28. 手のかかる配下たち
暗闇の奥にぽつんと光った点はぐんぐんと輝きと大きさを増し、洞穴の出口を形作った。鷲を停止させるには少々窮屈だったらしい。岩の床を打ち据えるような激しい羽ばたきに、アイヤイの着物の袖も、ヴィルゴットの白ローブの裾もバタバタとはためいている。
……白ローブの下が太腿まで素足だったけど、まさか何も着てないわけないよね。
桐花は、ヴィルゴットの襟からも袖からも下に着ているはずの服が端さえ見えない点について、気が付かなかったフリをすることにした。
「凶事、予兆」
乙女が無理のある知らぬが仏に苦心しているというのに、当のヴィルゴットは騒ぐ裾も頓着せずに両の掌をまじまじと見つめ、この世の終末宣言を受けた預言者のように怯えている。
「金欠、不吉。血痰占い、当たる」
気持ち悪い占いするな! 見せるな!
「アイヤイ、銃を下ろせ」
鷲が着地するかしないかで救急箱をつかみ、颯爽と飛び降りていったラウーが窪地に倒れた怪我人を診ている。
「この男は丸腰だ。背後から銃撃されている。戦闘の意思がない。この状況でおまえが撃てば、正当防衛と主張する余地は皆無だ」
「手当てなんか……何ですんの、そいつに手当てなんか!」
手際よく止血を始めたラウーに、アイヤイは悲痛な叫びを投げつけている。
「武器密売の組織。ルート。取引の相手と量。尋問し摘発しなければならない。この男が裁かれるのは今、ここで、おまえによってではない。ゆえにアイヤイ。おまえがこの男を撃つ気なら、」
黒塗りの厚底下駄の前へ、小さな包みが置かれた。掌に収まるほどの箱を布で包んだもの。桐花が呼びに行った際、ラウーが兵に命じて持ってこさせたもの。
「その前に解雇する。預かったものを返そう。遺言は失効する。発砲した時点でおまえを逮捕し、処罰することになる。刑期を終えたらどこへなりとも消えろ」
処置する手を止めず、ラウーは淡々と告げた。惜別も怒りもない。武器商人を裁くと言ったときと同様の、消化すべき手続きを説明するだけのそっけなさだ。
桐花をネイティヴの国粋主義者の人質から救出した際のラウーとアイヤイの連携は簡潔で完璧だった。そうなるまで幾つもの戦地を共にしたはずだ。
そんな腹心の部下をばっさり切り捨てるわけがないと思いたいが、桐花は中佐が有言実行の男だと身に染みて知っている。
神経質な乾いた笑いがアイヤイの喉から漏れた。
「クビ? おかしくない? 人殺しはこいつで、あたしは被害者なんだけど」
「殺害されたのがおまえで、報復しないならば、その主張は正しい」
「ボス、あたしよりこいつを取るの」
「私は私の信念に基づいて行動しているだけだ。報復するのがおまえの信念なら実行しろ。私はそれを阻止する」
桐花は足より胸が痛くなってうなだれる。
アイヤイの憎しみも当然だけれど、ラウーの論理も非情なほど真実だ。彼らが憎しみあっているわけじゃないのに言い争うのは悲しい。
「ねぇ待ってよ……あたしの銃の腕は世界一だよ? だからこいつの銃殺ショーでも殺されずに生き延びたんでしょ。なのに、消えろって? 死に損ない一人にとどめを刺すくらいで?」
「失望させられても意に介さない寛容か、愚鈍な雇用主を見つけることだな」
アイヤイも中佐の有言実行性を知っていて、恐れている。桐花は感覚の戻ってきた手指をゆっくり開閉させながらそう思った。もう少し早いタイミングで麻酔針を打たれたアイヤイは、しようと決めれば引き金を引けるに違いない。
「……失望、ねー」
不安を募らすやけに長い沈黙のあと、アイヤイが震える声で呟いた。
「変だね、効くよそれ。知ってる? 絶望するとねぇ、ひたすら眠るようになるんだよ。なんにも感じなくてすむようにね。あたしは奴隷仲間が目を開けたまま寝てるあいだに、こいつをどう殺すかばかり想像し続けてた」
だけどね、と涙声が続く。
あの時だけはこいつを憎むこと忘れてたんだ。
アダマス帝国軍がこいつのアジトを襲って、火事んなって。あたしたち奴隷は、どこに隠してあるのかわかんない自分のモノが燃えちゃうと思って右往左往してた。
アレと一緒に葬られなきゃ地獄に落ちるだなんて、バカバカしい。迷信ってわかってる。でもね、無理。刷り込まれてるもん。アレを持ってる人に隷属する生き方しか知らないもん。
そういうの、見ただけで全部察して、水かぶって燃え盛る屋敷に飛び込んでく中佐なんている? あたしたち、敵の奴隷だってば。
てっきりアレを奪って、あたしたちを奴隷に使う気なんだと思った。
なのに、回収したモノさっさと返してきて解散しろって何ソレ? 何の思惑も下心もなく、敵の奴隷のために身体を張れるって何? 他の兵士は誰一人、ボスが何のために何を取ってきたのか、見当もついてなかったし。
ボスにはあたしたちが人間に見えてるんだって思った。人間って、人間として扱われて初めて、人間になるんだって思った。ボスの近くで生きてみたいって思った。
あはっ、あたしってば生まれ直してたのね、あの時にさ。
あたしのアレをボスに渡したのは、隷属するって意味じゃないの。でもね、あたしの出せるものなんて他にないからねぇ。忠誠の証ってとこ。
それを返すわけ? で、消えろって言うの?
「こいつを殺さないのはイヤ。けど、ボスの傭兵じゃなくなるのはもっとイヤぁぁぁ!」
「おまえはそんな理由で私の傭兵を志願したのか」
予想外だったのか、ラウーはわずかに片眉を上げている。がぁぁ、とアイヤイが洞窟のヌシみたいなうめき声をあげた。
「サイテー。ご主人サマってばサイテー。ひとの人生まるっきり変えといて自覚ないのねー? 奴隷にモノ返したの、特別なことしたなんて思ってないからでしょ。何で帝国軍じゃなくて、ボスとだけ契約結んでる傭兵が多いかわかってんのー?」
「サイテーだからだろう」
「こわっ。ごめんなさいご主人サマ、今のマジで怖かった」
ラウーの両眼から流れ出す冷気にあたったらしく、鷲が身震いして桐花は鞍から転げ落ちた。すかさず差し伸べられた手、ではなく献体同意書を睨みつける。
「ボス専属の傭兵はほとんど捕虜上がり。ヴィルゴットも。あたしたちはね、捕虜なんてもんは首を賞金に換えられるか、死ぬまで拷問されるか、家畜小屋で餓えて病死させられるか、そんなんだと思ってた。人並みの食事と治療を与えられるとか、もうね、衝撃よねー」
銃口は相変わらず武器商人へ向けられたままだったが、アイヤイの口調はいつもの調子を取り戻していた。
「投降するならスマラグダス隊、って密かに噂になってるしぃ。それが捕虜としての処遇にびびって捨て身の特攻しちゃうとか自決しちゃうとか、無駄死にをなにげに防止してんのよねー……」
毛を逆立てていた猫が鎮まるみたいに。
銃口から決意が抜けていくのが見えるようだった。だらりと腕を下げ、襟を抜きすぎて肩甲骨まで覗けるむきだしに近い肩で、アイヤイは大きく二度、三度と息をついた。
「ねぇご主人サマ。そいつ譲ってあげる。だから、極刑にしちゃってね」
「法にのっとって適切な処罰を与える」
「のっとったって極刑になるに決まってんでしょー! ムカつくぅ」
武器商人の怪我の処置は終わり、念のために手足に縄をかけている。血にまみれた指を拭って、改心した傭兵の雇用主はやっと立ち上がった。下駄の足元に置かれていた小さな包みを慎重に拾い、異色の瞳でじっとアイヤイを見据える。
「これは従来通り私が預かっておく。よく我慢したな、アイヤイ」
「やだもう、あんな突き放しといてムカつく……ムカつくよねぇ、このオトコ」
同意を求めて振り返ったアイヤイは、へにゃっと力の抜けた泣き笑いに朱色の唇を歪めた。
「でもね、何が一番ムカつくって、よく我慢したなんて褒められて浮かれてる自分よねー。覚えといてよフィアンセちゃん、ご主人サマの毒気をこれ以上抜いちゃダメ」
ご心配なく、大蛇の群れも弓で蹴散らす毒気が常人に抜けるとは思えません。
その毒気の塊がざくざくと歩み寄ってきた。まだしっかりと力の入らない膝のせいで岩の床にへたり込んでいた桐花の横へと膝をつく。
「次はおまえだ、ヴィルゴット」
紫に変色して腫れあがったままの噛み傷がようやく手当てされる。
「ここへは解毒作用を持つ苔を採取しに来たのだろうが、桐花の傷および麻酔の過剰投与、そして足の筋肉と無関係な針を打った過失について弁明があれば聞いてやる」
疑いもなく劇薬指定の視線が降臨なさった。