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青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ルーレット
30/68

30. 仮面武闘会

 ラウー・スマラグダス中佐は傭兵アイヤイに武器商人の護衛を命じた。潜めた声で続ける。

「この洞穴は仲間割れには不適切な場所だ。取引相手の口封じと考える方が納得できる」

 着物の黒い袖をぶんぶん振って全身で表明される不服を一顧だにしない。

「鉱物資源に乏しいアダマス帝国で、銃の使用者は極めて限定的だ。所持者は火力において圧倒的な優位にあるため厳しく監視され、銃や弾薬は軍の管理下にある。だがカジヤベを銃撃した者は扱いに熟達していない。急所を外している」

「ひっ、カジヤベの奴隷だったら一発の無駄撃ちにつき一日メシ抜きよー」

 そーいう一発で死に損なったんなら皮肉な話、と朱色の唇はぎこちなく笑った。

「初心者に密売したってことねー。しかもナメた話よね、こーんなアダマス軍の目と鼻の先で」

「取引中の不在を周囲に不審に思われたくないならば、落石の危険を冒してもこの洞穴を取引場所に指定する利点はある。不在になる時間を最小限に留められる」

「ん? うそっ、ボスってばまさか身内を疑ってんの? 取引相手が帝国軍人って? あー逆かもね、帝国軍にスパイがいるのかも」

 会話はほとんど息だけのやり取りになっている。

 アイヤイの説得に成功しただけで一件落着な気分だったのに事態は深刻な方面に急展開して、桐花は不安になる。

 彼らの休息と命は常に、海風に晒されるろうそくのように揺らぎやすいのだと。

「軍医として膿みは排斥する。カジヤベには取引相手を吐かせねばならない。極刑に処したいおまえならば、やすやすと刺客に殺させたりしないだろう。行け」

「りょーかい、ボス」

「あの出血では長くはもたない。ヴィルゴット、死ぬ前に吐かせろ」

「御意。千尾の毒蠍の名にかけて」

 許容量を超える薬を民間人に安易に投与したりはしない。適切な処罰を与える。

 その良識を蹂躙する命令だった。

 三度殺しても足りないほどの憎悪を、逆に護衛に利用する。毒と麻酔を自在に操る毒使いに瀕死の容疑者を拷問させる。軍の非常時には理念をまげる。

 搬出される武器商人と、その先に待つ血の現実を迎撃しようと睨む異色の瞳は、人としての体温を失っていた。桐花が後じさると背中は硬く冷たい洞穴の壁に阻まれた。

 この人は誰。

 出会った瞬間から、無体な人だと知ってた。

 だけど残酷だと感じたことはなかったのに。

 人々がルテナンカーネル・スマラグダスと恐れおののくのを、むしろ大げさなんじゃないかとさえ思っていたのに。

「あの娘を私の家へ。安静にさせろ」

 応援部隊の一人に命じている金属鎧の背中が見知らぬ人に感じる。

 すぐそばでケホケホと病的な咳が聞こえた。猫背の白ローブが、アイヤイと武器商人に打った使用済みの針を拾い集めている。ヴィルゴットはラウーを仮面持ちと言った。

 アイヤイの羅刹の仮面。ヴィルゴットの毒蠍の仮面。

 ラウーにはアダマス帝国空軍中佐の仮面があるのだと信じたかった。



 熱が上がった。

 桐花を送り届けてくれた兵士は衛生兵だと言い、ジャブと名乗った。ひょろっとして親切な黒人青年で、何度も様子を見に来てくれた。

 不意の冷たい感触に目を覚ます。

 周囲はすっかり暗く、室内は半濁の水晶の窓に阻まれた月光でほんのりと青白い。

 眠れていたらしい。熱が上がったときには煩わしかった額の絞りたての冷たい布が、心地良さに変わりつつあった。

「ありがと、ジャブ」

 眠さとだるさによく回らない舌でもにょもにょと感謝を述べた。

「礼を言う相手を間違えるな」

 ガバッ。

「起きてる」

 反射的に言った。

 目覚めて眼前にラウー・スマラグダス中佐がいた場合、起きていると激しく主張しなければ鷲の餌にされるという恐怖の経験則が桐花には刷り込まれている。

 上体を直角に起こしたせいで、額の布がボトッと腿へ落下した。ラウーが換えてくれたらしいソレを無駄にするのと、横になって起きてる主張が無駄になるのと、どちらが睨まれずに済むかと考えた。

 でも熱と眠気で脳みそは答を出すのを放棄する。

 月明かりを頼りにそろりと窺うと、ラウーはベッドの枕元に腰かけ、乙女の背中を踏みつけた前科持ちの脚を高く組んでいた。

 違和感があると思ったら、裸足だ。金属鎧を着けてないのを見るのは初めてだ。軍服の襟は緩んでいて、石鹸の香りがする。

「婚約者が初めて帰宅して言うのが部下の名前か」

 忘れていたけどそういえば今日から毎晩四時間、帰宅と就寝を確認しに戻るとか宣言されてたっけ。

 っていうか風呂上がりっぽいけど、ホームウェアまで軍服なのこの人。

「えっと……おかえりなさい、ラウー」

 命は惜しいけど、偽装婚約者に亭主関白されるのも面白くはない。

「でも部下じゃなくて、元彼の名前かもしれないじゃない」

 しかし月光を吸って妖しさに満ちた翡翠の瞳は一ミリも動じなかった。

「ベッドの中央で寝る女が元彼などと主張したところで、説得力は皆無だ」

 なにそれ? 寝る位置で彼氏がいるか、月が教えてくれるとか?

「恋人と寝るのに慣れている女ならば、無意識に半分を空ける習慣がついている」

 ううっ、そんなの思ってみたこともなかった!

 桐花はど真ん中を占領している自分を見下ろした。月占いよりも強力に説得性のある断言に返す言葉もない。

 ラウーは眉根を寄せた顔を伏せ、眉間をつねるように長い指で押さえている。覚えのあるポーズだ。笑っているとかいう噂の。

 それからランプを持ってきて、足の包帯を換えてくれた。紫色の腫れは薄らいでいる。痛みも減ったと伝えると、異色の瞳の端に柔らかさが載った。

 半日ほど前にぞっとするような残酷さを見せた軍人とは思えないのに。

 包帯を巻き終えて、ラウーはよしと立ち上がった。

「寝ろ」

「うん。あ、でもベッド使うんじゃないの? 腹筋かなにか運動に使うって、アイヤイさんが言ってたけど」

 腕を組んでベッド脇に仁王立ちしているラウーとのあいだに、妙な沈黙が流れた。

「強いて言えば腕立てだが、今は時機ではない」

 腕立てに適した時機というものがあるらしい。

 しかし寝ろと言われても、見下ろされながらじゃ気になってしょうがない。しかもものすごく睨まれている。どれだけ腕立てしたかったんだろ、ベッド占領しちゃってすみません。

 でもしないならしないで、リビングの椅子に寝に行ってくれていいんだけど。

 もぞもぞと上掛けに潜り込み、ぬるんでしまった布を額に載せながら無言で居心地悪さを語ってみるが。

「就寝を確認しに戻っている。おまえの寝つきが悪いとその分、私の睡眠時間が減る」

 ひいぃ。睡眠を恐喝されるなんて思ってみたこともなかった。



 ふと目が覚めた。

 大理石の配色が優美な室内を満たす空気は、月光の青より朝陽寄りの白を帯びていた。まだ弱々しい光量と静けさで、かなり早い朝に思えた。

 もうひと眠りしようと寝返りを打ちかけて、硬直する。

 至近距離にラウーの横顔があった。

 瞬きしてみる。

 強めにしてみる。

 何度瞬きしても消える様子はない。

 息を詰め、そろりと首を伸ばして状況を確認してみた。自分はきちんとベッドの中央を占領している。

 一方のラウーは桐花とベッドの端の中間にいる。縦より横が長そうな巨大なベッドだから、ひと一人が横たわるスペースは充分にある。とはいえ配置が不自然すぎた。

 リビングの椅子で寝るんじゃなかったの?

 ラウーは仰向けで両手を腹の上に載せ、実に寝相がいい。そのまま棺桶に移して使える。寝顔は寝ているというより黙考しているようで、あまりリラックス感がない。

 上掛けも枕もないまま横たわっていて、言っては何だが死体的である。

 その死体がいきなり目を開けた。

「うわー! びっくりしたぁ」

「足を診せろ」

 なんで目覚めた直後から働けるんだろ。最新のパソコンだって起動するのにもう少し時間がかかるのに。

「まさか寝てないとか?」

「充分だ。さっさと診せろ、時間の浪費だ」

「ひゃっ」

 つい変な声が出てしまった。傷の腫れ具合を検分しようと触れてきた指が冷たくて。

 珍しい、と思ったところでハッとした。起きた時に取りのけた額の布を急いで探す。枕の横でヘニョッとしてた布は、まだわずかに冷たさを残していた。

 その冷たさが桐花の胸を熱くする。

「もしかして、看病してくれてたの」

「私は医者だ」

 シンプルな答が返ってきた。

 うん。そうだったね。わたしはラウーの大事な翻訳機なんだった。仮にも私の婚約者だからな、なんて答は期待しようがないんだった。

「軽快しているな。私は出かけるが帰りが遅くなる。しばらく安静にしていろ。体調に不安があればヴィルゴットをラボから引きずり出せ。おまえに傷や何らかの後遺症が残れば研究費を削減すると通告してある」

「わかった」

「それから、おまえとの約束を書類にしておいた。助手としての勤務時間、給与、」

「どこにサインすればいいんですか?」

 話を遮られて、機嫌悪く睨んでいる気配がする。黙って差し出された数枚の書類の、黙って指差された場所に、黙ってサインをした。

「何を怒っている?」

「怒ってません」

 ニコリと慣れた営業スマイルを作った。不審をあらわにする厳しい異色の瞳としばし、せめぎ合った。

「……時間だ、出かける」

「いってらっしゃい」

 毎朝父にしていたように、仕事へ向かう人を見送る礼儀は持ち合わせている。玄関まで見送ろうとしたら、ベッドから出る前に手で制止された。

「ここにいろ」

 噛み傷のある足は軽く引きずるものの、もう歩ける。それでもやけに真剣な眼差しで止められた。

「いいな、ここにいるんだ」

「うん」

 手早く支度をして、金属鎧を着込んで、振り返らずにラウーは出て行った。ガチャリと玄関の錠が下りると同時に、桐花はぱたんと枕へ倒れ込んだ。胸の辺りをさする。

 私は医者だ。

 あの一言が痛かった。心臓がひしゃげたかと錯覚するくらい。

 血が冷えたのがわかった。

 書類を出されて、改めて宣告されたと思った。おまえは保護すべき助手だ、と。婚約者の仮面を与えただけなのだと。

「たまに優しいと忘れるじゃん、バカッ」

 ラウー・スマラグダス中佐を含むアダマス帝国軍が西方の島国を急襲したと知ったのは、その夜の公式発表を号外として叫びながら走っていった見も知らぬ少年によってだった。


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