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7-2

本来の使い方をした『接続』は意海への扉を心動船の真下に開いた。

重力に引かれて落下し、慣れた暗闇が船体を包んだ。


想いが移り、船を動かす。その感覚を取り戻す。


現実世界との境から、わずかに光が差し込むのが見えた。

遙か左方向にあるのは巨大に聳える泰樹の幹。下方は無限に黒くなり続ける闇だ。


魔女は青を選択。その暗がりへ向けて勢いよく沈ませた。

後悔の凝り固まった場所に、つい先ほどまでいた。十分すぎる沈降速度を叩き出した。


猫は、遠く下方の敵の、歪んだ笑みを捉えた。

すぐにでも目をそらしたいが、この場でそれをすれば敗北への一路だ。涙目で睨み続ける。


船長の背骨が震える。それがどの感情に由来するかはわからない。

目を閉じ大きく一つ呼吸、その動作のみで覚悟を決める。


船は――ハルトはまっすぐな怒りを以て睨みつける。

己を喰らった相手だ、閉じこめた程度では足りなかったと確信する。


聖女は繭に手を置いたまま、静かに出番を待つ。

恐れも怒りもなく、その内にはただ戦意だけがある。


『四人』と一匹を乗せた船は沈降する。

上下の距離は凄まじい速度で消費される。

両者は、減速することなく激突した。


船体制御を船自身が行い、船長が猫を通して観た映像に合わせるように根を突き出した。限界まで硬化させた根は沈降速度と合わさり、泰樹であろうと真っ二つに引き裂く一撃となる。


螺旋を描きながら上昇する鬼の腕と、真正面から衝突。意海中に衝撃が響き渡り――


「つ――」


単眼鬼の拳が一方的に根を打ち壊した。


藻屑と化した木片を吹き飛ばしながら上へ抜け、停止。

こちらを指さし笑い、嘲り、哄笑し、豪笑し、手足を広げ――再び迫った。


「ヤバい!」


黒い軌跡を引きながらの蹴撃、受ければ両断必至とわかる。

船長の焦る表情と視線方向――聖女はそれだけを頼りに外へと飛び出た。


壁を透過し、意海へ身を踊らせ、致命の襲撃を両腕で防ぐ。白光と黒色存在は互いを否定するように紫電を放出させ、弾かれ合った。

根がミットのように聖女を受け止め、船内へと戻す。


「あいつ、強い――!」

 

船長の文句を無視し、聖女はしびれた腕を確かめた。

長きに渡って閉じこめられ、圧縮された意物は、聖女の白光に耐え、有効打撃を可能にしていた。


「ここじゃ駄目だ、もっと沈め!」

「了解!」

「センチョ、行く方向とタイミングが欲しい!」

「壁面を変化させてマークをつける! 見逃さねえようにそこへ飛び込め!」

「わかった!」

「誰も死なせねえぞ――」

 

小さな言葉に、魔女だけが不審を示した。

単眼の鬼は、渾身の攻撃が通じなかったことにむしろ歓喜した。

卑下た獰猛な笑みを浮かべ、螺旋を描き再び突進する。


「――っ」

 

反撃や防御よりも、回避が正しいタイミング。

当然のように船を動かす、しかし、『速度が足りない』。


「センはなにをしている!」

 

心動船――ハルトの怒りがその不足を補った。

加速と沈降の組み合わせにより螺旋突進の範囲から脱する。

間一髪のタイミングだが、本来ならばもっと余裕を持って避けることができた。


ハルトと魔女は、同じようなこわばった表情となった。船長の顔はそれ以上にひきつった。


「やべえ、怒り方、忘れちまった……」

 

『自分』と出会えた満足が、船長から怒りの根拠を奪っていた。




 + + + 




「ちょ、ハルちゃん、まじで!? 「リベンジだ」とかキメ顔で言ってたのに!」

「センはよりにもよってこのような時になにを!」

「あれ、みんな、どしたの?」


聖女以外の全員が糾弾の視線を向ける。猫ですらも冷たい目だ。

船長は冷や汗をだらだらと流す。

あれほどまでに簡単に出来ていた『激怒』が、ぽっかりとどこかへ消えていた。

背後の存在に、深い安堵がある。言葉や理性だけではどうしようもない、心からの安心だった。


魔女は「ぬぉおお……」と頭を抱えるが、ふと気づいたように顔を上げる。


「ぬぬぬ、あ、そうだ、さっきの加速、フネちゃん?」

「そうだが、みっちゃんはその名の使用を禁止する」

「いやいや、私も言っちゃったけど、本名と関連づけできるあだ名って、けっこう危ないっすよ?」

「む、そうだったか」

「なー、ぼくの出番まだか、センチョ」

「クソ――」

 

船長は、切り替える。

両手で思いっきり頬を叩き。


「現状の俺は役立たずだ、サポートに回る! 機動は相棒、おまえがやれ!」

「――本気か?」

「考えてる時間はねえ! 俺だって頭ん中ぐちゃぐちゃだ!」

 

攻撃は止まない、今は遠方から衝撃波を飛ばしている。

船は細かく動き、避けてはいるが、根本的に速度が足りない。


紛れもない危機的状況。

エンジンが壊れた船で強敵に立ち向かわなければならない。


だが、船はゆらゆらと嬉しげに根を揺らした。


「ほぉ、わたしがメイン。つまり、あなたがたの命を握っている。あなた方はわたしの支配下にある――」

「おい、なに考えてる」

「うむうむ、いまのわたしはまるで泰樹のようだ、そうだろう?」

 

内部に人を抱え、共通の敵を持ち、互恵関係にあり、そして重要な決定部分を握っている。

とんでもなく小型ではあるが、そう言えないこともなかった。

船長の上にある顔が、この上ないドヤ顔を作っていた。


「あー、そうだな、その通りだよ!」

 

船長は猫からの視覚情報を直接魔女へ渡した。

心動船と船長との間には強固なつながりがあり情報伝達が可能だ。『同じ名を持つこと』を相互に理解し、確かめたいま、どんなものよりも確かな経路となる。


猫、船、魔女、三者の情報の結節点として船長は機能した。

一人情報的ラインから途切れた聖女は、ちいさな拳をぶんぶん振る。


「なんかよくわかんないけど、ぼくの出番まだか!」

「まだだ! 下手におまえ出すと回収できねんだよ!」


船の根が感謝を表すような形を作った。内部のハルトもまた恍惚とした表情だ。


「ふふふ、ああ、なんだろうこの満足感は。わたしはいま、はじめて正しい位置に座れた。だが、思い返してみれば、まったく実に愚かだった――」

 

単眼鬼は遠距離攻撃では埒が開かないと悟ったのか、接近戦を仕掛けた。


「!」

 

そのタイミングを見計らったように――下方より種の集団が迫った。『聖域』の攻撃によりその数をずいぶんと減らしてはいるが、それでも膨大な種で作られた『網』が、排除するべく上昇する。


排除対象は、意物と混種。

今度は相性の差などない。


「――『わたしの感情に反応しない』との嘆きは、まったく正しくなかった……」

 

胸像のような少女の顔に焦りはない。


「そう、別のシステムに人の感情を流し込んだところで起動するはずがなかったのだ!」

 

吠えた。

脳髄から心動船へではなく、己の体へ想いを流す。

船内にて一度も発されたことのなかった声に押されて、船は滑らかに移動した。


 

状況は、一対一対万の三つ巴の形となった。

数の差はこの場合、問題にもならない。

実力がすべてを凌駕する。

己の体を操ることを可能にしたハルトは、膨大量の根を踊るように避ける。


「えぇ――?」

 

それは前後左右だけではなく、上下にも適応されていた。

魔女の感情に依らず沈降し、あるいは浮き上がる。


移動自在を謳歌し、根の攻撃を掠らせながら『網』に触れ、ネットワークに己の感情を遠慮なく叩き込んだ。

人間種の――まるで異なる感情を流し込まれ、『網』の動きが止まった。

三つ巴の一角が停止。その機会を、両者ともに逃さなかった。


猫を経由し、位置関係を確かめ、回収プランを含む『射出点』を弾き出す。

船長とハルトのどちらが考えたものか、もはや本人たちにもわからない。元は同一だった思考は、急速になじみつつあった。

 

弾かれるように聖女は出た。

船内から意海へ、漂う『網』の上を走り、同じく走り来る敵の姿を認めた。


両者は笑い、渾身の拳を互いへ送った。

船長たちにとっては不倶戴天の敵だが、聖女にとってはこの上ない『遊び相手』だ。


高密度の打撃と反意海存在との激突は、瞬時に百を越えた。薄暗い意海に、白の閃きと黒の衝撃が走る。

笑顔で交わし合う応酬は、しかし、心動船が横からかっさらうことで中断させた。


「なにすんだ!」

 

船内に回収された聖女は荒い呼吸で言う。


「もう呼吸が限界だったろうが!」

「そんなの気にしちゃダメだ!」


置いてきぼりにされた単眼鬼も、好敵手を奪われたことに怒り、追いかけようとするが、『網』の再起動の方が先だった。

対処していた二つが一つに減った事態であると理解し、絡まりながら根を突き出した。

単眼鬼は手足で的確な防御するが、十重二十重に、次々と厚みを増して行く。


「センチョ、あいつ、どうなってる!」

「時間稼ぎにしかなってねえ!」

 

トゲだらけの野球ボールといった有様と化したそれは、しかし、内部で暴れるものを抑えきれなかった。アメーバのように縦横無尽に引き延ばされる。

あと三十秒持てば御の字だろう。



 

 + + +



 

――どうする。

 

船長は深い悩みの中にあった。

ハルトはよくやっている。だが、その動作は精密さと即応性こそあるが、速度と硬度の点から言えばまるで足りない。

本人も気づき、苛立っているようだが、乱雑な感情は速度へ結びつかない。


――俺は……

 

情けない、と思う。

いまの己にはなにも無いのではないか。

情報を猫から魔女へと渡し、ハルトは縁を通じて情報を共有する。

情報は無駄なく効率的に回っているが、これは船長としての、いや、推進役としての仕事などではない。

 

怒らなければ、と思う。

だが、なぜ怒らなければならないのか、わからない。


取り戻したのだ。

失ったものを得たのだ。

これに満足せずにいることなど、できるはずがなかった――




 + + +



 

魔女は悩んでいた

 

――ううん。


彼女としても複雑だ。

船長に対して、自分がどのような感情を持っているのかもわからない。しかし――


――このまんまじゃダメだなー。


それはわかった。 

船内は上手く回っている。

船長とハルトのつながりは強化され、『聖域』の回復も上手くいっているようだ。


それでもこれは、違う。

この状態は、心が弾まない。


後ろを振り返ると視界の大半は『聖域』治療のための繭が陣取る。

聖女はその上に座るようにしながら、出番はまだかと待つ。

船長とハルトの姿は見えない。

接続による情報は、一方通行だ。強く思えば伝達はできるだろうが、基本的には上から下へと流れる。


「――うん……」


彼女は決意し、人差し指を針で突いた。



 

 + + +




――なぜなのだろうか。

 

速度と硬度の不足は彼女自身痛感していた。

長年放っておいた部分の起動は、かなりの負担をかけていたが、不満の方が大きかった。


――なぜ、わたしはあのように動けないのか。

 

船長や魔女、あるいは仇敵ともいえる意物。それらのレベルに至る感情を得られないのはなぜなのか、足りぬ部分はどこなのか、まったくわからない。


――また、また同じだというのか……!


泰樹の下にいた時に似た疎外感が、再び湧き上がろうとしていた。

迷い、懊悩することは、速度を更に奪うが、考えずにはいられなかった。


「む……」

 

その悩む意識に触れるような感触が、遠方から来た。

現在、船は主にハルトの感情によって動いている。つまり『心動船のみで動かしている』。それは、あるものにとっては無視できない事柄だった。


泰樹だ。


人との契約を凍結させ、種による防衛を派手に失敗させている最中のそれは、変わらぬ無機質で問いかけた。


――なぜ、そのように動くことができるのか――


怒りは瞬時に燃え上がった。


「ふざけるな!」

 

戸惑いが返る。

不理解がさらにハルトの怒りを煽った。


「今のこのわたしの怒りは実に身勝手なものだ。八つ当たりに近しい感情だ! だが、だが――!」

 

涙すら流しながら。


「あなたは人間を、わたしを理解しようとしなかった。他者を認めなかった! だというのに、なぜ「それ」を理解できると思うのか!」

 

タイミングを計ったように、魔女からの伝言が伝わった。

悲しさ混じりの怒りは、その一文で吹き飛んだ。



 

 + + +



 

「ぶっ!」

「おい?」

 

突然叫んだかと思えば吹き出したハルトに、船長が顔を上げる。

前半は泰樹への返答だとわかるが、後半の吹き出しの意味がわからない。

単眼鬼は包囲を突破し、抜け出そうとしていた。


「ああ、な、なるほど? それはたしかにそうかもしれない。使えるものを使う思想は正しい。だが、それをわたしがやらなければならない理由はどこにもなく。いや、そもそもそのようなことではなく!」

「おい、小声でなに言ってんだ?」

 

魔女は血による文字で、ハルトに向けて言葉を伝えた。

船長を経由しない情報は、彼に内容を伝えない。


「往生際がわるいよー」

 

前方から、なぜか鬱々とした声。


「私も、これ成功して欲しいよーな、欲しくないよーな気分なんだし……」

 

船長と聖女はそろって同じハテナマークを浮かせる。


「くっ」

 

目を閉じたままの少女は、吐き捨てるように。


春人ハルト!」

「お、おい?」

「いまさら挑発も宣言もない! 名などいくら呼んでもかまうものか! いいから立つべきだ!」

「お、おう」

 

しかめ面を緩めてしまった青年が立ち、上半身裸の『自分』と相対する。


春人ハルト――」

 

赤面し、悔しげに。

 


「また、わたしが奪われても、いいのか?」



そうささやいた。

目を丸くする船長の脳裏には、過去がフラッシュバックした。

自分たちと彼女の三人がいる、同じ敵が、同じように襲撃を仕掛けている――

この場面は、あの時のやり直しに他ならない。


「わたしがアレに捕まれば、再び、好き勝手に――」

「――ッ!」

 

顔が赤鬼の如きものと化した。

船体がうなりを上げる、赤いオーラが船長を取り囲んだ。

悪相が、船内を見た。

魔女、聖女、猫、聖域、そして『自分』。

こちらに向かってくるのは、かつて一度は奪った相手だ。


手を開き、握った。

接続のためではなかった。その拳で己の頬を殴りつけた。鈍い音。この愚か者は、百度殴りつけてもわからないに違いない。血の味のする唾を飲み込んだ。


「――」


一歩、踏み出した。

それだけで船は膨大な加速を生じた。


「俺は等山春人」


単眼鬼が、うれしげになにかを言おうとしていた。


「名なんざ知るかッ! テメエはただの雑魚だッ!」

 

獣のように叫んだ。




「この方向から焚きつければいいかなーとか思ったら、ホントに上手く行くとかー……」

 

複雑そうな声は耳にも入らない。

熱する心動船が直進する。叫び声に応じるように更に、無尽に、赤く加速する。

その想いは、ただ守ることに向けられていた。

わずかにでも傷つけさせはしないとの決意。

船内にいるものたちは己の命よりも遥かに大切であるとの確信が、迷いのない直進を作り出す。


魔女はそれを感じ取り「ふむむ?」と少し笑い。ハルトは「むむむ……!」と渋面になる。聖女は感じ取る速さに喜び、眠りについていたものは目を覚ます、猫は「なに? これ、なに起きてるの?」とばかりにきょろきょろと見渡した。




 + + +




相対する単眼鬼は戸惑った。

待ち望んでいたのは聖女だ。

だが、船がそれを出す予兆は一切なく、ひたすらに加速し、突進した。

まさかこのままぶつかるつもりではないはずだ、根の攻撃に気をつけなければ――その予断が回避の機会を奪った。


船は一切減速しなかった。

赤く燃えさかるそれは真っ直ぐ激突した。


「!?」


吹き飛ばされることなど許さないとばかりに、ガードした両腕をがりがりと削り、赤熱は猛る。

尋常ではない感情量、味わったことのない熱だ。しかし、それでもまだこちらの方が『強い』。十年もの長きに渡る圧縮は、意物に尋常ならざる硬度を与えた。

 

ひび割れた亀裂のような笑みを浮かべ、右腕を振り上げる。


「行けッ!」

 

航行不能を強制する一撃は、しかし、船長の叫びと同時に飛び出たもの――ちいさな手のひらに受け止められた。意海中に衝撃が響き、円状に渡り、泰樹の枝々を揺らした。


受け止めたその手は、『透けていた』。


「ナツは、命にかえても守るから――!」


『聖域』であるフユが、繭から意海へと飛び出ていた。

渾身の一撃同士が噛み合った決定的な隙。体はピンで縫いつけられたように身動きが取れない。心動船の速度がそれを許さない。

『聖域』の背後から現れた聖女の、まっすぐな瞳と渾身の白光を見ながら、鬼は絶望を理解した。

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