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【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます  作者: 楽歩


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14.従属の腕輪 side王太子

 side王太子



「父上、お呼びでしょうか」




 玉座の間に一歩踏み入れた瞬間、空気がきゅっと細く張りつめるのを感じた。


 暖炉の残り火が揺れる中でさえ、そこだけ別の温度があるかのようだった。




「アイゼンベルク領が、国としての独立を宣言した」


「――っ!」




 思わず顔を上げると、父の顔には荒々しい怒りよりも、抑えた苛立ちが刻まれていた。額の筋がひとつ、堅くなる。




「すでに他国の承認も得ているそうだ。ヴェリディア国を名乗り、各地の領が雪崩を打つように下っている。すでに我が国の三分の一に及ぶ」


「そんな馬鹿な」



 裁きの末に赦免を与え、我が物にするつもりだったのに。思惑は音を立てて崩れつつある。


 送り込んだ兵はどうなったのだ。まさか全滅か。吐き捨てるように舌打ちが漏れる。


 役立たずめ。




「このまま国境を広げられるのはまずい」


 父の声は低く、焦りを抑え込むように絞られていた。




「しかし、他国の承認があろうと、我が国からの正式な承認なしに独立は成立しません」


 私は冷静を装って返す。背筋を伸ばし、声を可能な限り平静に保った。




「陛下の承認なくしては、載冠式も行えず、国王として擁立も不可能、そう定められているはずです」


「その通りだ。だが、前国王が遺したという証文が、万が一本物であれば……」




 父の視線が鋭くなる。


 反乱者に過ぎぬ者を誰が“王”と認めるというのか。そんな前例を許せば国はたちまち分裂し、統治の秩序は瓦解する——。


 前国王が『ルシアーナ・アイゼンベルクが、いかなる選択をしようと罪に問わぬ』などと遺すはずがない。遺恨を残す書状を、真に受ける理由はない。偽物に違いない。



「今はまだ、宣言に過ぎん。だが、このまま実行に移されれば厄介だ。私は、ルシアーナを国王として認めるつもりはない」


「それで、私はなぜ呼ばれたのですか」


「兵が捕らえられた。しかも、図々しくも賠償金を要求してきた」


「賠償金を?」




 信じがたい。確かに兵を出したのはこちらだ。だがそれは“正義の行い”のはずだ。賠償金など、厚かましい要求だ。




「賠償金は、払うのですか?」


 短く鼻で笑う父の声が即座に返る。



「はっ、払うわけがあろうか。すでに断りの書簡を送っておる」


 即答だった。ならば余計に、私がここに呼ばれた意味が見えぬ。




「では、私は何のために――」


「いいか、息子よ」


 父の声が鋭くなる。指先で卓上の書簡を弾くようにして開くと、細かい条項が並んでいた。




「ルシアーナに“国王としての承認”を与える代わりに、条約を結ぶと言え。その条約さえ成立すれば、我が国の統制の下に置ける。これは同盟ではない、支配の再構築だ」



 書面は非情だった。



 ・年間貢納はドレイスブルグ国の定める額に従うこと。

 ・ヴェリディア国は統治権を有するが、重要政策はドレイスブルグ国と協議のうえ実施する。

 ・国境線の確定はドレイスブルグ国の指示に従う。

 ・他国との同盟にはドレイスブルグ国の承認を要する――国境防衛の協力、軍の規模制限など。


 名目は独立でも、その実態は属国同然。力をもって縛り直す、父の狙いは明白だった。




「受け入れるでしょうか」


「一つも譲るものなどない。ああ、それから証文の確認も怠るな。もちろん本物であろうが偽物であろうが、その処分も含めてだ」



 父の目が細く光る。



「お前は次代の王だ。彼女が拒めば、どんな未来が待つか、考えてみろ」


 その言葉が重く落ちる。次代の王としての義務と、胸の奥に残る個人的な情がにぶくせめぎ合う。玉座の間の影が長く伸び、時間がゆっくりと流れるように感じられた。


 ルシアーナを、計画通り捕らえていたなら――


 思わず喉が鳴る。答えの無い問いだけが、静かに響いた。




「……父上。実は、今の出兵でルシアーナを捕らえたなら、彼女を私の妃とするつもりでした」



 声がわずかに震えた。玉座の間の空気がぴたりと止まる。



「邪な心を抱かぬよう、私が一生監視する。女神の使徒を二人、王妃として迎えれば、この国は永遠に安泰だと、そう、父上に進言しようと思っていたのです」


 言い終えた瞬間、静寂が満ちた。


 



「……ほう」


 父はゆるやかに目を細めた。その声音には、驚きも称賛もない。ただ冷ややかな沈黙だけが、ひどく重く胸にのしかかる。


 胸の奥でざらついた感情が広がる。悔恨か、諦めきれぬ想いか。もはや自分でも分からなかった。


 やがて、父の口元がわずかに歪む。“悪くない策だ”とでも言いたげな目で、侍従を呼び寄せ、何やら短く告げる。


 重い足音。侍従が運んできたのは、黒檀のように深い艶を放つ箱だった。



 金で刻まれた王家の紋章が、淡い光を受けて鈍く輝く。


 胸の奥が、不吉にざわめいた。



「――これを、お前にやろう」


 父が箱を開ける。


 中に収められていたのは、銀と黒鉄の混じった腕輪。散りばめられた宝石が淡く光を返すたびに、空気がひやりと震える。その美しさとは裏腹に、冷たく人を拒むような気配があった。



「これは?」


「隷属の腕輪だ」


 父の声は低く、石壁に反響してさらに冷たく響いた。



「装着した時、目が合った者の命令に逆らえぬ。どんなに強い意志を持っていようともな」


「……そんなものが、実在するのですか」



 思わず声が震えた。魔具。それも、人の意志を縛る禁忌の類。とうの昔に封印されたはずのものを、父は当然のように差し出している。



「我が国にとっては、ルシアーナが独立などするより、お前の妃になる方がよほどいい」


 父の声が淡々と続く。


「だが、あの生意気な娘が素直に従うとは思えん。寝首をかかれても困るからな」



 薄く笑った王が、指先で腕輪を弾く。


 金属音が澄んだ響きを残し、石造りの広間に反響した。




「お前に任せよう。お前の“意志”次第だ」


 その言葉が刃のように胸に突き刺さる。


「ありがたく、受け取ります」



 差し出された腕輪を受け取った瞬間、指先に伝わる冷たい金属の感触に、息を呑んだ。

 その冷たさがまるで心臓にまで沁みていくようで。




 箱を閉じ、腕輪を袖の奥に隠したまま、私は玉座の間を辞した。




 背後で扉が閉じる音が響く。


 重く、乾いた音だった。この先に戻る道など存在しないと告げるように。


 


 ――隷属の腕輪。



 その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥に走ったのは嫌悪ではない。微かな安堵だった。


 

 私は、彼女を欲した。

 


 だから捕らえればいい。生かして、逃げられぬ場所に置けばいい。そうすれば、いつか分かり合える――そんな都合のいい幻想も、いつかは「愛」になる。


 


 だが、腕輪は、理解も、対話もわかり合うことも必要ない。


 従属だ。一層簡単ではないか。


 


 長い回廊を歩きながら、私は拳を握り締めた。


 この腕輪があれば、ルシアーナは逆らえない。命じれば微笑み、命じれば跪き、命じれば……愛を口にすることさえできる。



 父は、理にかなっている。そうなれば、国は安定し、神殿は沈黙し、他国も異を唱えられなくなる。


 女神の使徒を二人、妃として抱え込めば、信仰も、血統も、権威も、すべてが手に入る。


 


 ――完璧だ。


 


 頭の中でそれで、本当にいいのか、と声が聞こえた気がした。だが私は、その声を無視した。


 聞かなかったことにした。


 王太子として、それは「不要な迷い」だからだ。


 


 ルシアーナの瞳を思い出す。


 刃のように鋭く、炎のように揺らがぬ眼差し。あの目が、命令一つで曇る様を想像して、喉が鳴った。



 


 ふと、足が止まる。


 回廊の窓から射し込む夕陽が、床に長い影を落としていた。

 その影の先に立つ自分を見下ろしながら、私は思う。

 


 父の声が、脳裏に蘇る。


 ――お前の“意志”次第だ。


 


 意志。


 便利な言葉だ。


 王家のため。

 国のため。

 女神のため。


 そう唱えれば、どんな欲も正義に化ける。


 


 箱の中で、腕輪が微かに動いた気がした。まるで、「使われる時」を理解しているかのように。


 


 私は息を吐き、歩き出した。


 


 次にルシアーナと相対する時、私は王太子として立つ。条約を携え、理屈を並べ、拒絶の余地を削ぎ落とし。


 それでも彼女が拒むなら――


 


 その時こそ、私はこの腕輪を使う。躊躇なく。正しいことだと信じて。


 


 ふと気配がして、見ると、廊下の角から現れたのは、サラだった。



「王太子殿下……お忙しいところ、すみません」


 小さく頭を下げる姿は、ひどく従順だ。疑うことを知らない眼。


 


「いや、構わない」


 私は、完璧な微笑を浮かべた。


 この顔には、何の曇りもないだろう。悩みも、迷いも、罪の影も。


 


「何か、用事が?」


「お父様から、しばらく殿下と一緒に城内を歩いて、国のことを学ぶようにって……」


 宰相の差し金。だが、構わない。



「そうか。ちょうど執務が終わったところだ」


 ――嘘だ。


 だが、彼女は疑わない。


 


「廊下は冷える。歩きながら話そう」


「はい」



 サラは安堵したように微笑み、私の半歩後ろに下がる。その距離が、心地いい。


 


「殿下……何か、ありましたか?」


 不意に向けられた問いに、心臓が一瞬跳ねた。


 


「いいや」


 即座に否定する。


「国境で少し揉めているだけだ。君が気にすることではない」


 


「でも……」


「問題ない」


 声を強める。これ以上、踏み込ませない。


 


「すべて、王家が対処する」


 


 サラは口を閉ざし、やがて小さく頷いた。


「そう、ですよね」


 


 その従順な返事に、満たされる。


 


「私は君の味方だ」



 そう告げた瞬間、サラの瞳がぱっと輝いた。


 「ありがとうございます、殿下」



 その笑顔は、疑いも恐れも知らない。いつか、ルシアーナも同じように微笑むだろう。




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