閑話 一歩前へ 三
第三位界下位
静謐に支配される月下の草原。
その小高い丘で、弓が引き絞られる。
放たれた矢は残光を残し、草陰に突き刺さった。
そうかと思えば、再度弦月は満ち足りて、星が夜を流れる。
幾度か流星が駆けた後、丘に立つ女は弓を下ろした。
仲間が矢の元へ駆け、頭を貫かれた兎を持って来る。
「はぁ……」
俺は幾度目かのため息を吐いた。
弓術スキルは不遇スキルとされている。
それは単純に目標を射る事が難しいからだし、なんなら的は激しく動いて来るし、更には誤射リスクもあり、極め付けに矢が消耗品。
そんな弓術を、あの小高い丘に立つ女性は今のところ百発百中で当てている。
遠目だが茶色っぽい髪の美人で、その横には同じく弓を持つ黒髪の美人がいた。
俺らのリーダーとはまた違ったマジもんの実力者だな。
とりあえず本物の邪魔立ては色んな意味でしたくないから、草原の端っこで狩りをする事にした。
◇
明けた翌朝。今日も今日とて狩りである。
リーダーの注意事項のおかげで、どうにか取れた宿から出て、向かったのは東の草原。
すぐにでも狩りに行きたいところだが、一応唯一見に行っていない海岸の様子を確認しておきたかったのだ。
向かった海岸は、昨日の時点で十分に情報が知れ渡ったか、殆ど人はいなかった。
数少ない人も、硬くて強い蟹に苦戦し、時には青い粒子になって拡散、死に戻りして行く。
そんな中にあって、異質なチームが一つ。
盾と剣を持つ爽やかイケメンが率いる美少女パーティーという、嘘みたいなチームだ。
それらは側から見て分かるくらい高い練度で、襲い来る蟹をかなりのペースで狩っていた。
仮に俺が六人いたとしたら蟹狩りは視野に入ってくるが、二体や三体に囲まれたら全滅はありうる。
それだけ硬くて強い敵なのに、そのパーティーは次々来る蟹を、二体三体同時に捌き、狩りを進めていた。
流石に三体の時は少し危なげだが、そもそも四人で狩りが成立しているだけで凄い。
「はぁぁ……」
取り敢えず確認はできたので、兎狩りへ向かった。
街を迂回するように狩りをしながら西進し、太陽が中天に来る頃、スライム狩りをしている美少女パーティーを見つけた。
赤い髪の子がリーダーか、初めは若いというか幼げな子供ばかりのパーティーで、ちょっと見守るくらいのつもりで見ていたが、すぐに考えを改めた。
「……うーんマジかぁ」
——強い。
スライムは面倒なんだよなーうんうんと見ていたが、どの子も一回武器を振るうだけ。
それだけで、スライムの核を破壊しているのだ。
和気藹々と子供の遠足みたいなのに、やっている事のレベルの高さに、俺は言葉を失った。
「……」
昨夜の弓兵、蟹を狩る剣士たち、正確な一撃でスライムをワンパンする少女たち。
βの時にも何人かは強いのがいたが、こんなに高頻度で強いのに出会うと、俺なんて所詮それなりなんだなと思い知らされるようだった。
◇
モヤモヤした思いを抱えつつ、リーダーたちと合流、午後の犬狩りを終えた。
やはり組んだパーティーの面々はどこか危なかしく、俺はそれなりに強い方だった。
自信を持って良いのだろうか? それとも、それなり程度は自惚れるに値しないのだろうか?
自信を持てば、きっと強者を見ることがストレスになるかもしれない。
かと言って自信が無ければ向上心にも繋がらないかもしれない。
まぁ、結局大した話では無い。
ふらつく心の持ちようを、どこに定めれば良いのかという、卑小の些細な悩み事だ。
どこかセンチメンタルな気持ちになるのは、人影も殆ど無い薄暗い街を歩いているからだろう。
宿側へふらふら向かう移動の合間の暇つぶし、答えなんてそうそう出せない、くだらない問いだ。
そんな時、微かな音が聞こえた。
「……?」
聞き間違いかと思った次の瞬間に、確かに聞こえる鋭い声。
「……猫?」
そんなに猫に詳しい訳じゃないが、割と尋常じゃない鳴き声だ。
猫自体はよく見かけていたが、こんな声は初めて聞く。
或いは何かのイベントかもしれないと、軽い気持ちで路地裏に進み、それを見た。
「……っ」
血まみれの猫が、何かと戦っている。
散々犬を血まみれにした手前、特別それに何かを感じた訳じゃ無い。
ただ、敵ではないキャラが、安全な筈の街中で、何かに襲われている事に、驚いた。
よく分からないが、何かしらのイベント戦闘だろう。
どちらが悪いとかも分からないが、とにかく前に出た。
するとそういうタイミングだったのか、猫が倒れ、素早い何かが動きを止める。
「げっ」
それは、拳大はあろうかと言う——大きな赤いゴキだった。
「うーわマジかよッ」
そんな呟きの刹那、ゴキブリが高速で動き出し、壁を跳ね回る。
「くっそ最悪だッ!?」
悲鳴にも近い声を上げながら、背負っていた槍を構えた。
——早い!
どうにか目で追えていたそれは、三次元的な動きをする事で、遂に視界から外れる。
ゾッとする思いで辺りを見回した次の瞬間、首に鋭い痛みが走った。
「くっ!?」
咄嗟に首を振り、手で払うようにしたが手応えは無し。
ぬるっとした感触にビビりながら手を見ると、血がべっとり付いていた。
「っっ!!?」
まずいッ殺されるッ!? 初めての死亡がどデカチャバネゴキブリだなんて嫌すぎる!!
そんな考えは頭の片隅、その殆どは本能的な恐怖に支配されたまま、俺は遮二無二に武器を振り回した。
何度か壁に当たり大きな音を立てながらも、我武者羅に槍を振っていると、ゴキを視界の奥に捉える。
何とか遠ざけられたと思ったのも束の間、ゴキがまた三次元的な動きを見せた。
怖すぎて目を離せず、後退りながら視線だけでそれを追いかけ——消える。
「ッッ!!」
咄嗟に、首を守るように手を振った。
その裏拳が、奇跡的に、何かを捉えた。
「うひぇっ」
間抜けな悲鳴を上げながら、視界の端に転がった何かに素早く槍を構える。
ゴキがひっくり返り、ジタバタと暴れていた。
——槍を振りかぶる。
ゴキが甲殻を広げた。
命の危機を感じているからか、全部がゆっくり動いて見える。
スローモーションの世界で、直感的に理解する。
——この攻撃は、当たらない。
元々そんなに精度は高くない。おまけに今は完全に正気じゃない。
振り下ろす一撃が、当たる筈がない。
そう思うや、動きを少し止める。
ゆっくりと進む世界の中、起きあがろうとするゴキに、俺は石突を向けた。
左手をガイドに、右手を強く握って、確実に当てる為に前へ踏み込み、更に前傾。
突き込んだその一撃は——
——ゴキを貫いた。
「……」
ピクピク動くそれを、無言で何度か突く。
完全に息の根が止まったところで後退り——
《【クエスト】『街陰のレッドデビル』をクリアしました》
《【クエスト】
『街陰のレッドデビル』
参加条件:レッドコックローチとの戦闘
達成条件:レッドコックローチの討伐
失敗条件:レッドコックローチを取り逃す
達成報酬
参加者報酬
・スキルポイント1P・殺虫薬×3》
「っ……」
唐突なメッセージに跳ねる。
ドキドキする心臓を抑え、一息付いた。
「……クエストってこんな感じなんだ」
取り敢えずメニューを開き、状態を確認する。
思いの外HPは減っておらず、出血らしきアイコンが丁度消えるところだった。
どうやら、大半の血は俺の物では無かったらしい。
買ったばかりのポーチからポーションを取り出し、飲もうとしたところで、思い至る。
そういえば猫はどうなった?
慌てて、猫の方に向かう。
そこには、さっきと変わらず猫が倒れていた。
近付いて触れてみると、仄かに弱々しい鼓動を感じる。
獣医じゃないから分からんが、このまま放っておくと死ぬだろう。
「……」
欠片も悩まずポーションを掛けた自分に、少し驚く。
なんでだろうな? 犬は敵だからやれるとして、スライムは襲って来てないけどやれるのはゲームっぽいからか?
自分の行動を考察している内に、猫の身体中の傷が癒えていき、猫はのそりと立ち上がる。
「……災難だったな、お前」
ちょっとびちゃびちゃの体を撫でると、猫はすりすり体を寄せる。
少しは恩義でも感じてくれているらしい。
「なおん」
「おう、じゃあな」
一声鳴いて猫は立ち去る。
静かな夜の中、少し疲れて、壁に寄りかかった。
「……まぁ、なんだ」
俺は全然、大して強くないそれなりだが、こうして誰かを助けられる、それなりに良いやつだ。
「ふ、はは……」
あんまり得はしてないが、徳は積んだ。それで良い。
——間違えないようにすれば良いんだ。
俺は全然強くないから自惚れちゃいけない。
……でも、誰かを助けた時くらいは、自信を持って良いんだ。
明けた翌朝、部屋の窓が開いていて、床に複数転がる鳥の死骸に悲鳴をあげる事になるとは、少し自分に酔っていたこの時の俺には知る由もない事だった。





