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【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます  作者: 楽歩


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34.隠された手 sideアンヌ

 sideアンヌ



 牢へと続く階段を、一段ずつ降りていく。


 指先が、石壁の冷たさを訴えた。その感触に、記憶が疼く。


 ああ、似ているわ、この冷たさ。育った孤児院のお仕置き部屋へ続く階段も、こんな風に湿っていて、暗くて、息が詰まる場所だった。


 記憶の重みが足首に絡みつき、歩みがわずかに鈍る。


 そして、最後の段を下りた先、そこにいたのは、うずくまるサラ様だった。


 影の中で、服の裾を握りしめ、肩を震わせている。私の足音に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。




「……あなた、アンヌ、だったわね」


 唇を引きつらせ、無理に笑おうとする。




「ふふ、何? 見物にでも来たの? 違うわね。心の中でずっと笑ってたんでしょう? “偽者のくせに”って。ばかみたいって。あなたが本物なんだから」



 その声には、かつての高慢な響きがまだ残っていた。だが、震えていた。


 膝を抱えたまま、彼女の瞳だけがぎらぎらと光を放つ。



「どうして紋章があるのに、隠していたのよ! 同じ“女神の使徒”なのに、どうして侍女なんかに身をやつしていられるの? そんなの、理解できない!」


 私は静かに手袋を外した。薄闇の中、手の甲に刻まれた紋章が、かすかに見える。



「何とか言いなさいよ!」



 叫びが石壁にぶつかり、反響しては消えていく。私は息を整え、慎重に言葉を探した。




「あなたと私の違いを、考えていたのです」



 サラ様が、ふらりと立ち上がる。その瞳に宿るのは怒りか、それとも絶望か。判別がつかない。


 牢の冷気が、ふたりの間を流れた。




「はっ! 考えるまでもないじゃない」


 吐き捨てる声が、かすかに震えている。




「それよ、その紋章。本物か偽者か、大きな違いよ」



 彼女の視線が、私の手元に突き刺さる。私はゆっくりと手を下げ、もう一度その紋章を見下ろした。





「……この紋章がある場所。小さい頃はね、血がにじむくらい擦ったような跡があったの。片手だけひどく荒れて、傷だらけだったわ」



 言葉を紡ぐたび、胸に小さな痛みが走る。今はもう跡形もない。エミリア様が魔法で癒してくださったから。




 サラ様の眉が、ほんのわずかに動いた。


 


「記憶にはないけど、院長先生から孤児院の前で手にぐるぐるに布を巻かれた私が捨てられていたと聞いたこともあるわ」




 怪訝そうにサラ様が顔をしかめる。



「あなたの親は? なぜ捨てられたの? 女神の紋章がある子なら、むしろ喜ぶはずじゃない」




 私はゆっくりと首を振る。



「女神の使徒の伝承を知っていても、誰も“紋章の形”までは知らないでしょう。ただの民にとっては、奇妙な痕、気味の悪い文様にしか見えなかったのでしょうね」



 静かに息を吐く。




「だから、消そうとしたんじゃないかしら。でも治りかけて皮膚が引きつっても、その上に、まるで焼き印のようにこの紋章が浮かび上がった。それこそ、何度も。だから、怖くなって、そして孤児院に捨てたのね、きっと」


「なんで……神殿に連れて行けば、すぐにわかるはずじゃない」


 サラ様は、息を吐くように言った。




「そうね。けれど、きっと、熱心な信者ではなかったのね」



 

 ほんの少し、歯車がずれただけで、人は簡単に不幸になる。誰かの怠慢で、誰かの無知で。



 そして、ひとりの運命を狂わされる。


 




「だから、隠したの。ずっと」



 私はそっと紋章に触れた。かつての痛みを呼び覚ます。孤児院の大人たちも、この紋様に気づくことはなかった。




「長い袖の服を着て、手を汚したままでいた。……これ以上、何も失わないために。知られたら、また気味悪がられると思ったから」



 言葉を吐き出すたびに、冷たい記憶が蘇る。




「でも、ルシアーナ様に出会って、初めて少しだけ思えたの。“この印は呪いじゃない”って」



 目を閉じる。まぶたの裏に、あの優しい微笑みが浮かんだ。


 静寂の中で、私たちふたりの呼吸だけが、漂っている。




 


「――どうやって、出会ったの?」



 サラ様は、淡々とした声音でそう問いながら、冷たい壁に背を預けた。





「あの日、私はいつものように孤児院の部屋の隅に座っていたわ」



 言いながら、遠い記憶の景色がゆっくりと浮かび上がる。



「気配を消して、ただ早く一日が終わることを祈っていた。それが、いつもの過ごし方だったの」




 薄暗い部屋。湿った毛布。外から聞こえる子どもたちの笑い声。

 



「そのとき戸口が開いたの。眩しいほどの光が差し込んで、思わず目を伏せたわ」




 あの日の光は、記憶の中でもなお、焼きつくように白い。





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