5.王命、アイゼンベルク討伐 side国王
side 国王
「兵を編成せよ。アイゼンベルク領へ向かい、大公並びにルシアーナを捕らえよ。王命だ!!」
──やられた。
計画は、前々から練られていたに違いない。最初から、あの女は敵だったのだ。
ルシアーナ・アイゼンベルク。
私の呼び出しに応じたのも、女神の名を盾に取ったあの態度も、すべて計算ずくだったに違いない。
あの冷えた瞳。祖父譲りの、私を見下ろす目。
つくづく腹立たしい。あの大公の血を、寸分違わず受け継いでいる。
大公は、昔からそうだった。
私を見る目は、いつもどこか哀れむようで、さも「王の器ではない」と言いたげだった。常に私を愚かだとでも言いたげな目を向けていた。
父上と兄弟仲が良かった?
笑わせる。
父が賢王と称えられるたび、その陰で私は“凡庸な王太子”として囁かれてきたのだ。
誰の差し金かなど、考えるまでもない。
それでも――
それでも父は、私を選んだ。私を王太子に据えたのだ。
愛する弟と愛する息子の間で、私を選んでくれた。大公ではなく、私を。
その事実だけが、私の誇りだった。
だからこそ、私は耐えた。
忠臣どもが口うるさく私を縛ろうとするのも、王家の後ろ盾を確かなものとするため、侯爵家の令嬢との婚姻を望んでいたことにも。
だが私は、その婚姻をと言い訳して、先延ばしにした。
父の病が深まったあの日々、私は決して弱音を吐かなかった。婚姻を「父の病が癒えたのちに」と先延ばしにしたのも、王家のためだったのだ。決して私欲のためではない――そうだ、すべては国のため。
それから幾ばくも経たぬうちに、父の容体は悪化し、ついには立つことも叶わなくなった。
やがて私は、王位を継ぐこととなる。
王となったその年、私は“正しい選択”をした。
愛のない政略婚ではなく、心を通わせた女性、学院時代から互いに心を通わせていた子爵令嬢──今の王妃を妃に迎えた。
王である私が、誰の許しを得る必要がある?
反対した者たちは、父の忠臣。大公の息のかかった者たち。一斉に反対の声を上げたが、もはや王となった私に、誰が異を唱えられよう。
だから私は、言ってやったのだ。
――王命に背くつもりか、と。
あの瞬間の沈黙は、今でも愉快だ。
孫である王太子が生まれて三年後、父は、ルシアーナとの婚約を整えたのち、そのまま崩御した。 その知らせを受けたとき、私は静かに思った。
ようやくすべてが私の手に落ちた。これで、誰にも邪魔されずに国を動かせる。
父の生前、「私を支えるため」と称して整えられた数々の“新制”を、私は一つ残らず見直した。そして、私に忠誠を誓う者たちだけで、王の座を取り巻く枠組みを新たに築いたのである。
……ルシアーナが、動くまでは。
大公は、間違いなく、己の息子を次期国王として据えるつもりで画策していたのだろう。私が王になった後も、いつか取って代わろうとしていたに違いない。
しかし、息子夫妻は馬車の事故でこの世を去った。代わりに、ルシアーナを、と考えたのか──愚かな。
「陛下! このような不敬、断じて許されませぬ!」
「厳罰を!」
怒号のような声が、部屋を満たした。ぼんやりと過去を思い返していた私の意識を、臣下たちの熱が引き戻す。
私はゆっくりと頷いた。
「当然だ。父が残したという“証文”も探し出せ。罪を問わない? 戯言も大概にしろ。そんなものが存在する限り、あの女は“正義”を気取れる」
証文など、あってはならない。
あってよいはずがない。くだらない嘘を。 父上が、私に黙ってそんな狡猾な真似をするものか。
……いや、待て。大公と内々に通じていた可能性も、捨てきれぬ。
大公は、息子夫婦が亡くなって以来、すっかり気力を失ったように見えた。王宮にも顔を出さず、世を捨てたかのように静かに暮らしていた。
だが――その裏で、長い年月をかけて私を観察し、見極め、最後に一矢報いようとしていたのか。あの男は、息子夫婦を失ってなお、諦めてなどいなかったのだ。王宮に姿を見せず、沈黙を守りながら、ずっと機会を窺っていた。
最後に、孫娘を使って私を引きずり下ろすために。
――実に、卑劣だ。
脳裏に、ルシアーナのベール越しの瞳が浮かぶ。感情を見せぬくせに、すべてを見透かすような目。ただ瞳だけで感情を語る女。
あの目が、私は嫌いだった。まるで大公の生き写しのように、何もかもを見透かす冷たい目。
否、恐れていたのかもしれぬ。
その目に見据えられるたび、大公に監視されているような錯覚に囚われた。思い出すだけで、胸の奥に黒いもやが立ちのぼる。
だが――女神の使徒が現れ、息子が恋をした。
ルシアーナとの婚約を解消するには、これ以上ない大義名分だった。宰相が養女にと願い出てくれたおかげで、身分の問題も解決し、王妃も満足していた。
すべて、私の描いた通りに進んでいた。
――それなのに。
ルシアーナも、女神の使徒?
しかも、サラより強い力を持つ?
ふざけるな。
知っていたのなら、なぜ報告しなかった。
孫娘に女神の紋章が現れたことを、大公は黙っていたのだな。女神の紋章が現れた時点で、国に知らせる義務があるだろう。使いようもあった。
……いや。
まさか。
父上は、知っていたのか? すべて承知の上で?
知らなかったのは――この私だけ?
「陛下、ご報告いたします。兵は、一週間の準備の後に出立可能でございます」
「遅い!!」
声が荒ぶる。
「二週間も与えれば、迎撃の準備が整うだろう! そんなことも分からぬのか!」
「そ、そうおっしゃいましても──」
側近の声がわずかに震え、室内の空気が凍りついた。
「ならば、有力な者を数名、転移魔法で先行させろ。現地の情報を集め、兵が到着するまでの作戦を立てさせるのだ」
命を下した矢先、別の報告が返る。
「試みましたが……なぜか弾かれ、転移が成立しませんでした」
「何だと!? 魔法が遮られたのか?」
「いいえ、そのような反応ではなく……何か、柔らかな力に押し返されるような感触で──」
体中の血が一気に冷えた。 ちっ、と舌打ちが無意識に漏れる。
柔らかな力。
拒絶ではなく、遮断。
――女神の加護だ。
可能性は高い。女神の使徒の力を用い、術そのものを弾き返しているのだろう。
私は、歯を食いしばった。
「三日だ。準備期間を三日に短縮しろ。夜も休むな。可能な限り早く出立せよ!」
椅子に深く身を沈める。
窓の外では、重い雲が王都を覆っていた。
――ルシアーナ。
この国は、私のものだ。歯車に口を出すな。
女神の名を使って、王に逆らうなど――
その傲慢さが、自らの首を絞めることになることを思い知れ。
しかし、その夜、私はほとんど眠れなかった。
目を閉じるたびに浮かぶのは、あの瞳だ。敬意も、恐怖も、媚びもない――ただ、静かに測るような視線。
王である私を、裁く対象として見ている。
女神の使徒だと? それが何だというのだ。
使徒といえども、我が民。民は王に仕える存在だ。神の声を“伝える”だけの器に過ぎぬ。裁く権利など、あるはずがない。
――あるはずが、ない。
翌朝、さらに不快な報告が続いた。
「陛下。騎士団の一部が、出兵に難色を示しております」
「理由は?」
「“女神の使徒に、武力を向けるのは不敬ではないか”と……」
私は思わず、笑った。
乾いた、感情のない笑いだ。
「不敬? 使徒が王命に背くことこそ、不敬だろう。そもそも、その言動が不敬だろう!! 難色を示している物は処罰、いや、前線に立たせろ!!」
その場にいた者たちが、ぴくりと肩を震わせる。
「そもそも、女神の意思をどう解釈するかを決めるのは誰だ?――王だ。この国において、最終的な判断を下すのは、常に私だ!」
そう言い切った瞬間、どこかで、微かな違和感が胸を掠めた。
――本当に、そうだったか?
父は、生前よく言っていた。
『王は裁く者ではない。秤を持つ者だ。だが、その秤の重さを決めるのは、民の信頼だ』
抽象すぎて意味が分からない……くだらない理想論だ。
信頼など、力があれば後からついてくる。
部屋を出ていく臣下の背を見送りながら、私は無意識に、拳を握りしめていた。
「神殿からの返事はまだか!」
神殿には、形式的に、ルシアーナを断罪する許可を求めていた。
「今、届きました、これを……」
通達には、『女神アウレリアの名において、ルシアーナ・アイゼンベルクを「異端」とは認めない』――と。
「……何?」
通達文を読み返す。
何度読んでも、文字は変わらない。
異端ではない。
罪人でもない。
王命に背いた件についても、「女神の意思を問うための沈黙」と解釈する、と。
「神殿が……私に逆らうのか?」
背後で、側近が恐る恐る口を開く。
「陛下……神殿側は、“女神の使徒が二人存在する以上、どちらか一方を王が断罪することは、女神の意思を僭称する行為になりかねない”と……」
僭称? この私が?
「……女神の意思を僭称しているのは、あの女だ」
声は、思った以上に低く、歪んでいた。
神殿の腰抜けどもめ。
ふと窓の外を見ると、雲間から、細い光が遠くの彼の地に差し込んでいるようだった。
光は、柔らかく、静かで、私を照らすことはない、そう言っているようだった。
「……あり得ない!」
自らが振り下ろそうとしている剣が、自分自身の足場を断ち切る刃。そんな可能性は決して、あり得ない。




