表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/40

16.林檎パイと革のしおり

 外套の裾を翻し、古城の外へと歩み出る。


 城門の前には、二頭立ての馬車が待っていた。陽光を受けて、磨かれた車輪の金具がきらりと光を返す。



「いつでも出発できます」



 御者の声に、私は小さく頷いた。


 一歩、馬車の前へ進み出ると、ユリウスが私の前に立ち、恭しく手を差し出す。




「お足もとにお気をつけください、ルシアーナ様」



 その声音は柔らかく、穏やかだった。私は彼の手に支えられ、馬車に乗り込む。続いて、アンヌが軽やかに裾を揺らして続いた。


 扉が閉まり、馬車はゆるやかに動き出す。


 ユリウスが窓を少し開けると、風が香りを含んで流れ込む。



「風が気持ちいいですね」




 私は頷き、窓越しに街の景色を見つめた。近づくにつれ、音と匂いが一層はっきりと感じられてくる。


 鍛冶場の鉄の音、果実の甘い香り、遠くの笑い声、そしてどこかから聞こえる笛の音。


 やがて馬車が速度を落とす。


 御者の「到着いたしました」という声とともに揺れが止まり、私は外套の裾を整えた。ユリウスが先に降り、扉を開ける。陽光が差し込み、その中で彼は私へ手を差し伸べる。



「どうぞ、ルシアーナ様」


「ありがとう、ユリウス」



 足を踏み出すと、街の風は柔らかく、午後の陽光は揺れていた。アンヌが続いて降り、背後で馬車の扉が静かに閉まる。



「見て、ユリウス。美しい街でしょう?」



 私がそう言うと、彼は微笑みを浮かべて頷いた。



「はい。時間がゆっくり流れているみたいです」



 私はその言葉に小さく笑みを返す。


 彼の瞳に映るこの街が、いつか彼自身の“国”になるように。そんな願いを胸に、私は歩き出した。


 市場のざわめきの奥に、彼らの暮らしの温もりと重みが見える。人々の声、笑顔、積まれた果実。そのすべてが、この国の形をつくっていた。



 ユリウスが私の隣に歩み寄る。




「店通りに来ると活気がありますね」


「そうね。ほら、ユリウス。焼きたての林檎パイよ。食べましょう? あなた、好きでしょう?」



 湯気の立つパイから、甘く香ばしい香りが漂う。



「好きですが……視察中ですので、食べ歩きは……」


「堅いこと言わないの。じゃあ、半分こしましょう。せっかく来たんですもの。――すみません、リンゴパイを二つください」



 露店の店主がにこやかに紙包みを差し出す。


 私は小さな革袋から銅貨を取り出して渡し、包みを受け取った。パイを二つに割り、片方をユリウスの手にそっと乗せる。




「どうぞ、ユリウス」



 湯気の中から、とろりと溶けた林檎が覗く。琥珀色の艶が陽にきらめいた。


 ユリウスは一瞬ためらい、やがて意を決したように口に運ぶ。




「……っ! 本当に、おいしいですね!」


「でしょ? この街で一番人気なの。はい、アンヌもどうぞ。あなたは一つ全部食べられるわよね?」


「ありがとうございます! 余裕で食べられます!」




 笑い声が混じる中、私たちはパイの香りを残したまま、ゆるやかな坂道を歩いた。


 行き交う人々の笑い声、鐘の音、遠くの噴水の水音。そのすべてが、穏やかな昼下がりの調べのようだった。


 ユリウスは隣で静かに街を見つめている。彼の歩幅は常に私に合わせられ、時折、さりげなく人の流れから私を庇うように身を寄せた。


 やがて、通りの角に古びた木製の看板が見えてくる。



 “雑貨店クローヴ”




 扉を押すと、鈴の音が軽やかに響いた。


 中は、紙と革とインクの匂いが混ざる静かな空間。思っていたよりもずっと広く、整然と並ぶ品々が柔らかな光を受けてきらめいていた。


 奥の棚には封蝋や便箋、革張りのノート、繊細な羽ペン。


 隣の棚には、色とりどりのリボンや香り袋、花模様のティーカップ。さらに奥へ進むと、紅茶やジャム、蜂蜜の瓶が整然と並んでいる。



「素敵ね」



 思わず声が漏れた。窓から差し込む昼の光が瓶やガラス器に反射し、店内に小さな虹のようなきらめきを散らす。



「アンヌは何を買うの?」


 尋ねると、アンヌは紅茶の棚の前で微笑んだ。




「エミリア様にお土産を。これで特訓を少し手加減してもらえたら……あはは、無理ですね」


「まぁ、アンヌったら」



 その笑顔が可愛らしくて、私もつい笑ってしまう。


 アンヌは孤児院出身だった。


 私が幼い頃、孤児院を訪れた際に出会い、迷わず連れ帰った。その後、エミリアが直々に教育を施し、今では諜報も魔法も剣も、そして侍女としての作法まで完璧にこなす。



「エミリア様は最近、華やかな香りの紅茶を好まれますが……この新作も気になりますね。うーん……でも、これにします!」



 その声音は明るく、迷いのない笑顔が咲いた。


 かつて孤児院の片隅で怯えていた少女が、今はこんなにも凛として美しい。



「きっと、エミリアは喜ぶわ。あなたが選んだ紅茶ですもの」



 私がそう言うと、アンヌは少し照れたように頬を染めて笑った。


 ふと視線を向けると、ユリウスが真剣な表情でノートや羽ペンを選んでいる。革の装丁を指でなぞり、ページをめくるたびに小さく息をついていた。



「熱心ね。気に入ったものは見つかった?」


「あっ、すみません……こういうのは、見ているだけで時間が過ぎてしまいますね」


「ふふ、いいのよ。ゆっくり見て。私はお祖父様へのお土産を探してくるわ」



 何か、お酒のお供になりそうなものはあるかしら。そんなことを考えながら、私は棚を覗き込んだ。


 買い物を終えて店を出ると、昼下がりの陽光が街を包んでいた。


 穏やかな風が頬を撫で、遠くから鐘の音が柔らかく響く。




「ルシアーナ様」


 ユリウスが歩み寄ってくる。その手には細長い包み。金のリボンで丁寧に結ばれていた。



「これは?」


 受け取ると、彼は少しだけ視線を逸らし、控えめに言った。




「今日、街を案内してくださったお礼です。大したものではありませんが……」


 そっと包みを開くと、中から小さな革のしおりが現れた。淡い茶色の革に、白と青の糸で小さな鳥の刺繍が施されている。



「まぁ……かわいい!」




 思わず笑みがこぼれた。指先でなぞると、革の感触と糸の温もりが伝わる。



「小鳥、お好きでしょう? 最近、ルシアーナ様はまた、執務の際によく眉を寄せておられますので……少しでも癒やしになればと」


「まぁ、そんなところまで見ていたの?」




 思わず頬が熱くなる。眉を寄せていたなんて――少し恥ずかしい。




「はは、失礼しました。さぁ、遅くならないうちに帰りましょう」


「ふふ、そうね。ありがとう、ユリウス。……しおり、とても嬉しいわ」




 隣を歩くユリウスの横顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


 午後の光が彼の髪を金に染め、柔らかな風がその笑みを包み込む。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ