泰樹が変わらぬ様子でそこにある。
繁茂する枝の巨大な有様は変わらずだが、内部から漏れていた人工的な光は消えており、人間種との契約は途切れた状態のままだ。
そして、いま追いつめられているのは、泰樹の側だった。
種を使用しての『聖域』迎撃は失敗に終わった。また、下方より現れた単眼鬼の撃退も不首尾に終わった。そして、三つ巴の戦いの勝利者は、まだ余力を残している。
この『混種』は、接触するだけで『網』を機能不全に追い込む。
聖女及び『聖域』は一方的に消失させる。
種を攻撃手段とする限り、泰樹に勝ち目はなかった。
取れる選択肢は、内部に抱えている人間をダシにした『交渉』であり、戦闘ではなかった。
心動船一隻、大きさと数からすれば比較にもならぬものが膠着状態を作り出していた。
船の内部の者たちは泰樹を睨み、泰樹内部の者たちは息を潜めて成り行きを見守る。
「ったく……」
息を止め、限界近くまで顔を赤黒くしている聖女を、船長は根を使って内部へと引き戻した。
聖女はぜえはあと激しい息づかいで酸素を取り込みながら、船長を睨んだ。
そちらを向かず、視線を上げ。
「おい」
未だ意海に居る方、人型の『聖域』であるフユへ呼びかけた。
精神的にはともかく、物質的には人間と呼べなくなった少女は、内部の者へ目を向ける。
「おまえは、どうしたいんだ?」
まばたきした様子が、船の探知を通じてわかった。
「俺たちはとりあえず、あの泰樹とやらを一発ぶん殴る予定だ」
「待て、待て!?」
船は焦るが、船長は気にしない。
「『俺』を悲しませたんだ、相応のもんは支払って貰う」
「わたしはそんなことを望んでいない!」
「だが、それは俺たちの怒りで、俺たちの事情だ、おまえはちっと違うよな?」
「話を聞かないか! 人としてあり続けることはそこまで愚かになるのか! どうなんだ!」
「おまえの心は、どう動くんだ?」
意海で白く在るものは、言葉の意味をじっと考えた。
この状況、泰樹にダメージを与え、追い込むことは可能だろう。
だが、それは欲しているものなのか?
今の己の望みは、いったい何か――
「……」
心動船内部では騒がしく、だがどこか明るく船長を責める声がした。
発揮される感情は小刻みに船体を動かすが、安定した移動速度だ。バランスを崩すことはない。
フユは意海の中で、大きく深呼吸した。
意味と理由を持たない動作だった。
だが、それで気持ちは落ち着き、心は決まった。
きっちりと姿勢をただし、頭を下げた。
「攻撃してしまって、ごめんなさい」
最初の白光の一撃を謝った。
「――」
そして、顔を上げ、まっすぐ向き直る。
そこにある意志は、戦うもののそれだ。
頭を下げた、だが、それは必ずしも平和を意味しない。『聖域』である少女は、心動船の上で返答を待った。「一発殴る」と宣言した者の側の上で、変わることなく立ち続けた。
泰樹は変わらずそこにある。
身動きひとつせず、ただ巨大に繁茂し、大きさだけで周囲を圧する。
「……あなたを傷つけたのだろうか?」
訥々と、意海を震わせそれは問いかけた。浮かぶ心動船――より正確には、その中にいる混種へ向けて。
船の根はこれ以上ない忙しさでわらわら動く。
「それは、その……」
「ああ、おまえは間違いなく傷つけた」
「センは黙っていてくれないか!」
「今すげえ勢いで沈んでんのがその証拠だ」
「これは――わたしではなく、そう魔女の……!」
「私いま割とハッピーですが」
「黙っていてはくれないか!」
船長は上を指さし。
「『聖域』がおまえを傷つけたみてえに、おまえは俺の大切な奴を傷つけた」
ごく当たり前のことを告げる口調で。
「だからおまえは、俺の敵だ」
「いや違うそれは――!!」
ばきり、と音がした。
千四百キロ平方メートル――東京湾とほぼ同等の大きさを持つ樹木がばきりばきりと音をさせ、心動船へ、ハルトへ向けて。
「ごめんなさい」
礼儀正しく『頭を下げて』謝った。
内部では絶叫と悲鳴が木霊し、遙か下方からはその異常を察知し混乱する。
周囲の異物たちですらあり得ぬ動作に逃げ出し、付いていた種の二割ばかりが意海へと放り出された。
「お、おう」
船長はそう返答するしかなかった。
『聖域』に見つめられ、慌てたように「わかった許す」と言い、その奇妙に折り曲げた姿勢を復元させた。同様の阿鼻叫喚と種の損失がふたたび起きた。
ハルトは意識も動作も完全にフリーズした。
魔女は「なんかもー、なんだかなぁ」と近づき、船長とハルトの間に入り込んでご満悦の表情となり、聖女は外が見えぬため小首を傾げ、『聖域』の少女は静かに微笑んだ。
猫は寝ていた。
沈まず、進まず、後退せず、船はゆるやかに浮かぼうとしていた。
泰樹内部にふたたび光が灯るのを、そこから彼らは見た。
投稿分はここで終わり。
次からは外伝兼エピローグを投稿予定です。




