7.ヴェリディア国の礎
重く閉ざされた扉の向こうから、かすかなざわめきが漏れ聞こえた。
ゆっくりと扉を押し開けたその瞬間、部屋にいた者たちの視線が一斉に私へと注がれた。
張り詰めた空気の中、低く響く声がその場を支配する。
「皆、そろっているか」
静寂を破るように椅子の擦れる音が響き、全員が立ち上がる。
お祖父様は一歩前に進み、厳しくも穏やかな眼差しで人々を見渡した。
「ああ、よい。座るのだ」
その一言で、緊張の糸がほんのわずかに緩む。けれど視線は、なおも私のほうに集まったままだった。
薄いベールの下で、私はそっと口角を上げる。
「改めて紹介するまでもないが、孫娘のルシアーナ・アイゼンベルクだ」
祖父の言葉を合図に、私はゆっくりとベールを外した。
「私、ルシアーナ・アイゼンベルクは、この地を王都とした国――ヴェリディア国の初代国王となることを決意しました。皆には、私とともに国を支え、民を救ってほしいと願っています」
その瞬間、空気が揺れた。
ざわめきが波紋のように広がる。誰かの息を呑む気配が、はっきりと伝わった。
「……国、と言いましたか」
低く響いたのは、領地軍を率いる領軍長――ガレス・ヴァルデンの声だった。私を幼いころから知る人物。
私はまっすぐにガレスの視線を受け止め、静かに答える。
「ええ、そうよ」
外務を取り仕切る幼馴染、マルセル・ブロワが身を乗り出して問う。
「ルシアーナ様は、王太子殿下の婚約者でしょう?」
「ふふ、解消してきたわ」
「か、解消……!?」
驚きの声がさざ波のように部屋中へと広がる。
「三年、王宮に暮らしてこの目で見てきたの。見切りをつけるには、十分な時間だったわ」
言葉を失ったように沈黙が落ちる。
誰かは額に皺を寄せ、誰かは隣と視線を交わした。
「ふむ……」
老練な男が顎に手を当てる。
ラザフォード・グライム。法に通じた文官であり、祖父の片腕でもある。その眉間に刻まれた皺は、慎重な思考の証だった。
「ラザフォード、反対かしら?」
私が問いかけると、彼はわずかに目を細め、そして――
小さな笑いが漏れた。
「ははは、ルシアーナ様。我らは前国王の重臣であった者とその家族。ドレイスブルグ国の未来を案じる者ばかりだ。いや、よくぞ決心なされた」
その言葉に、私は一瞬だけほっとした自分を自覚する。
「だが、新たな国をつくる、ですか。王位継承権を持っているのなら、王座を奪う形で動いた方が早くはないだろうか」
冷静な問いが投げられる。私自身も同じ発想を抱いたことがあった。
だが、内側から動くということは、目に見えぬ枷や牙を抱えた者たちと密室で相対することを意味する。
「内に入って分かったわ。潰さねばならない人物が多すぎる。密かに動くより、外から一気に潰した方が早い」
その一言に静寂が戻る。
言葉の重みを量る目が私に向けられ、場は重く頷き合うような空気になる。外からの攻勢は危険だが、理に適っている――そう誰もが思っていた。
「確かに。しかし、あの国にいる女神の使徒の存在も厄介だ。国民が希望を捨てぬのは、彼女の存在が大きい。あちら側に居続けられたら、下手に手は出せぬ」
ガレスの声が続く。重みのある指摘に、皆の視線が波打つ。
すると、お祖父様が静かに言った。
「そのことだが、実は薄々気付いていた者もおるだろうが、ルシアーナも女神の使徒だ。ルシアーナ、見せよ」
祖父の命に従い、私はゆっくりと舌を出し、印を示した。
「なんと……女神の紋章だ」
「では、あちらの使徒は偽物ということか?」
ざわめきが広がる中、諜報長エミリア・ラントが冷静に口を挟む。
「女神の使徒は二人います」
情報を整理するその声音は安定していて、空気を落ち着ける。
「その通りだ。公表されていないが、女神の使徒は二人現れるのだ」
お祖父様が、そっと付け足す。
「そうか。だが、こちらに二人いるほうが都合がいい。引き込めればよいのだが」
「それは無理ね。あちらは王太子の次の婚約者だそうよ」
「そうか……。しかし、ルシアーナ様が使徒であれば、女神の怒りを買うことにはなるまい」
皆が互いに頷く。私の立場が、計略の一端を変えることを示していた。
私は次の段取りを淡々と話し始めた。
「まずは、ヴァルデニア国からの独立と、私が国王となることを諸外国に知らせ、承認を得る必要があるわ」
「それならば、すぐに使いを出します。また、近隣の地は我らの領地も多い。他の領主にも声をかけましょう。大部分は我らの影響下にある。ルシアーナ様が興す国に喜んで加わるはずです」
マルセルが即座に申し出る。度胸と機転のある男だ。
「王家は阻止のため兵を送るだろう。迎え撃つ準備は私が整える」
ガレスは低く告げ、私の防衛を請け負うと言わんばかりだ。
「ここからは離れておりますが、兄が継いだ領地とその周辺は私に任せよ。国に不満を抱く者が多く、説得は容易です」
ユリウスの言葉に私は頷く。味方を増やす道筋が見える。
「おお、ファルケンハイン家がこちらに付けば、この国の三分の一の領土がこちらのものになる」
お祖父様が計算高く口をほころばせる。だが、すぐに続けて釘を刺した。
「だが、ユリウスが我らに付いたことは既に知られている。王家の手がそちらに伸びるのも時間の問題だ。急がねばならぬ」
ユリウスは小さく頷いた。時間は味方でもあり、敵でもある。
「資金面は私に任せよ。軍と物資の確保を急ぐ必要がある」
ラザフォードの言葉には、既に歳入と配分の計算図が浮かんでいるようだった。
「追加の情報は私が抑えるわ。内側の動き――すべて洗い出す」
エミリアが短く告げる。彼女の口ぶりに無駄はない。
それぞれが自分の役割を述べるたび、計画は一歩ずつ現実味を帯びていった。
「では、それぞれ動くとしよう」
部屋の空気が動いた。
一斉に立ち上がり、それぞれの役を引き受ける。
優秀な者たちが同じ目的に向かって同時に動き出す光景に、私は胸の内で小さく笑みを漏らした。
計画は、今、確かに始まったのだ。




