3.終焉の宣告
「ふふ、ころころ意見を変える国王の命ですか?」
思わず、喉の奥から笑いがこみ上げた。
「不敬だぞ!」
「陛下! やはり最初の決定通りにいたしましょう!」
「そうです。翻せば混乱を招くだけです!」
重臣たちは一斉に声を上げ、場はざわめきに包まれた。右から左へと意見が飛び交い、誰もが己こそ正しいと主張する。
その喧噪の中で、私はそっと息を吐いた。
さて――。
「三年前。王太子の婚約者として教育を受けるため、私は王宮に参りました」
不意に始まった私の言葉に、重臣たちは顔を見合わせた。予期せぬ回想に、誰もが口を閉ざす。
王太子殿下と婚約が決まったのは、私が六歳の頃。
けれど領地は遠く、王都を訪れたのは三年前――社交界デビューと婚約者のお披露目を兼ねてのことだった。
婚約者である王太子でさえ、それまでは絵姿でしか私を知らなかったのだ。
「初めてお会いする婚約者ですもの。少しくらい、淡い期待はしておりましたわ」
祖父は言った――『王太子と慈しみ合い、国を共に背負えるならば、それが一番よい』と。
「婚約者の前に出るのに、ベールなど必要ないと思っておりましたの。でも祖父に“念のために”と勧められまして。その判断が正しかったと、王太子殿下の第一声で思い知らされましたわ。『なんだその布は? 隠さねばならぬほど醜い顔なのか』……ふふ、耳を疑いました」
そして、無理やりベールを剥ごうとしたあの瞬間を、今でもはっきり覚えている。
ああ、この人とは無理だ、そう悟った。
絵姿のままに美しい顔立ちの王太子。しかし、歪んで嘲り笑うその表情は、見るに堪えなかった。
「一体、何の話をしているのだ……」
陛下は不機嫌を隠そうともしない。唇の端が固く結ばれ、周囲の空気が一瞬で凍りつく。
「お聞きになったことはありますか、陛下。今は亡き前国王と私の祖父が、なぜ私と王太子の婚約を成立させたのかを」
「聞いてはいないが、想像はつく。年も近く、家格も釣り合う。父上方同士の仲も良い。私に相談もなく、勝手にセドリックの婚約者を決めてしまうほどに、な」
国王陛下の声は低く、言葉の端に苛立ちが滲む。私が気に入らぬ理由。それは、息子の婚約者を勝手に決められたという屈辱もあるのだろう。
けれど、問題はそこではない。
「おめでたいですわね」
「な、なんだと!?」
国王陛下が立ち上がる。
「お二方は、国の未来を案じられたのです」
私は軽く肩をすくめ、静かに続けた。
「陛下は王太子時代、すでに決められていた婚約者を蔑ろにし、学院で知り合った子爵家の令嬢に夢中だった。ご学友もまた、甘い言葉を囁く者ばかりを側に置かれていた」
言葉を重ねるたびに、場の空気が張りつめていく。
「国を憂いてのことですわ。セドリック様も、陛下のご気質をよく継いでおられた。私を王家に入れることで国が乱れぬように――そう願っての策だったのです」
「でまかせを!」
「数々の不敬、厳罰に処するべきです!」
声が重なり、場がざわめく。
その喧騒の中で、陛下は怒りに満ちた目で私をじっと見据え、やがて低く冷ややかに口を開いた。
「しかし、ルシアーナの力は惜しい。それに、女神の使徒だとすると、ルシアーナへの罰の度合いを決めかねるな……そうだ。いったん口を塞ぎ、言葉を奪ってしまえ。部屋から一歩も出すな。私の意思に従い、その力を私のために使うと決断するまで、誰も関わってはならぬ」
広間の空気がさらに重く沈みこむ。
そのとき、視界の端で立ち上がりかけた人物をとらえ、私は目だけで制してその足を止めさせた。
「ふふ、祖父は申しましたの。『己の目で見極め、この国の未来を判断せよ』と」
私は静かに言葉を紡ぎ続ける。
「臣下にいいように操られる国王。己の職務を放棄し、金ばかり費やす王妃。婚約者としての責務を果たさぬまま、容易く別の相手に心を奪われる王太子。誰かが尻拭いをせねば成り立たぬ王家に、未来などございません」
「な……っ」
陛下の頬が引きつり、赤く染まる。拳が肘掛けを叩き、場が震えた。
「女神の使徒とて、言っていいことと悪いことがある!」
怒声が広間に響き渡る。臣下たちが一斉に身を竦めた。
「ええい、近衛兵を呼べ! ルシアーナを牢へ! これは王命である!」
その叫びに、周囲は大慌てで動き出す。
――ああ、なんと軽々しく口にされる王命だろう。
命を受けた兵が踏み込もうとしたその瞬間、私は片手をすっと上げた。
『誇り高き意志に仕える者だけが、私に近づくことを許される』
兵たちの動きが、ぴたりと止まる。室内にざわめきが走り、陛下の顔が引きつった。
「もう、お忘れですか? 私の力を」
陛下の顔に、悔しさと焦りが滲む。
「……判断を下したのならば、これからどうするつもりだ。暴言を吐き、ただで済むと思うなよ」
「そうです! 女神の使徒であっても王に背くことなどあってはならない、そう教わりました。それに私にだって力があります。私が居る限り、この国に未来が無いなどおかしいわ!」
横から、サラ様が声を上げた。
私は静かに彼女を見やり、やわらかく首を振る。
「ですが、もし私が、この国の者でなくなったとしたら? その時も、王命に従う必要がございますか?」
「なに……亡命でもするつもりか」
国王の声がわずかに揺れる。広間の空気が張りつめ、重臣たちは顔を見合わせた。
「いいえ」
一呼吸置いて、唇に微笑を浮かべる。
「我がアイゼンベルク家は、独立し、一国を成すこととします」
ざわめきが爆ぜる。
「独立……?」
「何をふざけたことを……!」
「陛下、これは看過できませぬ!」
その混乱の中で、私はまっすぐ王を見据え、一歩前に出た。
「そして私が、国王となりましょう」
広間が、息を呑むように静まり返る。
「許されると思っているのか!」
「そうだ! 謀反も同然だ!」
怒声が飛び交う。だが、もはやその声は、私には空しく響くだけだった。
「前国王陛下が崩御なさる直前に署名された証文を持っております。『アイゼンベルクの姓を持つ者が、国の行く末についていかなる選択をしようと罪に問わぬ』――との御言葉と国印。王印ではなく、国印ですもの。当然、今も効力を持っております」
さっきまでの怒号が嘘のように、室内を静寂が覆う。
重い沈黙。
誰一人、言葉を続けられない。
私は裾を払って一歩進み、深く一礼した。
「もう、お話はここまででよろしいかしら? ――それでは、これをもちまして、王太子との婚約、並びに王家でのお勤めを終了とさせていただきます。私は領地へ戻り、建国いたしますわ」




