5・コンティニュー◇
まぁ、そういうものだろう。
人は、どんなものにでも、何かしら意味と理由を求めたがる傾向があるらしい。
生まれ、存在し、今この場所にいる、意味と理由。
自分の足場の確認をしたい、ということなのだろうか。
誰だって、足場の不安定な場所には立ちたくは無い。
意味理由、闇に彷徨、見出して。
そんなものは、もとよりあるものではないのではなかろうか。
見出すものである。
ニュアンス的な話ではあるが。
意味や理由は、他人に求めるものではなく、自分で見出し――自分で作るものである。
他人から言われるような、己の意味と理由は、結局他人の視線、他人の立場においてのことなのであり、自分自身における意味と理由ではない――。
自分は自分なのであり、それ故、他人にはなりえない。
自分の世界は、間違いなく自分を中心に回る。
そう考えると、世界に中心など無く、またあったとしても、実のところ自分には関係の無い話なのではなかろうか。
まぁ、屁理屈ではあるが。
理屈ではないのである。
要は考え方なのであって。
自分には自分の世界がある。
世界が自分を中心に回っている思えば、そのかぎりはそうなのであり。
自分には自分、自分であるかぎりは自分、自分の世界は自分。
(エゴロジカルってとこかなぁ? まぁ、なに言ったって屁理屈なんだけど)
ぼぅっと、彩はそんなことを考えていた。
気が抜けているというか、まさに府抜けた状態なのは、自分自身で良く分かっている。
折れた腕を釣り、包帯とガーゼだらけの身体で、研究所の寝台に寝転がって。
「…………」
いつものように、頭に変な、なにやらごちゃごちゃした物をかぶせられてはいるが、視界は良好、身体すべての感度も絶好調。
(異常は無いと思うんだけどなぁ……)
傍では雅樹が折りたたみの椅子に座っていて、頭の上二メートルあたりのところに、青木研究員と――宇都木がいて、コンピュータで、彩の神経を調べている。
いつもどおり暇で、ぼぅっとする他にないというのは、まぁ、そうなのだが。
「……………………」
(むぅ)
声が出ないというのは問題だった。
叫びすぎで、声帯が傷ついているのだという。
叫びすぎで。
叫びたくなった。
「キュゥーーッ」
変な音がでた。
「無理に声出そうとするなよ」
「無理すると、悪化してしまうよ」
雅樹と青木が言う。
(いいよね、言えるんだから)
天井に向かって、むすっとした顔をしてみた。
自然に治る程度の損傷で済んだのはよかった。
だがなんにせよ、声は出せない。
手話などやったこともないし、まぁ、どうであれ両手が使えないので、出来るはずもない。
ここ二日、コミュニケーション方法に頭を悩ませている。
髪が伸びていたので、切ってショートカットにしたいと伝えるのにも、十分は掛かった。
筆談と言う手段も考えなくもなかったが、しかし今の彩は、両腕も使えない。
左腕は折れているし、右手は、人差し指と中指がまったく動かせない。
右足も折れており、松葉杖無しでは動けない。
両頬には、でっかいガーゼが貼り付けられている。
満身創痍である。
両目が残っているのは助かった。
雅樹によれば、自分で自分の目を突いていたというが、まぁ、彩自身にその意識は無い。
なんにせよ、後遺症はのこらないらしい。
「……………………」
いや――、後遺症と言うべきかどうかは分からないが、あれ以来、夜寝るときには、電気がついていないと眠れなくなってしまった。
「……………………」
「静かだな」
言葉の主、雅樹を睨みつけてやった。
「そう睨むな。率直な感想を言っただけだ」
率直な感想は、時として人を傷つける。
「……異常は無いようだね」
やがて、青木が言葉を発する。
「五感の伝達が止まった要因はわかった。神経に取り付けた機器を誤作動させたんだろう。もちろん、もう誤作動しないように設定したよ」
当然である。身体にスイッチは無いが、誤作動も御免である。
「そんなに簡単に誤作動するものか?」
「……その機械さえあればね。今度は、ある一つコマンドを送るまでは他の信号には反応しないようにしたよ。今は私しか知らない。聞いておくかい?」
彩に向けられた質問だったが、しかし彩は首を横に振った。そして雅樹を視線で示す。
「わかった。後で聞いておく」
雅樹は、何の疑問も示さずに了承した。
「もう起き上がっていいよ」
彩は寝台で上体を起こし、頭に取り付けられた機械を青木が外すのを待った。
「あとは――、五感を閉ざされただけで、一時的に気を失った理由だが、まぁこれは簡単なんだ。脳が、気を失ったと勘違いをしただけだね。しかしこれは的確な動作だよ。五感すべて閉じられた状態では、到底生きてはいけないからね……。だが問題は、何故五感を失ったまま意識を取り戻してしまったか」
一瞬、あの暗闇が頭をよぎった。
「多分……彩だから、としか言いようが無い。実のところ、五感が閉じられたのはほんの一瞬だけだろうと思う。そして脳が意識を失った、と勘違いした。そこまではいい。多分、意識を取り戻したときに――、脳は確かに五感を取り戻したはずだろう。だが、今度は意識が五感を認識しなかった、と言ったところか」
だから、身体の存在を意識したときに、五感を取り戻したのだろう。
「……………………」
まぁどうでもいい。
今ここにいられるのが重要なのであって。
と。
「……えーと、彩?」
意外な人物が声を発した。
宇都木である。コンピュータから顔を上げ、彩を見ていた。
(……いや、考えてみれば意外でもなんでもないよーな?)
宇都木は、今日彩が研究所を訪れたときから、ずっと青木と一緒にいる。つまり、彩と雅樹と一緒にいる。
ただし、ずっと黙っていた。意外なのはむしろそちらのほうだろう。
いや――『彩』と、名前を呼ばれたことが一番意外なのかもしれなかったが。
「……………………」
何? と訊く代わりに、首をかしげて見せる。
眼が合うと、宇都木は一瞬、不思議な表情を見せて、視線を僅かにそらした。
「……調子はどうですか?」
「……………………」
奇妙なほど当たり障りの無い質問ではあったが。
「……………………」
(どー返事返せばいいんだろ)
頷いたり首を振ったりは、肯定か否定だが、どうですかと訊かれてしまうと、そういう質問でもなくなる。
(日本語ってややこしー)
特に考えることもなく、意思を伝える手段、表情を思いついて、微笑んで見せた。
「そうですか」
また不思議な表情をして、奇妙なほど短く返した後、宇都木は再びコンピュータに目を向けた。
初対面の時と、態度がまったく違う。随分大人しくなってしまったものだ。
まぁ、不快だとか、最初のそういった感情は綺麗サッパリ水に流してはいたのだが。
今は不快ではないが、奇妙の一言に尽きる。
(変なの)
おでん屋で会ったとき以来、なんだか変だった。
「身体は大事にしてください」
今度は顔も上げずに言う。
(はぁ、まぁ……ねぇ)
一応頷いたが、宇都木に見えたのかどうかは定かではない。
「宇都木の言うとおり、彩、身体は大事にしなさい。一応、生みの親としての言葉だよ」
青木は何故か微妙に口の端を吊り上げながら言った。
「それと一つ、君に言っておくべきだろうね」
青木は、小さく溜息をついて、続けた。
「上層部がNIRシステム開発に見切りをつけた。――もちろん、君をどうするということはないし、これからも何かあったら頼ってもらって問題はまったく無いけどね――もうこれ以上、進行しようが無い。NIR開発は中止になった。成功の見込みも、もうないしね。だから彩、君にはもう、禁止事項はないよ」
有吉コンツェルン本社は、特殊部隊によってあっさり奪還された。
雅樹が、電話線の繋がった電話で、なんでも屋と連絡を取ったすぐ後のことである。
所詮は、制圧のプロと、テロの素人である。死傷者も出ることは無かった。
逮捕された中に、相輪はいなかった。聞いた話では、相輪はスパイをやっていたのだとかいなかったのだとか。
なんだか良く分からない情報が錯綜している。
社長が半狂乱になって、奥さんを愛人と言い出したとか。
(……ほんっとワケわかんね〜)
まぁ、噂だが。
噂は噂であり、噂は噂として捕らえるべきだろう。真偽がどうかは別として。
なんにせよ――相輪が、彩と雅樹が今から行く場所のセッティングをしたのは、確からしい。
「……………………」
道すがら、なんとはなしに、雅樹の服を掴みたくなった。
「……………………」
両手が使えないのを思い出した。
はぁ、と溜息をつく。
平日、昼食時の商店街である。
街にはいつ何時であれ、変わらずに人がいるが、昼時は、いっそう人数が多い。
そのなか、両頬にガーゼ、腕を釣って松葉杖な彩は当然目立ってしまう。
(……車椅子が欲しい)
いい加減、松葉杖で右脇が痛い。人差し指と中指が折れているせいで、掌に変に力が入って、引きつる。
呻けるものならば呻く。
呻くことができないので黙る。
目的の場所は、研究所からそう離れていないところにあるということで、車は研究所に置いてきてしまっている
「……………………」
立ち止まった。
(……ていうかなんで、最初から車椅子頼まなかったんだろ)
松葉杖は左腕が折れてさえいなければ二本使えた。折れているから。
雅樹は、彩が立ち止まったのに気付いて、二メートルほど前方から彩を見ていた。
「……どうした?」
(車椅子ぷりーず! 車椅子! 車椅子が欲しい! 座り心地がいい高級なやつ!)
「……………………!」
念と共に視線を送るが、まぁ、伝わることはないだろう。
「車椅子ほしいのか?」
(……伝わっちゃった)
というより、彩の様子があからさまに車椅子を要求しているからだった。
真っ赤な顔で、息を切らし、必死な形相で、ふらついている。
こくこくと、首を縦に振る。
雅樹は、少し考えるような仕草をした後、
「研究所にならあるかもな。引き返すか?」
(………………。まぁ、そうなるよね)
商店街で車椅子販売店など、見たこともない。
今いる場所は、研究所と目的の場所のちょうど中間地点。
首を横に振るしかなかった。
「残り半分だ。がんばれ」
「……………………」
(あうぅうううう……)
呻けるものならば呻く。
呻くことができないので黙る。
再び、筋肉痛への道のりを歩む。
「しかし、あれだな。若いってのはいいな」
「……………………?」
突然の雅樹の言葉に、彩は眉をひそめた。
寿司屋である。
なぜか、宿屋のような和室に通され、彩は大の字に寝そべっていた。
筋肉がいろんな悲鳴を上げている。
半分雅樹に抱えられるような格好でここに辿り着いて、水をがぶ飲みし、大の字。
彩は上体を起こし、雅樹を見た。
座布団の上に胡坐をかいて、テーブルに肘をついて、わずかに笑みを浮かべて彩を見ている。
(若いって……、雅樹だってじゅーぶん若いと思うけど)
雅樹の歳は二十一。彩の精神と外見年齢十六歳よりは確かに上ではあるが、それは彩がまだ子供なのであって。
「分からないって顔だな。宇都木のことだよ」
(あの人?)
さらにわけがわからない。
あの変な様子のことを言っているのだろうか。
「……ひょっとして気付いてなかったのか?」
雅樹の意外そうな言葉に、ふるふると首を横に振ってみせる。
「そうか。まぁ、当然と言えば当然か……まぁ、あれだ」
雅樹は、水で口を湿らせた。
「宇都木って男は、どうもお前に惚れたらしい」
「……………………」
ただいまの時刻、十二時五分。ちょうど十二時ではないので、指針は微妙にずれた位置にある。
例えば、好きな食べ物は何ですかと訊かれて、オレンジジュースですと答える人のように、ずれている。
……………………。
ずらしたい気持ちは山々ではあったが、ずれる要素がどこにもない。
故に、率直な反応がこの場合もっとも適するものなのだろうとは思うが、その率直な反応とやらは、一体どんなものだったのだろうか。
「……………………?」
(はぁ?)
ぽかんと口を開け、――声は出せなかったが、空気は出た。
ともかく、雅樹には彩の言いたいことは伝わったようだった。
「宇都木はお前に惚れたらしい。態度といい、あのお前を心配したような言葉といい、な」
雅樹は、真顔に戻って、とくに何も無かったかのように、水を飲み干した。
「……焼酎くらい、先に頼んでても構わないか」
そう呟くと、テーブルに置いてあった、二冊のメニューを開いた。
純米大吟醸とある。
彩は、呆けたように『じゅんまいだいぎんじょう』を見ていたが、はっと我を取り戻した。
(なにそれ!?)
惚れる、という言葉はもちろん知っている。
簡単に言えば男性(または女性)が、女性(または男性)に心奪われるということだが――、宇都木は大学生である。ということは、雅樹と大して歳は変わらないはず。言動からするとそうは思えないのではあるが。
いろいろとフクザツな気持ちが蠢いている。
こう、理解しがたい何かが。
(むぅ〜っ)
こういうときほど、声が欲しいと思ったこともない。
なんとなく、雅樹が持っているメニューをひったくろうと手を伸ばしたそのとき――、
勢いよく、襖が開いた。
入り口に、大仰に手を広げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた女性が立っていた。
女性は、身長百六十センチくらい、腰まで届く長髪を、軽く後ろで束ねている。
彩と似たような格好で――、ジーパンにTシャツに、ジャケットを羽織っている。
年齢は、二十五歳だという話だ。
「……………………」
彩は、また呆けたように、その女性を見る。
――思っていたよりも、自分とは似ていない。
「なにぼーっとしてんのよ。彩! おかーさんのおでまし!」
女性は、楽しそうに言うと、雅樹を見た。
「えーと、雅樹っていったっけ」
「そうだ」
雅樹は、無表情に答えた。
「無愛想ねぇ。イイオトコじゃん。相輪のやつが世話になったわ」
大して気分を害したようでもなく、女性は視線を彩に戻した。
「彩華って呼んでね」
そういいながら、彩華は彩の横に胡坐をかいた。
彩華。そこから彩の名を付けたのだろう。
「……………………」
声が出ないことを、彩華は知っているのだろうか。
「あら? なに? まだ喉治してないの? 意外だねぇ」
彩華は――雅樹も何故か触れなかったことを口にする。
「……………………」
彩は、とりあえず頷いていた。
「じゃあ、頼むか? 寿司」
「うん、お願い。あ、それとあたしにも焼酎……最高級のやつね。大丈夫。あたしのもんはあたしが払うから」
「行ってくる。彩、とりあえず寿司の詰め合わせでいいな」
彩は、彩華から目を放さずに、頷いた。
「行ってらっしゃ〜い。……できるだけ、お願いね」
なんのお願いだか、彩華は言うと、雅樹を視線だけで見送った。
襖が閉められ、二人きりになる。
彩は彩華を見つめ、彩華は彩を見つめる。
「髪切っちゃったみたいね」
頷く。
「短いの好きなの?」
頷く。
「相輪のやつ、あんたの髪気にいってたみたいだけどね」
ずっこける。
(……髪ふぇち?)
「あ、やっぱりイヤ?」
こくこく頷く。
「……、いい加減、喋ったら?」
ふるふるふる。
「まぁ、いいけどね……。やーい、くちなし!」
くちなし。
むっとして、ガーゼで覆われた頬を膨らませる。
「あ、かわいいかわいい」
そういいながら、彩華は彩の膨れた両頬に掌を押し付けた。
ぶ。
傷口が微妙に痛かった。
「……………………」
「あははははっ!」
快活に笑う。
「包帯だらけね。包帯娘っ」
なんというか。
無駄に子供っぽいところと言うか、そういった雰囲気は、自分と似ているかもしれないと思った。
「あ、なによあんた、あたしよりいい身体してんじゃないの」
とか言って。
胸を触るなど。
「うにぎゃあっ!」
つい、声を出してしまった。
片足で器用に後退る。
「なによ、出るんじゃない、声」
「…………い、いや〜ん」
(……まぁ、いいか)
たった今、因果干渉をして声帯を治癒したのだった。
まさか、第一声が悲鳴になるとは思いもしなかったが。
「……あんまり言いたいこと言ってくれるんだもん」
「だから言いたいこと言ったんだけどね?」
「むぅ」
つまり、喋らせるため。
まぁ、……久しぶりの喉の感触は、かなり心地の良いものだった。
「因果干渉、だっけ? 折角使えるんだから、使っても損は無いんじゃないの?」
……………………。
損得の問題ではない。
因果干渉を使いたくなかった理由――は、たぶん、彩華にはわからない。
「そーゆーの、怖気づいたっていうのよ」
「え?」
「あたしだって知ってんのよ。あんたの能力のことはね」
彩は、意識を取り戻すとき――、自分と繋がる世界が、とてつもなく巨大なものに感じられていた。
「……だから、あんた……NIR開発が進展しないように、成功しないように、因果干渉してたんでしょ? あんたのような能力がぽんぽんと生まれるべきじゃないから。多分、そうね、あんたが起動したそのときに」
その通りだった。
起動したそのときに、自分のことを知って――、そして開発が続けられることを、意識を覗くことで、もともと知っていた。
「一歩間違えればなんかカタストロフななんかが起こる〜とか? まぁ、あたしには想像はつきようも無いけどねぇ。まぁ、面倒なことはわかんないわ。……あ〜、あんたの判断は正しいでしょうよ。もう開発は取りやめらしいし、そうなるべきだったんでしょうよ。それはそれでいい。だけどあんたはここに居るんだし……要するにね、使えるもんは使え、びびんなってこと。それじゃ何にも始まんないでしょうが」
本当に面倒になったらしく、彩華はそこで言葉を打ち切った。
実のところ、そのことはよく分かっている。使えるものを使わずに後悔するより、使えるものは使ってから後悔すべきだろう。
時と場合によるのではあるが。
「あんた、相輪嫌い?」
唐突に、彩華は関係の無いことを訊いてくる。
「うん」
あっさりと返す。
「だろうと思った。あたしは結構好きだけどね」
「好き? あの人が?」
「まぁね。確かに変な人なんだわ。この前、『馬鹿と鋏はなぜ同列に扱われるのか』だなんて、ワケのわかんない論文書いてたし」
馬鹿と鋏は使いようのことだろうか。
「切れない鋏でも、使いようによっては切れるっていう……?」
「揚げ足取りなんだわ。切れない鋏は切れないんだから切れないとか言ってた」
なるほど、わけがわからない。
「でもね、へらへらしてるようで、何事にも真剣に取り組むやつよ」
それは感じた。
だから、彩は、……母親である彩華と、ここで会っているのだ。
しかし、彩華の言う『好き』のニュアンスが――。
「あんたも雅樹が好きでしょうが」
「うぇ? んああ、うん」
「変な返事。あはは。なに顔赤くしてんの。女の子ねぇ、あんたも」
彩華はそう言うと、テーブルに置いてあった三つ目のコップに、水を注ぎ足し、喉を鳴らして豪快に飲む。
「……………………」
悪戯をしてみたくなった。
(仕返しっ)
「おかーさんっ」
彩華がむせた。
「げほっ! がはっ! き、気道にはいっ……おかーさん!?」
彩は、にやりとしてさらに畳み掛ける。
「おかあさん!」
「あたし、まだ二十五なんだけどっ」
「でもおかーさんて言ったのおかーさんじゃんか!」
「いや、アレはノリで」
「ママ!」
「ま、ままぁ?」
彩華が動揺している。
(おもしれー)
「たしかにあたしはあんたの母親ともいえるかも知んないけどっ」
「じゃ、おねーちゃん!」
「おねぇ!?」
「あねき!」
「……あたしで遊ぶな」
「ち、ばれた」
「やっぱあたしの娘だねぇ」
「え、娘?」
「我が愛娘!」
「まなむす……」
そのとき、襖が開いて。
「随分楽しそうだな」
彩と彩華の目線が、雅樹に突き刺さった。
「戻ってくるの早い!」
同時に口を尖らせ、言う。
彩華が雅樹に頼んだこと、それは、できるだけ時間つぶしをして来いということだった。
「早いって、お前ら……」
くつくつと、雅樹は笑った。
「冗談じゃねぇって。この部屋から出て、この狭い店で五分くらいかけてゆっくりと外に出て、タバコを十分くらいふかしてからまた五分かけて調理場に行って、貯蔵庫に入れてもらって焼酎選びにたっぷり十分かけて、それから詰め合わせをオーダーして、出来上がるのに二十分だ。これ以上何をしてろって言うんだよ」
知らぬうちに驚きの計五十分だった。時間の流れは一体どうなっているのだろうか。
雅樹は、右左脇にそれぞれ、寿司の詰め合わせと、焼酎二本を抱えていた。
「戻ってきてみれば、どうも賑やかになってるし。入るかどうかちょっと考えたが、寿司を乾燥させるのはいやだろ」
雅樹はテーブル真ん中に寿司の詰め合わせを置き、脇に焼酎ビン二本を置き、持ちつかれたというように手を軽くふりながらテーブル前で胡坐をかいた。
「……どこらへんから聞いてたの?」
彩が訊く。
「襖の前で」
「いや、いつから聞いてたのって訊いてるの! 盗み聞き!」
彩華はにやにやしている。
「盗み聞きって、人聞きの悪い。……そうだな。お前がおかーさんって叫んでるときか」
「あ、そう」
彩は、ほっとしたように溜息をついた。――少々、落胆が混じっているような溜息だった。
一方、彩華は明らかにがっかりしたようだった。
「なんだ。なにかあったのか?」
「なんでもない」
彩と彩華が、同時に言う。
また、雅樹は苦笑のように、笑った。
――声に出して、笑っていた。
「さぁて、朝まで飲んでどんちゃん騒ぎだぁっ! 大丈夫! 相輪のやつ、この部屋は翌朝まで取ってるってさ!」
「ええ〜!? まだ昼だよ!? ……私一人で酔っ払い二人を相手にすんの? しかも朝まで……」
「お前も飲めばいいさ」
雅樹は、あっさりと言い放った。
「へ?」
「構わないだろ? なぁ、彩華?」
「いいんじゃない?」
「ええ〜……」
(まぁ、いいか)
なんとなく幸せな気分で、彩は呟いた。
――極彩パレット――
とりあえず、極彩パレットはこれにてENDです。
なんだか中途半端かなぁなんて思いながらの完結なので、ひょっとしたりもしかしたりなにか起こったり私の脳内で何か特殊な化学変化とか、クーデターとか、ビッグバンとかなんとかが発生した場合、続編なるものを書くやもしれません。
読んでくださった皆さん、是非、評価、感想など、よろしくお願いします! これからも精進していくつもりの私めにございます。




