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宇宙船墓場で古代エイリアンのアンドロイドとして転生した件  作者: 謎村ノン
第IV部 オッコク編

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第五十五章 シャドーコンパス

 アラージが卓の中央へ滑らせた神具は、近くで見ると、さっきまで遠目に見ていた時よりずっと妙だった。

 まず、材質の見当がつかない。

 金属のようにも見えるし、磨かれた石みたいにも見える。

 でも、どちらとも違う。

 表面はなめらかなのに、光の反射の仕方が普通ではない。角度を変えるたび、青銀色の細い線が内側から遅れて追ってくる。まるで、表面の下にもう一枚、別の層があって、それがこちらの視線に反応しているみたいだった。

 丸く、平たい。

 厚みは薄いが、華奢には見えない。

 縁に、ごく細かな刻印が刻まれていて、それは僕の知るグラブール文字とも、人類の文字とも違っていた。

 数字にも見えるし、座標にも見えるし、単なる装飾にも見える。

 しかし、どれでもない気がする。

「これが、シャドーコンパス、なんですね」

『はい』

 卓の上へ投影された補助表示が、神具の輪郭に沿って回転する。

『神殿監察部保管神具、第七分類、通称シャドーコンパス。高位遺物で、伝承上は“隠された神域の方向を示すもの”とされています』

「伝承上、か」

 ブライアントが、腕を組んだまま言う。

「実際は?」

『実際の機能は、伝承よりもう少し工学的です』

 アラージの返しは、いかにもこの場所らしかった。

『高密度シャドーマター分布の偏位、位相の癖、通常航路から外れた場の歪みを、複合的に指し示すための神具と考えられます』

『同意します』

 青葉が告げた。

 僕は、卓の上のシャドーコンパスを見つめた。

「つまり……普通のセンサーじゃ見つけにくいものを、これなら追えるかもしれないってことですか?」

『そう期待しています』

 アラージは頷く。

『魔女ネットワークによる広域探査、神司輸送隊の既存航路、監察部保有センサー、いずれも機怪天国の失踪後、決定打にはなりませんでした』

「だから、神具が必要になったのか」

 ブライアントが、そう一言、告げた。

 アラージは、その言葉を受けた。

『はい』

 ジェプラが、少しだけ身を乗り出した。

『その神具は、これまで魔女様方でも扱えなかったのですか?』

『完全には、です』

 アラージは訂正するように言った。

『反応そのものは、取れます。しかし、情報の密度に対して、解釈が粗いのです。方角は取れても、どの層を示しているのか、何を基準に指しているのか、十分に読み解けない』

 それは、なんだか僕には少し分かる気がした。

 たとえば、青葉と繋がって艦の状態を見る時でも、ただ情報がたくさん流れ込んでくるだけでは意味がない。何が艦体外装で、何が推進制御で、何が分子機械群なのか、感覚の側で自然に“分けて見える”から使えるのだ。

 もし全部が一度に押し寄せてきて、ただ膨大なノイズの塊にしか見えなかったら、どれだけ高性能でも役に立たない。

 たぶん、シャドーコンパスも同じなのだろう。

「それって、読む側の適性がいるってことですよね?」

 僕が聞くと、アラージは静かに言った。

『はい。この神具は、元々、魔女たちが主たる使用者ではありませんでした』

 僕は、小さく息を吐いた。

 やっぱり、そう来るのか、と思った。

 ここまでの流れで、もうだいたい予感はしていた。

 この神具は、僕が関わるから、初めて意味を持つかもしれない。

 “便利だから貸す”のではなく、そういう類のものだ。

 ナルディアが横から、わりと気楽な声で言う。

「それで……弓良なら、その“読解”ができるの?」

『現時点では、可能性が高い、としか言えません』

「弓良向けってことだよね」

「だろうね」

「こういうの、だんだん慣れてきた?」

「慣れたくはないかなあ……」

 僕が苦笑すると、ナルディアも少しだけ笑った。

 でも、その軽い返しの奥に、少し緊張もあるのが分かった。

 この子も、これがただの道具の授受ではないと理解している。


***


 アラージは、そのまま説明を続けた。

『この神具には、古い伝承が残っています』

 卓の上の補助表示が切り替わる。

 今度は、神殿文書の一部らしい。

 記号列、注釈、翻訳補助――その断片的な文章の中に、“機怪人形”に相当する語が見える。

『機怪天国との連絡が乱れた時、これを読むのは、魔女ではなく“神の側の機怪人形”であるべし』

 部屋の空気が、少しだけ変わる。

 ナルディアが先に反応した。

「うわ、出た。そういうの」

「すごく嫌な感じのするやつだ」

 僕が言うと、ギラが小さく羽を鳴らした。

『でも、嫌な感じがする時ほど、だいたい本筋に近いんですわ』

 たしかに、その通りだ。

 アラージは、僕の反応を見ながら、淡々と補足する。

『伝承は、誤読や脚色を含みます。ですが、この神具の保守記録と、監察部の過去試験結果を見る限り、少なくとも“機怪人形への適性”は無視できません』

「機怪人形用、か」

 ブライアントが低く言った。

『はい』

 アラージは、頷いた。

『神子弓良。『青葉』。あなた方は、魔女たちよりも、この神具の設計思想に親和性があると推測されています』

 その言い方は、すごく嫌な方向に自然だった。

 僕と『青葉』が、機怪天国や機怪人形として、何か特別な意味をもつ。

 そういう言葉は、もうこれまでにも何度か別の形で出てきていた。

 でも、今回はそれが“神具の使用条件”として、かなり具体的に提示されている。

「青葉……」

『はい』

「……どう思う?」

 僕が小さく尋ねると、青葉は、いつもの落ち着いた声で答えた。

『本艦としては、試す価値が高いと判断します』

「やっぱりね」

 青葉はさらに続けた。

『この神具は、単純な方位計ではありません。内部に複数の反応層があります。通常のシャドーマターの入力では、同時に出力された内容を完全には理解できない可能性があります。しかし、弓良なら、その複数の反応層の出力内容を分析、把握可能かもしれません』

「青葉まで、そういう言い方するんだ」

『事実です』

 青葉がそう言うと、卓の上のシャドーコンパスが、ほんのわずかに光ったように見えた。

 僕は一瞬、目を細める。

 今のは、ただ照明が角度を変えたせいかもしれない。

 でも、それにしては少しだけ反応が早すぎる気がした。

 アラージは、そこを見逃さなかったらしい。

『既に、わずかな応答が出ています』

「え?」

『神具が、神子弓良の存在を無視していません』

 その一言に、ナルディアが小さく「うわ」と言った。

「もう始まってるじゃん」

「そうみたいだね……」

 僕は、苦笑するしかなかった。

 まだ触ってもいないのに、“無視していない”と表現されるのは、だいぶ落ち着かない。

 でも、同時に、少しだけ奇妙な親和感もある。

 僕は、巡洋艦『青葉』へ初めて深く触れた時の感覚を思い出していた。

 あの時も、ただ未知の塊へ触ったはずなのに、妙に“返ってくる”感じがあった。

 拒絶ではなく、応答――まるで、電話をかけて応答が返ってくるまでの間みたいな感じだった。

 自分の側から覗き込んでいるのに、向こうもこちらを見ているような感覚。

 このシャドーコンパスも、それに少し似ている気がした。


 アラージの仮想体は、そこで何かを操作して、神具本体を少しだけこちらへ寄せた。

『触れてみますか』

 その一言だけで、部屋の空気がぐっと静まる。

 ナルディアは、期待半分、不安半分という顔で僕を見る。

 ジェプラは、祈るみたいに手を揃えた。

 ギラは、面白がりたい気持ちを少し抑えて観察する側へ回っている。

 足元で、太郎がいつもの丸い顔を少しだけ上げた。

『弓良、無理なら、あとにしてもよい』

 ぶっきらぼうな言い方だったが、止めたいわけではなく、確認しているだけなのが分かった。

『未知の道具は、だいたい最初が一番危ない』

「壊したら困るからね」

『太郎なら、まず説明書を探す』

「その説明書が、なさそうなんだよなあ……」

 ブライアントも、僕の顔をまっすぐ見た。

「嫌なら、まだ断っていい」

「うん」

「ここで無理に触る必要はない」

 その言い方は、すごくブライアントらしかった。

 前へ行く時には押してくれる。

 でも、“自分で選べ”という線だけはいつも引く。

 僕は小さく息を吐いた。

「嫌、っていうより……」

「怖い?」

 ナルディアが聞く。

「少しは」

「だよね」

「でも、たぶん、ここで触らない方があとでずっと気になる」

 そう言うと、ブライアントがほんの少しだけ口元を緩めた。

「なら、答えは決まってるな」

「うん」

 僕は頷いて、手を伸ばした。


***


 僕が恐る恐るシャドーコンパスの外縁へ指先を触れた、その瞬間だった。

 金属とも鉱物ともつかない冷たさが、皮膚から腕へ伝わったと思った次の瞬間、円盤の内側に刻まれた細かな目盛りが、かすかに青白く発光しはじめた。

 最初は、ただ光っただけに見えた。

 けれど、よく見ると違う。目盛りそのものが、生き物のようにじわじわと位置を変えている。

 固定された尺度ではなく、何かを追って、何かに合わせて、絶えず再編成されているようだった。

「え……?」

 思わず声が漏れた。

 そのとき、視界の奥で、何かに接続されたような感覚があった。

 目の焦点を変えたわけでもない。なのに、見えている世界の“層”が一枚剥がれ、その向こう側が覗いたように感じた。

 まず見えたのは、空気でも光でもない、目に見えないはずのものの遍在だった。

 シャドーマターだ。

 この宇宙に薄く満ちていると、青葉から説明を受けていた、あの不可思議な物質だ。

 それが、ただそこに“ある”だけではなかった。

 流れていた。

 それも、風のように曖昧な流れではない。

 もっと巨大で、もっと秩序だった流れだった。

 シャドーマターは、高次元空間を介して、この銀河のいたるところに、網の目のように張り巡らされていた。

 濃いところと薄いところがあり、その分布はまるで河川地図のようだった。細い支流のようなものが無数に枝分かれし、いくつもの流れが重なり合い、ときに大きな本流となって、見えない宇宙の深みへと走っている。

 しかも、それは静止していない。

 ゆっくりと、しかし確かに、河の水が絶えず下流へ向かうように、何かの勾配に従って流れていた。

「こんな……」

 僕は、息を呑んだ。

 いままでだって、魔法を使うとき、シャドーマターの“流れ”を感じることはあった。

 でも、それはせいぜい、自分の周囲に漂う霧に濃淡を察して、それを取り込んだり方向性を制御できたりする程度のものだった。

 今は違う。

 感覚そのものが、極限まで引き延ばされている。

 耳がよくなったのではない。

 目がよくなったのでもない。

 シャドーマターを感じるための、僕の中の何かが、限界を超えて拡張されていた。

 まるで、自分の感覚器官が銀河規模に引き伸ばされ、この宇宙に張り巡らされた見えない流路の全体を、一度に受け止めようとしているみたいだった。

 そして、その流れの先に、僕は“何か”を見た。

 銀河の彼方、無数の流れが集まり、あるいは吸い込まれるように細っていく終端だ。

 そこには、ただの空間とは思えない場所があった。

 距離の感覚が曖昧で、大きさも分からない。けれど、確かに異質だった。高次元空間の襞の向こうに、ぽっかりと口を開けた、特別な空間だ。

 暗いわけではなく、むしろ、言葉にしにくい明るさがあった。

 物理的な光ではなく、構造そのものが“濃い”としか言いようのない、異様な実在感だった。

 あれは何だ?

 シャドーマターの大河が、最終的に流れ着く海なのか。

 あるいは、逆にそこから全てが供給されている源泉なのか。

 コンパスの目に見えない目盛りは、その“彼方”に向かう方位を、狂ったように組み替えながら示し続けていた。

「……っ」

 あまりに広すぎる。

 あまりに遠すぎる。

 感覚が引き延ばされすぎて、意識そのものが、その高次の流れへ吸い込まれそうになった。

 危ない、と本能的に思った。

 僕は慌てて意識の焦点を近くへ戻した。

 遠方の大河や終端ではなく、自分の周囲へ。いま、自分がいる場所へ。

 すると、今度は、ぐっと分かりやすい像が浮かび上がった。

 まず、自分だ。

 僕の内部には、他よりもずっと濃いシャドーマターの束が、螺旋のように折り重なっていた。

 身体の表面だけではない。骨格にあたる部分、神経のように張り巡らされた内部構造、胸の奥、頭の奥、そのどこにも、細い流路が精密に織り込まれている。

 そして、その僕から、細くも強い一本の流れが、すぐ隣の存在へつながっていた。

 青葉だ。

 姿はここになくても、分かった。

 僕と青葉のあいだには、ただ通信がつながっているというだけでは済まない、密度の高いシャドーマターの相関路が形成されていた。

 二つの存在が、高次元空間の回路で半ば一体化しているような感じだった。

 僕が何かを感じれば、その揺らぎが青葉へ伝わり、青葉の演算が逆にこちらへ返ってくる。その往復が、まるで双方向の河のように循環している。

『弓良、心拍と演算負荷が急上昇しています。見えていますか?』

 青葉の声が、いつもよりもずっと近く聞こえた。

 声というより、その存在そのものが、僕の感覚の中で直接ふるえたように感じる。

「見える……見える、けど……これ……すごい……」

 さらに視線を広げると、その先に、巡洋艦『青葉』があった。

 停泊中の艦の外殻、機関部、分子機械の管路、艦内の各所を巡るシャドーマターの濃度差が、青白い立体図のように見える。

 特に、艦の中枢部と主機関の周辺では、濃密な流れが脈動していた。大河の本流ほどではないが、一つの都市にも匹敵するほど複雑で豊かな循環だ。

 それだけではない。

 僕たちがいるこのオッコクの神殿監察部のステーションもまた、別の意味で巨大な結節点だった。

 施設全体に、細く整えられたシャドーマターの流れが走っている。通路、制御室、通信中継区画、神殿系の儀式設備らしき領域、それぞれで濃度が違う。

 特に中枢部では、複数の流れが束ねられ、何本もの高次元的な回線へと接続されていた。

「これ……魔女ネットワーク……?」

『その可能性が高いです』

 青葉が即座に答える。

『神殿監察部ステーションは、通常のFTL通信だけでなく、シャドーマター回線を介した高次元通信のハブとしても機能しています。魔女の魔女ネットワークへの接続を手助けする機器が存在する。おそらく、弓良は今、その濃度分布と流向を直接視認しています』

 直接視認――その表現が、いちばん近かった。

 見えているのは、物体の表面ではなく、宇宙の裏側を流れる不可視の川だ。

 そして、シャドーコンパスの目盛りは、その川の流れに応じて、絶えず角度を変え続けている。

 これは、単なる方位磁針ではない。シャドーマターの河川図を、僕の感覚へ変換するための、変換機であり、増幅器なのだ。

『弓良、そのまま観測を続けられますか?』

 青葉の問いに、僕はすぐには返事ができなかった。

 驚きすぎていた。

 自分が今、何を見せられているのか、その大きさがまだ整理できていなかったからだ。

 けれど、ひとつだけ確かなことがあった。

 このコンパスは、ただの探知機ではない。

 僕の中にある、シャドーマターを感じる能力を極限まで引き延ばし、銀河に張り巡らされた流れの中から、“目標へ至る道”を見つけ出すための鍵だ。

 そして、その流れの遥かな終端に見えた、あの特別な空間は、何だろう?

 自分でも半ば呆然とした声でそう呟くと、手の中のシャドーコンパスの目盛りが、かちり、と小さく噛み合うような音を立てた気がした。


***


 シャドーコンパスから、ようやく指を離したあともしばらく、僕の視界の奥には、さっき見たものの残像が薄く焼きついていた。

 銀河に網の目のように張り巡らされた、シャドーマターの濃淡の流れだ。

 高次元空間を介して、河のように絶えずどこかへ向かっていく巨大な循環。

 そして、その果てに見えた、ただの宙域ではありえない、異様に濃く、静かで、けれど圧倒的な実在感を持った“特別な空間”。

 手の中のシャドーコンパスは、もう先程ほど激しくは反応していない。

 でも、完全に沈黙したわけでもなかった。

 むしろ、一度こちらを認識したせいか、落ち着いたまま、次の接続を待っているような感じすらある。

 ナルディアは、まだ半分くらい唖然とした顔で僕を見ていたし、ジェプラはどこか祈るみたいに両手を揃えていた。

 ギラは、さすがに軽口を叩くには情報量が多すぎたらしく、珍しく静かだった。

 太郎だけが、いつもの位置からこちらを見上げている。

『弓良、顔色は悪くない』

「たぶん、大丈夫……」

『たぶん、か』

「うん。ちょっと、まだ頭が追いついてないだけ」

 そう答えてから、僕はゆっくり息を吐いた。

 アラージも、こちらをじっと見ている。

 さっきまでの説明や確認の時とは違う、もっと直接的な観察の目だった。

 神具がどれだけ反応したか、弓良が何をどこまで見たか、それを一言も取りこぼすまいとしている。

 だったら、ちゃんと話した方がいい。

 僕は、少し離れたところに立っていたブライアントへ顔を向けた。

「ブライアント……」

「どうした?」

「さっき、シャドーコンパスを通して、変なものが見えた」

 ブライアントの目が、わずかに細くなる。

 彼は、最初から、僕が何かを見たらしいことは分かっていただろう。

 でも、こちらが言葉にするのを待っていたのだと思う。

「変なもの、か?」

「うん。近くの流れだけじゃないんだ。自分と青葉のつながりとか、このステーションの中を走ってるシャドーマターの濃度分布とか、そういうのも見えたんだけど……」

「だけど?」

「それより、もっと遠く」

 自分でも、うまく言える自信がなかった。

 でも、さっきの感覚は、言葉にしないまま曖昧にしたくなかった。

「銀河のずっと遠くに、シャドーマターの流れが行き着く、不思議な空間があったんだ」

 部屋の空気が、少しだけ静かになる。

 僕は、そのまま続けた。

「空間、って言っていいのかも分からない。場所とも、海とも、穴とも違う。でも、そこだけ明らかに“特別”だった。銀河中のシャドーマターの河が、あそこへ流れ込んでるようにも見えたし、逆に、あそこから全体へ何かが広がってるようにも見えた」

 ブライアントは、その話を最後まで遮らなかった。

 そして、僕が言い終わったあと、ほんの少しだけ黙った。

 考えている、というより、記憶の奥にある何かを照らし合わせている顔だった。

 やがて彼は、低く言った。

「それは、〈先住者〉の伝承にある、ヒトの魂が行き着くとされる領域ではないか」

「……魂?」

 僕が思わず聞き返すと、ブライアントは頷いた。

「人類の影響圏内に断片的に残ってる〈先住者〉の伝承だ。正確な学説じゃないが、アーマッドから聞いた。古い資料には、死んだヒトの記憶と魂が最後に還る場所がある、と書かれているそうだ。その資料も読んだ」

 その説明に、ナルディアが少しだけ目を丸くする。

「兄さん、そういう話も知ってるんだ」

「探索者は、役に立つかどうか分からない伝説でも、頭の隅には置いておく」

 ブライアントは視線を宙へ向けたまま続けた。

「そこには、全ての記憶を記録する『雪の姫』がいるらしい」

 その名前が落ちた瞬間、僕の背中に、さっきとは別のぞくりとしたものが走った。

 雪の姫。

 その語感は、妙に冷たくて、妙に静かで、妙に美しかった。

 さっき見た“特別な空間”の、あの物理的ではない明るさと、不気味なほどの静けさに、どこか似合ってしまう名前だった。

「……雪の姫?」

 僕が小さく繰り返すと、ブライアントは頷いた。

「死者を裁くとか、救うとか、そういう単純な神話じゃない。もっと奇妙な伝承だ。全ての記憶がそこへ集まり、失われずに記録される。ヒトの魂は、最後にそこへ辿り着く、と」

「そんな場所が、本当にあるの……?」

 ナルディアが言いかけると、ブライアントは少し肩をすくめた。

「あると断言はできない。伝承として知っているだけだ。だが、弓良が見たものの話には、妙に符合する」

 その時だった。

 アラージが、ほとんど感服したように、小さく息を吐いた。

『……そこまで結びつけますのね』

 その声音は、いつもの皮肉や軽さを含んでいなかった。

 純粋に、驚きと敬意が混じっていた。

 ブライアントが少しだけ目を向けると、アラージは静かに続けた。

『正直に申し上げて、そこは神殿監察部でも、あくまで一般的な神話の更に外側にある伝承としてしか扱っていません。ですが、いま弓良殿の見た“終端”と、その名を結びつけるのは、かなり鋭いです』

「ただの当て推量だ」

『それでもです』

 アラージは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

『地球人にしておくにはもったいない、という言葉を、先ほどは半分からかいで使いましたが……今のは、かなり本気でそう思いました』

 僕は、そのやり取りを見ながら、さっきみたいにむっとするより、先に少し驚いてしまった。

 アラージがここまで素直に感心を表へ出すのは、珍しい気がしたからだ。

 ジェプラが、そこで静かに口を開いた。

『白兎族にも、似たような伝承があります』

 全員の視線が、そちらへ向く。

 ジェプラは少し緊張している様子だったが、それでもちゃんと顔を上げて続けた。

『神の星は、それ自体が終わりの地ではなく、そのもっと上位にある“終端の地”へつなぐ前庭のような場所だ、と』

「前庭」

 僕が繰り返すと、ジェプラは頷く。

『はい。神の工房であり、神の門前でもある、という言い方をします。死者の魂が最終的に還る場所があるなら、神の星は、その手前で、神の御業と外界が接する場所だ、と』

 その説明を聞いて、さっき見た光景が、また少し違う形で頭の中へ浮かんだ。

 銀河中に張り巡らされたシャドーマターの河と、その終端に見えた、特別な空間。

 そして、その手前にある“前庭”としての機怪天国――。

 もし本当にそうなら、機怪天国は単なる補給工場ではないのかもしれない。

 もっと高位の場所と、現実宇宙とを繋ぐ、半ば境界みたいなもの、なのかもしれない。

 ギラが、珍しく神妙な声で言った。

『やー……そうなると、ほんまに神話のど真ん中ですな』

『最初からそういう案件ではありましたが』

 アラージは、静かに返す。

『ただ、弓良殿が実際に“流れの終端”を見たとなると、シャドーコンパスへの適性は、こちらの予想を上回っているかもしれません』

 青葉が、すぐに補足した。

『同意します。弓良は、単に近傍の偏位や濃度差だけでなく、広域シャドーマター流路の階層構造まで捉えました。これは、機怪天国の捜索において極めて有力な観測手段となります』

「ということは……」

 僕は、ようやく少しだけ現実へ戻ってきた気がして言った。

「……少なくとも、探せそうではあるんだよね?」

『はい』

 アラージは、今度はためらいなく頷いた。

『これで『機怪天国』も探せそうです』

 その言葉で、部屋の中に張っていた妙な緊張が、ほんの少しだけ別のものへ変わった。

 問題は、山ほどある。

 知らないことも多すぎる。

 でも、完全な手探りではなくなったのだ。

 僕は、手の中のシャドーコンパスを見下ろした。

 さっきまで、ただ奇妙な神具だったものが、いまはもう、はっきりと“道を示すもの”に見える。

 アラージは、その神具へ視線を向けたまま、静かに言った。

『ですので』

 その声は、さっきより少しだけ柔らかかった。

『このシャドーコンパスは、たとえ探索がうまくいかなかったとしても、差し上げます』

「え?」

 僕が思わず顔を上げると、アラージは頷く。

『成功報酬というより、適性ある保持者へ渡すべきものだからです』

 その言い方は、褒美というより、戻すべき場所へ戻す。

 そういう感覚なのだろう。

『もちろん、監察部としての記録と、いくつかの手順が必要です』

 アラージは続ける。

『ですが、少なくとも神殿監察部としては、この神具を“いずれ返納を求める一時貸与物”として扱うつもりはありません』

 ナルディアが、小さく息を漏らした。

「……ほんとに、本気なんだね」

『ええ』

 アラージは答える。

『神話でも制度でも、ここまで適性を示した以上、無理に抱え込む方が不自然です』

 ブライアントが、そこで低く言った。

「つまり、もう戻れないところまで来てるってことだな」

 その言葉に、僕は少しだけ苦笑した。

「たしかに」

 でも、嫌なだけの感じではなかった。

 怖さはある。

 けれど、それと同じくらい、ようやく新たな流れに進めるような感覚もある。

 ジェプラが、静かに言った。

『弓良殿に託されるのが、いちばん自然に思えます』

 ギラも、翼をたたみながら頷く。

『せやな。神子はんが持っとる方が、たぶん話としても筋が通る』

 太郎が、足元でぽつりと言った。

『持ち主が決まった顔をしている』

「またそれ言うんだ」

『今度は、前よりもっとそうだ』

 僕は、手の中のシャドーコンパスをもう一度見た。

 たしかに、そうなのかもしれない。

 この神具は、もうただの遺物ではない。

 僕の中にある、シャドーマターを感じる力を引き伸ばし、銀河の見えない河の中から道を見つけるための鍵になっている。

 その鍵を手にしたまま、僕はゆっくり息を吐いた。

「……分かった」

 それは、アラージへの返事でもあり、自分自身への確認でもあった。

「探そう。『機怪天国』を」

 その言葉に、アラージは静かに頷いた。

 そして、その場にいた全員が、ようやく同じ一点を見始めた気がした。


***


 アラージは、最後に静かに言った。

『神子弓良。『青葉』。ここから先は、『機怪天国』の探索が正式な監察案件になります』

「正式な、か」

『はい』

『そして、これは単なる神話の調査でも、行方不明惑星の捜索でもありません。失踪した供給中枢を取り戻し、黒狼族とガラXFIザAが何をしたのかを明らかにし、必要ならば正常化する案件です』

 その説明を聞いて、背筋が少し伸びた。

 ただの探し物じゃなくて、ただの冒険でもない――文明の心臓を探す仕事だ。

 僕は、小さく息を吐いてから頷いた。

「分かりました」

 ナルディアも、横でぎゅっと拳を握る。

「アーマッドたちの線も、その先にあるんだよね?」

『可能性は、高いです』

 アラージは、また慎重な言い方を選んだ。

『少なくとも、切って考える段階ではありません』

 ブライアントは、静かに言った。

「なら、行くしかない」

「うん」

 僕も頷く。

 ギラが、翼を軽く広げる。

『ようやく、“何をしに行くか”がはっきりしましたな』

「うれしいような、重いような」

 僕が言うと、ギラは笑う。

『そういう時は、だいたい本筋ですわ』

 たしかに、そうなのだろう。

 太郎が低く言った。

『怖いなら、怖いままで進めばよい』

 僕が目を向けると、太郎はいつもの調子で続ける。

『太郎も、怖い時はある』

「あるんだ」

『だが、護衛はやめない』

「ありがとう」

 僕は、シャドーコンパスをそっと手に取った。

 軽いけど、そこに折りたたまれている意味は、たぶん全然軽くない。

 神子、黒狼族、ガラXFIザA、シラトリ、機怪天国、イハァトパー機関――。

 ばらばらだった話が、ようやく本当にひとつの流れへ集まり始めている。

 その中心に、この小さな神具がある。

 そして、ここから先は、実際に探索する段階になる。

 僕は、そう思いながら、シャドーコンパスの縁を親指でなぞった。

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