19.王太子の贈り物
「王太子一行がお見えになりました。殿下方は、お部屋でお待ちです」
従者の報告に、私は軽く頷いて立ち上がった。歩みを進めるごとに、胸の奥で何かが冷えていく。
重い扉に手をかけ、押し開ける。部屋の奥では、王太子がいつも通りのふんぞり返った姿勢で椅子に腰を下ろしていた。
背後には数名の兵が控えている。剣の鞘がこすれる金属音が、わざとらしく静寂を裂いた。
護衛というより、力の誇示。
私の姿を認めた瞬間、彼の顔がぱっと明るくなる。見たことのない笑顔だけれど、その奥にある下心など、とうに見抜いている。
「おお、ルシアーナ、待っていたぞ」
「殿下。もう、あなたの婚約者ではございません。呼び捨てはお控えください」
私が口を開くより早く、マルセルが一歩進み出て、冷たく告げた。
王太子は面白くなさそうに肩をすくめ、鼻で笑う。
「何だ、“陛下”とでも呼べというのか? まだ“王”ではなかろう。我が国が承認していないのだからな。──今日はその話をしに、わざわざ来てやったのを忘れたわけではないだろう?」
マルセルの眉がぴくりと動き、目は険しい光を宿した。
「マルセル、いいわ。……話が進まないから」
王太子は勝ち誇ったように口角を上げ、悠々と手を差し出した。
「ルシアーナ、これが我が国からの提案だ」
差し出された書状を受け取る。
目を通すと事前に掴んでいた情報と、まったく同じ文面だ。私は黙って隣のユリウスに手渡す。文書は順に回され、部屋の空気が一層張り詰めた。
「このような内容、受け入れられないわ」
私がそう告げると、王太子は堪えきれぬといったように笑い声を上げた。
「ははっ、やはりそう言うと思った。その強気……例の“前王の証文”とやらのおかげか?」
「そうね。あの証文がある限り、国を興すことは罪に問われない。ドレイスブルグの承認がなくとも、私たちは進めるわ」
「それでは蛮国と変わらぬではないか。それに、その証文とやら、本物かどうかも怪しいものだな」
……やはり、それが本命。
“確認しに来た”のではなく、“疑いに来た”。彼の目の探るような光が、それを物語っていた。
「確かめるといいわ。マルセル、持ってきて」
マルセルが静かに頷き、厳重に封印された文書箱を抱えて近づいた。王太子の視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「先に言っておくわ。当然、保護魔法はかけてある。破るような真似はできないから、そのつもりで」
王太子が舌打ちをし、確認をする。
「っ、サインも国印も偽物、ではないな」
当然よ。
彼は文書を戻した。私はそのまま新たな書状を差し出す。
「一応、こちらも条約案を用意したわ。お互いに譲歩するのが妥当だと思うけれど。どうかしら、国の代表様」
紙を受け取る彼の指先が、ほんの少し強張っているのを見逃さない。思っていた流れと違ったと言いたげね。
「即答はできない。時間をくれ……ああ、そうだ」
彼はふと思い出したように、テーブルの上に小さな箱を置いた。黒い漆塗りの表面が、光を受けて冷たく光る。
「これは?」
「私からの贈り物だ。何、これまで何も送ったことがなかったからな。これから良好な関係を築くための、証だ」
「いらないわ」
きっぱりと言い切ると、彼はわざとらしく笑った。
「はは、そう言うな。国の代表が持ってきた献上品を無下に断るのは、礼に反するだろう?」
このタイミングで贈り物、ね。あやしすぎる。彼の笑みの裏に、何か仕掛けがあるのは明らかだった。
「エミリア」
「はい」
控えていたエミリアがすぐに前へ進み、両手をかざす。淡い光が箱を包み込む。部屋の空気が、ぴんと張り詰めた。
「この腕輪……魔方陣が組み込まれていますね」
エミリアの声が静かに響いた。空気がピリッと張りつめる。誰もが息を潜める中、私は腕輪を見つめたまま尋ねた。
「どんなものか、わかる?」
「時間をいただければ、分かります」
「その必要はない。貸してみろ」
王太子が立ち上がり、腕輪を奪うように手に取った。
彼は自らの腕に迷わずはめた。すると、金属がひとりでに縮んで王太子の腕にぴたりと馴染んだ。数秒後、外すと再び元の大きさに戻る。
王太子は顔を上げ、どこか誇らしげに言った。
「ご覧のとおりだ。持ち主の腕のサイズに合わせる魔方陣を組み込んでいる――ただそれだけのものだ」
わざわざ自分で身につけて見せるあたり、随分と自信があるのね。ならば、ここで断るわけにもいかないわ。
「では、ありがたくいただくことにします」
箱をユリウスへと渡す。
「おいおい、つけてみせてはくれないのか? 私がわざわざ“安全”をこの身で証明したというのに」
視線をお祖父様へ送ると、彼は静かに首を振った。周囲の人々の顔も不安げにこわばっている。けれど、ここで拒めば今後の交渉に支障をきたす。
仕方ない。エミリアがいる、最悪の事態にはならないはず。一つため息をつき、ユリウスの方を見て、手を差し出す。
「わかったわ。ユリウス、つけてちょうだい」
「……は?」
王太子の眉がぴくりと動いた。
まるで信じられないと言いたげに呟いたその声に、思わず眉をひそめる。
「ちょっと待て! なぜユリウスに!」
王太子が勢いよく立ち上がる。一斉に周囲の護衛たちが警戒の色を見せた。
「何か問題でも?」
私は平然と返す。
「問題大ありだ! 自分でつけて、目の前の私に見せればそれでいいだろう!」
なぜそんなに焦っているのかしら。無視して進めましょう。
「待て! 私がつける。よこせ!」
こちらに詰め寄ろうとする王太子を、ガレスが素早く押しとどめた。
「王太子殿下、お座りください。理由があるなら、おっしゃってください」
「黙れ! どけ! 贈り物をほかの男がつけるなど、礼を欠くにもほどがある!」
――ああ、そういうこと。
嫉妬、ね。
なら、なおさら無視。私はユリウスに目で合図した。彼は静かに頷き、机の上の腕輪を手に取る。ユリウスが一歩、私のそばに近づく。
差し出した私の手首を、彼の指が慎重に包み込む。冷たい金属と、彼の体温の差が妙に鮮明に伝わった。
そのまま彼が顔を上げた瞬間、青灰色の瞳がまっすぐ私を射抜いた。息が少しだけ詰まる。
「ルシアーナ! こっちを向け! ああっ、くそ!」
……まあ、口が悪い。
そんなことを思っていると、腕輪がぱっと光を放った。
「さっきとは違う……光っただと! 王太子殿下、やはり何か仕掛けたのではありませんか!」
ラザフォードが声を上げる。
「ルシアーナ様、何か変化は?」
ユリウスの声がすぐ近くで響く。
「ないわ。ただ、この腕輪、外れないみたい」
場が一気に騒然となる。
「王太子殿下を別室へ!」
「私も行きます。口を割らせるのは任せて」
マルセルとエミリアがすっと前に出た。兵はガレスたちに捕らえられ、王太子は悔しそうに顔をゆがめながら、両腕を取られて連れ出される。
「ルシアーナ様は判明するまでこの部屋に。腕輪をつけたユリウスも傍に。アンヌ、万一に備えておけ」
「「かしこまりました」」
祖父とラザフォードも次いで出て行く。
扉が閉まる音がして、重苦しい沈黙が落ちる。
まさか、こんな敵地で、こんな大胆な真似をしてくるなんて。不安を抱えながらそっと、腕輪を見た。




