第百二章 フェアリーの国へ
依り代が成長を一段落させたあと、今度は、その周囲の空気が変わり始めた。
最初は、陽光の反射かと思った。
デルタ大陸の赤い荒野の上に立つ緑色の巨大構造体。その周囲の空間で、細かな光がきらきらし始めたのだ。
けれど、それは、ただの光ではなかった。
木質の表面、張り出した蔓の節、地表に近い根元――そこかしこに、ガラス質の小さな欠片みたいなものが、ぽつぽつと生まれ始めた。
「え……?」
僕は、思わず身を乗り出した。
見間違いではなかった。きらめきは増えていく。
しかも、依り代の周囲へ集まるように、薄い青白い流れが空間を走っている。
青葉が、すぐにその現象を解析へかけた。
「シャドーマターの河を、引き寄せているようです」
その声に、僕ははっとする。
「引き寄せてる?」
「はい」
青葉の視線は、卓上の解析表示と探査衛星の映像を行き来している。
「あの光は、シャドーマタークリスタルです」
僕は、思わずブライアントを見た。
ブライアントも、ちょうど僕を見ていた。
お互い、言いたいことはほとんど同じだった。
今まさに、僕たちが“地中にあるかもしれない”“つなぎに使えないか”と話していたシャドーマター・クリスタルが、クルーンの依り代の周囲で、まるで副産物みたいに析出し始めている。
「ちょっと待って……」
僕は、呆然としたまま言った。
「これ、そんな気軽に出るものなの?」
クルーンの妖精のうち、少し明るい緑の個体が、こちらの反応の意味をたぶん正確には理解しないまま、素直に答えた。
通信画面で、少し明るい緑の光を持つ個体が前へ出る。
『住ませてくれたから、対価は払う』
その一言に、僕は少しだけ眉を上げた。
「対価?」
『うん』
クルーンの光は、当然みたいに揺れる。
『ただで住むの、変』
ジェプラが、少し感心したように言った。
「礼節のある方々なのですね」
『礼節かどうかは知らんけど、筋は通っとるな』
ギラが言う。
『これ、僕らが前についていた種族も欲しがったんで、いつも上げていた』
また別の個体が、横から言う。
『使いきれなかった余分なものだから』
さらに、別の一体が付け足す。
『どんどん取っていって』
その言い方が、あまりにも軽い。
僕とブライアントは、思わず顔を見合わせた。
余分――どんどん取っていって。
それは、こちらからすると、ものすごく重い資源に対する言葉のはずなのに、クルーンたちは、まるで庭に落ちた木の実でも分けるみたいな調子で言う。
ギラも、一瞬固まっていた。
『余る、言うたで今……』
「余分……」
僕が繰り返すと、
ブライアントが低く唸った。
「こいつら、まともな資源文明の感覚じゃないな……」
青葉は、そのやり取りを見ながら、静かに推測を小声で口にした。
「……あくまで仮説ですが、クルーンは、マルモ人のシャドーマター採掘用の種族だったのかもしれません」
その仮説は、かなりすんなり入ってきた。
古代のマルモ人系の言語を使う。
シャドーマターを引き寄せる。
その過程で、余剰としてクリスタルを析出する。
しかも、それを“前についていた種族”へ渡していたという。
「採掘用……」
僕は、その単語を口の中で転がした。
クルーン自身は、それをどう思っているのだろう。
搾取されていた、と考えているのか。
それとも、役割として受け入れていたのか。
彼らの語り口は、あまりにも淡くて、まだそこまでは分からない。
ただ一つ分かるのは、今の僕たちにとって、それがとんでもなく大きいということだった。
扶桑の上空にシャドーマター汲み上げ施設を作る前から、クルーンたちは、少なくとも局所的には、シャドーマターを呼び込み、クリスタルとして析出させることができる。
それは、資源問題そのものの見え方を変えてしまうほどの能力だ。
「すごいな……」
僕がようやく言うと、クルーンたちの光は、少しだけ誇らしげに揺れた。
その時、最初に名乗った個体が、さらに付け足すように言った。
『他にも、僕らは、大きな守り膜を貼れる』
「守り膜?」
僕が聞き返すと、別の個体が答える。
『うん。大きいやつ』
「どのくらい大きいの?」
そう聞くと、クルーンたちは、少しだけ互いに位置を変えた。
それは、さっきよりも、少し儀式めいた動きだった。
『見せる』
その一言のあと、デルタ大陸の依り代の周囲で、光の粒が一斉に持ち上がった。
クルーンの妖精たちが、祈るように、あるいは歌うように、位置を揃える。
その瞬間、扶桑の周囲の空間が、ほんのわずかに撓んだ。
最初は、探査衛星の画像ノイズみたいに見えた。
でも違う――視界の端から端まで、惑星の輪郭に沿って、ほのかな光の膜が走っていく。
海の上、アルファ大陸の上、デルタ大陸の上、雲の向こう――。
大気圏外へ少し張り出した領域まで含めて、扶桑そのものが、何か透明な殻へ包み込まれていく。
「え……」
僕は、しばらく言葉が出なかった。
それは、まさに惑星規模だった。
局地防御ではなく、拠点の上だけでもない。
扶桑という星全体に、薄い、しかし明らかなシャドーマターフィールドが形成されていく。
青葉の指先が、すぐに解析表示を呼び出す。
高次元波形、超弦振動、位相固定、干渉吸収率――それらが、見たことのない勢いで更新されていく。
クルーンの一体が、少し暗い色で言った。
『僕らの星、シャドーマターが少なくなって寝ていた』
別の個体が、少しだけ寂しそうに光を落とす。
『気がついたら、惑星に取り付かれていた』
さらに、別の個体が続ける。
『最初から、これを貼れていたら、あいつらを寄せ付けなかった』
その言葉は、静かだった。
でも、そこにある後悔ははっきりしていた。
彼らは、自分たちの星を守れなかった。
守る膜を、持ってはいた。
でも、眠っていたし、シャドーマターが足りなかった。
……気づいた時には遅かったのだ。
だからいま、扶桑の上でそれを見せることは、ただの能力自慢ではないのだろう。
これは、たぶん、彼らにとっての「次は守れる」という確認でもある。
青葉が、かなり珍しく、ほんの少しだけ声を強めて言った。
「……バズギャン型機動要塞の要塞砲も防げるタイプの超弦振動を使ったシールドです」
僕は、思わず青葉の方を見た。
「本当に?」
「はい」
青葉の視線は解析表示から離れない。
「この分析結果を、マザーにも送ります」
その判断の早さに、僕は、青葉がどれだけこの「守り膜」を重要視しているかを理解した。
バズギャン型機動要塞の要塞砲――あれが防げる、というのなら、クルーンのこの能力は、単なる便利機能ではない。
扶桑の防衛そのものを、一段上の次元へ持っていく可能性がある。
僕は、卓上の映像の中で、透明な膜に包まれた扶桑を見た。
海も、森も、デルタ大陸も、神子本部神殿も――全部をひっくるめて、一つの守りがかかっている。
「ありがとう……」
僕は、素直にそう言った。
クルーンたちの光が、ふわりと揺れる。
『うん』
『住ませてもらうから』
『守るの、手伝う』
その言い方は、どこか子供っぽいくらいにまっすぐだった。
でも、そのまっすぐさが、いまの僕にはありがたかった。
扶桑を拠点にしよう。
そう思った時から、ずっと、守る力が足りないという感覚はどこかにあった。巡洋艦『青葉』は強い。青葉の分析と制御も頼りになる。クルーンの前からでも、扶桑そのものは、少しずつ防衛力を積み上げる方向へ向かっていた。
けれど、惑星そのものへ膜を張る、という発想は、まだ僕たちの手の届く範囲にはなかった。
それを、彼らは、いま目の前でやって見せた。
若葉が、そのあたりで、ふと嬉しそうに言った。
「まもるの、できる」
たぶん、守り膜のことを言っているのだろう。
「うん」
僕は若葉に頷いてから、もう一度クルーンたちへ視線を戻す。
これは、かなり大きい。
向こうからすると“住まわせてもらう対価”のつもりかもしれない。
でも、こちらから見れば、共同体の一員としてかなり頼もしい能力だ。
青葉が、静かに整理する。
「“対価”というより、共同体への参加に伴う相互提供と考えた方が実態に合います」
ジェプラが、その言葉にすぐ頷いた。
「はい。土地代というより、共に扶桑を維持し、守るための協力ですね」
『家賃いうより、自治会費みたいなもんか?』
ギラが言う。
「ちょっと違う気もするけど、分かりやすくはあるね……」
僕は苦笑した。
ブライアントは、淡々と現実へ落とし込む。
「いずれにせよ、こっちは資源と防衛、向こうは土地と居住の安定を得る。利益は噛み合ってる」
太郎が、後方から短く言った。
『相互利益、成立』
「太郎のまとめ、好きだな」
僕がそう言うと、太郎は特に反応を変えなかった。
僕は、深く息をついてから、もう一度クルーンたちへ言った。
「これは“対価”というより、一緒に住むための助け合いだと思いたい」
その言葉に、クルーンたちの光が、少しだけ明るく揺れた。
『助け合い』
『それ、いい』
『分かる』
若葉が、小さく嬉しそうに言った。
「いっしょに、すむ」
「うん」
僕は笑って頷く。
「そうだね」
青葉が、最後に静かにまとめた。
「扶桑側では、本件を『デルタ大陸中央乾燥域におけるクルーン暫定居住合意』として記録します。正式な長期運用については、相互に問題がないことを確認した後、改めて見直します」
『名前、かたいなあ』
ギラがぼそっと言った。
「必要です」
青葉は、きっぱり返す。
「後で見返せるようにしておくべきですから」
「そういうところが青葉っぽいよね」
「よく言われます」
その返しに、場の空気がほんの少しやわらいだ。
僕は、クルーンたちへ向き直る。
「じゃあ、よろしく。扶桑へようこそ」
今度は、かなりはっきりした意味を持つ歓迎だった。
クルーンたちの光が、一斉に少しだけ明るくなる。
『よろしく』
『住む』
『守る』
『分ける』
その短い言葉の並びが、彼ららしくてよかった。
たぶん、この瞬間が、ただの接触ではなく、ほんとうのファーストコンタクトだったのだろう。
出会っただけじゃない。
土地を分け、約束を決め、助け合いの形を言葉にした。
その時点で、クルーンはもう、未知の来訪者ではなく、扶桑の最初の新しい住民になったのだ。
ジェプラが、その一連の光景を見ながら、どこか感慨深そうに言った。
「本当に、扶桑に新しい住民ができたのですね……」
その言葉に、僕は静かに頷いた。
「うん」
「神子弓良殿のご仁徳ですね……これで、惑星扶桑は、フェアリーの国になりますね」
その言い方に、僕は思わず苦笑した。
「急に童話っぽくなった」
「ですが、その通りではありませんか」
ジェプラは、かなり本気だった。
「神子本部神殿があり、若葉さんがいて、クルーンのフェアリーたちがいて、しかも、惑星そのものを守る膜まであるのです。これはもう、フェアリーの国と呼んでも差し支えない気がいたします」
「差し支えは、ちょっとあるかもしれないけど……」
僕は苦笑した。
***
でも、その比喩は、完全に間違いでもなかった。
クルーンの妖精たちは、ほんとうに、神子本部神殿の中にも来るようになったのだ。
最初は、通信をつないだ時だけだった。
でも、デルタ大陸の依り代が完全に根づいてから、少しずつ、ラウンジの隅や、廊下の窓辺や、若葉の近くに、ふわりと現れては消えるようになった。
地上の神殿の中へ来る時も、足音を立てて歩くのではなく、光の影みたいに、ふわっと現れる。
青葉が、それを分析して言った。
「シャドーマターの制御精度が異常に高いです。あの植物体は、高度な高次元演算能力を備えていると推測されます」
妖精たちは、確かに、シャドーマターの仮想体だった。
でも、若葉の仮想体が最初は、依り代の遺跡からの距離が離れたら薄くなっていたのと違って、惑星の反対側から来ているのだ。
最初のうちは、若葉も少しだけびっくりしていた。
でも、驚いたのはほんの数回だった。
今では、若葉の方が慣れている。
その日の夜も、神子本部神殿のラウンジの窓辺に、小さな光が一つ、ふわりと現れた。
若葉が、それに気づいて顔を上げる。
「きた」
光は、少しだけ揺れて、それから若葉の周囲をゆっくり回った。
そのあと、もう一つ、別の光が現れる。
二つのフェアリーは、何か相談するみたいに位置を入れ替えて、それから若葉の前で小さな円を描いた。
若葉は、嬉しそうに笑う。
「おいで」
そう言って、小さな手を伸ばす。
光のフェアリーは、その手のまわりを一周してから、今度は若葉の肩のあたりへふわりと浮いた。
ジェプラが、その様子を見て、またしても目を細めた。
「よいですね」
その声は、本当に嬉しそうだった。
「神子本部神殿の中に、フェアリーが自然に出入りしているのです」
「そこ、そんなに重要なんだ」
僕が言うと、ジェプラはかなり真面目な顔で頷いた。
「重要です」
「なんで?」
「神話的だからです」
その一言に、僕は少しだけ笑ってしまった。
でも、言われてみれば、たしかにそうなのだ。
再生した惑星、神子本部神殿、温泉、海、デルタ大陸に根づいた巨大な蔦の依り代――そして、神殿の中を飛ぶ、光のフェアリー。
どこか童話じみていて、でも、その全部が、資源と防衛と生態系と政治の現実を背負っている。そんな世界は、たしかに少し神話的だった。
若葉は、もう完全にクルーンたちを遊び相手だと思っているらしく、ラウンジの柱の陰へ隠れては、また別の柱から顔を出すという、分かりやすいかくれんぼみたいなことを始めていた。
光のフェアリーたちは、そのたびに、ふわっと分かれて、片方が気づかないふりをし、もう片方が若葉を追うみたいに飛ぶ。
「すっかり仲良くなったね……」
僕がそう言うと、青葉が静かに答えた。
「若葉にとっては、距離感がちょうどいいのでしょう。実体と仮想の中間に近い存在ですから」
「そういう理屈なの?」
「理屈でなくても、結果としてはそう見えます」
青葉はそう言ってから、ほんの少しだけ柔らかい目で、若葉とクルーンたちの方を見た。
僕も、その視線を追う。
若葉が笑う。
光がくるくる回る。
「なんか、ほんとに“フェアリーの国”っぽくなってきたかも……」
僕が、そう言うと、ジェプラはぱっとこちらを見た。
「そう思われますか?」
「ちょっとだけね」
そう答えると、ジェプラは、とても満足そうに微笑んだ。
ラウンジの外には、扶桑の夜の海があった。
その向こうには、巡洋艦『青葉』がある。
惑星の反対側には、デルタ大陸と、クルーンの巨大な依り代がある。
いろいろなものが一度にありすぎて、普通ならまとまりがつかない。
でも、それでも、少しずつ“この星の日常”として揃ってきている気がした。
扶桑は、まだ完成なんてしていない。
問題も、危険も、足りないものも、いくらでもある。
でも、その未完成さごと、少しずつ、住まいになっていく。
その最初の住民として、クルーンたちは、かなり強烈な登場の仕方をした。
けれど、不思議と、嫌な感じはしなかった。
「よろしく、クルーン」
僕が小さくそう呟くと、窓辺のフェアリーの一体が、まるで聞こえたみたいにこちらへ向き直り、ほんの少しだけ明るく光った。
「……なんか、本当に、にぎやかになってきたね」
僕が、ぽつりとそう言うと、ジェプラが、すごく満足そうに頷いた。
「はい。充実しています」
「そこ、疑問なく肯定するんだ」
「いたします」
ジェプラはきっぱり言った。
「海があり、神子本部神殿があり、フェアリーがいて、しかも惑星全体を守る膜まであるのです。これ以上、何を望みましょう」
「いろいろあると思うけど……」
僕は苦笑しつつ、でも、少しだけその言い方に救われてもいた。
問題は山ほどある。
資源、デルタ大陸の監視、軌道ステーション、ガラXFIザA――。
それでも、いまこうして目の前にあるものは、ちゃんと“良い方向の変化”だと言っていい。
青葉は、そのやり取りの横で、まだクルーンの守り膜の解析を続けていた。
ブライアントはブライアントで、シャドーマター・クリスタル析出量と、依り代周辺の地中反応を見ながら、山師らしい顔をしていた。
つまり、誰も浮かれているわけではない。
でも、それでも、扶桑に新しい住民が来て、新しい技術と、新しい守りと、新しい景色が加わったことは、みんなちゃんと感じている。
僕は、スクリーンに映った、デルタ大陸に根づいたクルーンの依り代を見た。
あの巨大な蔦の構造体は、いまも静かに脈動している。
根を張り、シャドーマターを呼び、クリスタルを析出し、必要なら惑星そのものを守る膜まで張る。
僕たちから見れば、あれは建築でもあり、住居でもあり、採掘施設でもあり、防衛装置でもある。
そして、同時に、彼らの“本体”なのだ。
扶桑は、もう、僕たちだけの尺度で測れる場所ではなくなり始めていた。
***
僕がクルーンの依り代を見て、ぼんやり考えていた時だった。
ラウンジの壁面表示の一角が、控えめに光った。
青葉が、ほんのわずかに視線を向ける。
「弓良、アラージから通信です」
僕は、少しだけ気持ちを切り替えた。
アラージからの通信、というだけで、どうしても少し身構える。
たいていは、神殿監察部か白兎族か、あるいは地球人類連邦やGDC側の、何かしら“楽ではない話”がついてくるからだ。
「繋いで」
『はい』
壁面表示が切り替わる。
そこに映ったアラージは、いつも通り、落ち着いた顔をしていた。
ただし、その“落ち着き”の下に、少しだけ忙しなさのようなものが透けて見える。こちらから見える背景も、いつもの執務空間というより、どこか移動前の準備をしているような雰囲気だった。
『弓良殿』
「アラージ、どうしたの?」
僕がそう聞くと、アラージは、まず一度、小さく頷いた。
それから、長くは前置きをせずに言った。
『地球側の件は、まだ不穏です』
その一言で、ラウンジの空気が少しだけ引き締まった。
若葉は、会話の意味までは分かっていないだろう。
でも、大人たちの空気が変わったことだけは察したらしく、フェアリーと遊ぶ動きを少しだけ止めて、こちらを見た。
僕は、アラージへ問い返す。
「まだ整理がついてない?」
『ええ』
アラージは、やや疲れたように、しかし言葉自体ははっきりと続けた。
『GDC側も、人類連邦側も、表向きには穏当に処理しようとしておりますが、内部の利害がまだ揃っておりません。社会円滑化補助AI群、形骸化した議会、そして一部軍閥系の発言が、依然としてノイズになっています』
その言い方が、いかにもアラージらしかった。
感情的ではない。
でも、“面倒が面倒のまま残っている”ことは、よく伝わる。
ブライアントが、少し低い声で言った。
「まだ揉めてるのか」
『揉めている、というより、誰も責任を持って綺麗に片づけきれないまま、各々が自分の都合のよい整理を通そうとしている段階です』
アラージは、ほんの少しだけ肩をすくめた。
『人類にも魔女がいればよいのですが』
その愚痴は、かなり珍しかった。
ジェプラが、少しだけ目を伏せる。
青葉は何も言わない。
僕は、少しだけ苦笑しそうになるのを抑えた。
アラージの言う“魔女”は、もちろん、白兎族側や神殿監察部が持つような、強い裁定権と超越的な調停能力のことなのだろう。人類側には、人類側の合理性と手続きがある。でも、そういうものだけでは、ねじれた利害と形骸化した政治構造を、一気にまとめ上げることはできない。
「それで?」
僕は、アラージの次の言葉を促した。
アラージは、今度は少しだけ表情を整えた。
報告から、連絡事項へ切り替える顔だ。
『少々、打ち合わせをするため、そちらに白兎族の方と行きます』
「こっちに来るの……?」
『はい』
返答は短く、迷いがなかった。
『扶桑の現状、クルーンの件、デルタ大陸の異常、軌道ステーション計画、いずれも地球側の話と無関係ではなくなりつつあります。直接顔を合わせて整理した方が早いでしょう』
それは、たしかにそうだった。
通信だけでは伝わらないことがある。
扶桑は、もう単なる“辺境の再生惑星”ではなくなり始めている。クルーンが来て、シャドーマター・クリスタルが析出し、惑星規模の守り膜が張られ、デルタ大陸には異常があり、これから軌道施設も作る。
そうなると、神殿監察部や白兎族にとっても、この星は、遠くから眺めていればいい対象ではない。
「いつ頃になりそう?」
僕がそう聞くと、アラージは少しだけ視線をずらした。
たぶん、まだ正確な時刻までは確定していないのだろう。
『大きくは遅らせません。こちらの準備が整い次第、扶桑へ向かいます』
「分かりました」
僕は頷いた。
「なら、受け入れの準備はしておくよ」
『助かります』
アラージは、そこで少しだけ表情をやわらげた。
『それと』
「うん?」
『……クルーンたちの件は、先に聞きました』
その言い方に、僕は少しだけ驚いた。
「もう伝わったの?」
『守り膜の解析結果がマザー経由で上がってきた時点で』
アラージは、わずかに苦笑したようにも見えた。
『フェアリーの国、ですか』
その言葉に、今度はジェプラが、少しだけ得意そうな顔をした。
「はい。そうなりつつあります」
アラージは、そこで本当に少しだけ笑った。
『では、その“なりつつある国”を、近いうちに拝見しに行くといたしましょう』
通信は、それほど長く続かなかった。
アラージは、本当に短い確認と予告だけを残して、回線を閉じた。
壁面表示が通常画面へ戻ると、ラウンジの中には、また扶桑の夜の静けさが戻る。
けれど、その静けさは、数秒前までと少しだけ質が変わっていた。
地球側の件は、まだ不穏だから、アラージが来る。
しかも、白兎族の誰かを伴って。
つまり、今の扶桑は、もう完全に“外側から人が来る場所”になったのだ。
「……次から次へと来るなあ」
僕がそう言うと、ギラが鼻で笑った。
『今さらやろ』
「まあ、そうだけど」
『星ってのは、面白いもんが集まり始めると、一気に“場所”になるからな』
その言い方は、ギラにしては少しだけ含蓄があった。
ジェプラは、少し背筋を伸ばしていた。
白兎族が来る――それは、彼女にとっては、自分の側の人間が、この神子本部神殿をちゃんと見に来るという意味でもあるのだろう。
「受け入れ、整えておきます」
彼女は、静かに、でもしっかり言った。
「神子本部神殿として、恥ずかしくないように」
「そこ、やっぱり気になるんだね」
「当然です」
その即答に、僕は少しだけ笑った。
若葉は、会話の全体像は分かっていないまま、でも、アラージが来るという単語だけは聞き取ったらしく、小さく言った。
「あの狐さん、くる?」
「うん」
僕は、若葉の方を見て頷く。
「たぶん、近いうちに」
若葉は、少しだけ考えてから、フェアリーたちを見た。
「みせる」
「何を?」
「おうち」
その答えが、あまりにもまっすぐで、僕は少しだけ胸があたたかくなった。
そう、多分、そういうことなのだ。
いまの扶桑には、見せられるものが、ある。
海があり、神子本部神殿があって、クルーンのフェアリーたちがいる。
若葉が歩いている。
そして、問題も含めて、ここが“僕たちのおうち”になり始めている。
僕は、窓の外の夜の海を見てから、もう一度だけ頷いた。
「うん。見せよう」
その言葉に、若葉は満足したように小さく笑った。
フェアリーの一体が、その肩のあたりをふわりと回る。
アラージたちが来るまでに、まだやることはたくさんある。
でも、いまのところは、その短い連絡だけで十分だった。
扶桑は、また少し、次の段階へ進むのだろう。
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