第22話:戦場への凱旋――「古参」として挑む本山最大行事!!
名古屋でのワンオペ修行を終え、私に下されたのは本山・永平寺への復帰命令でした。
行き先は、かつて私を震え上がらせた「あの戦場」。
しかし、お山は何も変わっていないのに、私にはまったく別の景色になってしまった記録です。
名古屋での穏やかな日々は二か月ほどで幕を閉じ、修行の卒業を目前に控えた五月、一本の電話が届きました。
「堅明さん。来週から、本山に転役です」
行き先は、本山最大行事の一つであり、全国から何百人ものOBたちが集結する「授戒会」を控えた大庫院(厨房)でした。
押し寄せる数千人の参拝者、山のように運び込まれる食材、そして膨大な食事の準備。一年前の自分なら、聞いただけで血の気が引いていたはずの知らせです。ところが、お山へ戻る道中、私の心境は驚くほど冷静でした。
現場に入ると、やはりそこには一年前と寸分違わぬ「戦場」が広がっています。
しかし、私自身が決定的に変わっていたのです。
まずお山に戻った私の足元には、ある「変化」がありました。
永平寺では、一年目の新到和尚は「白い鼻緒のスリッパ(通称:白スリ)」、二年目以上の古参和尚になると「黒い鼻緒のスリッパ(通称:黒スリ)」を履くという絶対的な掟があります。
一目で学年が分かってしまうこのスリッパですが、実は履き物としての扱いも天地ほど違いました。
白スリの一年生は、寮舎の前で脱ぐ際、一旦脱いでから必ず手で持ち上げ、爪先を手前に揃えて綺麗に並べ直さなければなりません。ところが黒スリの古参になると、爪先を壁に向けたまま脱ぎ捨ててOK。
つまり、一秒を争う作務のさなかでも、サッと脱いですぐに立ち去ることができるのです。
(ちなみに、もう一つの大本山である總持寺では、なぜかこの白スリと黒スリの立場が逆だったと聞きます。理由は分かりませんが、面白い違いですよね)
着物にも変化がありました。作業をするとき、邪魔になる大衣の袖を後頭部で縛る「玉結び」という着方があります。新到のうちは大衣の内側にある細い紐を引っ張り出して結ばなければならないのですが、古参になると、袖そのものを首の後ろで直接クルッと結ぶことが許されるようになります。
(これもなぜか、總持寺では古参になると紐を使ってよくなるという逆ルールだったそうです)
身につけるものが変わり戸惑っていると、お山にはすでに一年下の後輩たちが大勢入っていました。
長い廊下を歩いていると、すれ違う新到の後輩たちが壁際にピタリと止まり、私が通り過ぎるまで深々と頭を下げて直立不動で待っています。
一年前の自分がしていたこととはいえ、いざ自分がされる側になると、(いやいや、そんなに畏まらなくていいから! 早く頭を上げてくれ……)と、申し訳なさと気恥ずかしさで気が気ではありませんでした。
けれど、いざ厨房の板場に立てば、その「経験の差」は圧倒的です。
かつては右も左も分からず、ただ怒号と煙に呑まれていた小庫院時代の自分。
しかし今は、怒号の飛び交う厨房の中で「誰がどこで何をしているか」が手に取るように分かり、厨房全体が一つの大きな呼吸のように感じられたのです。
次々と押し寄せる膨大な量の調理も、これまでの経験を総動員すれば、「即戦力」としてスムーズに捌いていける。
一年前はあれほど気を遣って胃を痛めたはずの全国のOB和尚たちとも、今では笑顔で軽口や談笑を交わしながら、過酷なはずの大行事をどこか楽しんでいる自分がいました。
「修行僧」として理不尽に怯えていたあの日とは違う。
自分の手足で仕事を回し、一人の「和尚」として現場に立っている確かな実感がありました。
同じ戦場、同じ苦労であっても、それを必死でくぐり抜けた先には、まったく違う景色が広がっている。
死に物狂いで泥を啜り、積み上げてきた日々の汗は、いつの間にか自分を支える「揺るぎない自信」へと形を変えていたのです。
そんな大鍋を振り黒いスリッパを踏みしめながら、私はまもなく訪れる修行の終わりを、静かに肌で感じていました。
合掌
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
鼻緒の色ひとつ。袖の結び方ひとつ、脱ぎ捨てる向きひとつにまで階級が刻まれるお山の世界。古参になって後輩から深々と頭を下げられた時の、あのなんとも言えない居心地の悪さは今でもよく覚えています。
けれど、かつて自分を震え上がらせた戦場を「余裕を持って」で乗り越えられた時、人はこうして少しずつ前に進んでいくのだと実感しました。
次回は、いよいよ十五か月に及んだ修行の物語の完結回。
修行生活に別れを告げる「乞暇」の日。秋田へと続く「涙の新しい一歩」についてお話しします。
乞暇まで――「あと一話」!




