30.虚構の崩壊 side サラ
side サラ
「――なぜ、笑うの」
目の前のルシアーナ様の、余裕ぶった微笑みがどうしても感情を逆撫でする。何もかも見透かしているような顔。挑発でも嘲りでもない、自信を宿した笑み。
「そうですわね。私たち、同じ女神の使徒でしたものね」
その言い方が、癇に障る。
わざとらしい声音。恐怖が湧き上がるが、負けてはいられない。
「同じ使徒でも、ルシアーナ様とは志が違うのかもしれないわ。かなしいですわね」
「ふふ、志? サラ様、私たちはもっとお互いを知るべきだった。そう、思いませんか?」
今さら、何を。
私の苛立ちを煽るそんな言葉で、何をごまかすつもり?
「そうね。そうしていたら、ルシアーナ様を救ってあげられたかもしれない。残念だわ。でも、もう手遅れよ。民を誘拐してまで何を得ようとしたの?」
声が震えた。怒りか、恐怖か、自分でも分からない震え。だが、彼女はその震えを愉快そうに嘲笑うかのように、唇をわずかに歪めた。
「まあ。手遅れ、ですって? それはどうかしら」
細められた瞳が、弱者を弄ぶ瞳、それにしか見えない。
「私、サラ様にひとつだけ、どうしても聞いてみたいことがありましたの」
この状況で、質問?
その余裕に、罠の匂いがする。
「……何?」
「サラ様の、元いた世界、あちらの国での姓を、お聞きしたいのです」
――姓?
瞬間、心臓が跳ね、耳にまで聞こえそうな大きな音を立てた。喉がひどく熱くなる。息が詰まる。
どうして……。そんなの、どの本にも書かれていないのに。
まずい。正解が、分からない。
ルシアーナ様の口元が、ゆっくりと獲物を仕留める前のように弧を描いた。
「あら? 答えに詰まられましたのね」
捕食者。その美しい笑みが、恐ろしい。
「……私は、あちらの世界では、ここの平民のような者だったから。その、姓なんて、無いわ」
言った瞬間、喉がからからに乾いた。
唇が思ったように動かなかった。合っているのかすら分からない。
ルシアーナ様は、それを待ち受けていたかのようにふわりと微笑んだ。
「そうですのね。おかしいですわ」
小さく首をかしげる仕草。金の髪がさらりと揺れ、その光の中で、瞳だけが氷のように鋭い。
しまった、外したの? 適当な姓を言っておけば……。
「以前の“異世界の女神の使徒”のいた世界では、平民であっても皆、姓を持っていたと記録にありましたわ」
やめて。
そんな限られた者しか知らない伝承を持ち出すなんて。
「き、きっと以前の“異世界の女神の使徒”は、私とは違う国の出身だったのでしょうね」
笑わなきゃ。
誤魔化せ、自然に、と念じても、頬の筋肉がこわばり、笑顔が作れない。
「でも、あなたがお話しになったことは、異世界の女神の使徒の伝承と、まったく同じ内容でしたわ。違う国だなんて、あり得るのかしら? 名前も一緒、サラですし」
「知らないわよ、そんなこと!」
自分で驚くほど大きな声だった。
空気が震え、視線が一気に私に集まる。ルシアーナ様はただ静かな眼差しで私を見据えた。
――疑っている。いえ、もう確信している。
「あなたが“泉”で見つかったときの服、覚えていますわ。こちらで流行っている庶民の服と、まったく同じ仕立てで不思議に思いましたの。異世界でも流行っているのですか?」
「そうよ!」
返した声が尖り、震えが混じる。舌がうまく回らない。
嘘が、ばれる。
「でも、生地も縫い目も、同じように見えましたの。まるで、この世界で作られたかのように。異世界の縫製の技術はこちらの世界とは比べものにならないくらい発達しておりますのよ」
「さっきから何なの!? 何が言いたいの!?」
抑え込んでいた怒りが、とうとう弾け飛んだ。這い上がる不安と、焦りがせめぎ合っている。
――この人は、きっと全部知っている。
私が“何者なのか”まで。
「あなたがいた国以外の国の名前は? 普段どんな食事を? 余暇には何をしていたのです?」
矢継ぎ早に浴びせられる質問。
もはや会話ではなく尋問そのものだ。心臓が痛いほど早く鳴る。何を答えても、必ず矛盾を突かれる。そんな確信めいた予感で、何も口に出せない。
息が吸えない。
「……答えたくないわ。どうせ、答えたところで貶めるつもりなのでしょう?」
やっと絞り出した声は、自分でも情けなくなるほど震えていた。けれど、それでも他に言い返しようがなかった。
ルシアーナ様は、静かな笑みを浮かべた。それは優雅であり、とても冷たくもあった。
「まあ、勘がいいですわね」
その微笑だけで、場の温度がすっと下がる。
「サラ様。あなたは“女神の使徒”ではありません。そして、異世界から来た方でもないのです」
ざわり、と空気が揺れた。
椅子が軋む音、誰かが声を呑む音。それらすべてが私を追い詰める。
「な、何を言っているの。そんなの、あるわけ――!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。もう止められなかった。否定しなければ崩れてしまう。私の世界そのものが。
王太子が勢いよく立ち上がった。
「やめろ! 何を根拠にそんなことを言う!」
厳しい声。だがその怒りは、私を庇うためのものではないだろう。
宰相は眉を寄せてこちらを見ているだけ。周囲の視線は未だ一斉に私に向けられている。
「そうよ、そんなに言うなら、証拠を出しなさいよ!」
証拠はきっとある。そう思っても、もう後戻りできなかった。
ルシアーナ様は、微笑みを崩さないまま言う。
「ええ。簡単なことですわ。女神の使徒は、同じ時代に二人しか現れない。覚えていまして?」
「覚えているわ。私とあなた。……何がおかしいの?」
「もし、あなたもそうだというなら、おかしいのですよ。三人になってしまいますから」
「……三人?」
思考が真っ白に止まった。言葉が、頭に入らない。
「三人目、そんな人がいるなら、連れてきなさいよ!」
叫ぶように放った。頭のどこかで、警鐘が鳴り響く。
まずい。時間を稼いで、ここから逃げなきゃ。
「もう、いますわよ?」
その一言で、空気が張りつめた。私に向いていた視線の多くが三人目を探すために部屋中をさまよう。
どこに? 誰が――?
視線の先で、ひとりの侍女が前へ進み出た。音も立てず、深く一礼する。
確か、名前は、アンヌ。
手がすっと上がり、白い手袋を優雅に外した。そこには紋章が浮かび上がっている。
「このアンヌが、もう一人の女神の使徒です」
その瞬間。世界が音をなくした。視界がぐらりと揺れ、頭の中で何かが崩れ落ちる音がした。
誰かの息を呑む気配。誰かの叫び。けれど、それらはもう遠くで鳴る音。
嘘。嘘よ。そんなはず、ない。どうして今、名乗り出るの。
鼓動だけが異様に大きく響き、私はただ立ち尽くすしかなかった。




