10.
図書館を出て、最寄り駅の改札へと向かう道すがらも、納富さんは大事そうにバッグの文庫本を撫でていた。その様子を見ているだけで、私の胸の奥はくすぐったいような嬉しさで満たされていく。
自動改札機の手前で、どちらからともなく足を止めた。
「じゃあ、神上さん。今日は本当にありがとうございました。本、頑張って読みますね」
「いえ、こちらこそ! 楽しい休日になりました。……あ、無理はしないで、納富さんのペースで読んでくださいね」
「はい。でも、早く感想言いたいですから」
納富さんは爽やかに笑って、それから何かを思い出したように「あ、そうだ」と声を上げた。
「神上さん、次のシフト……っていうか、次の仕事っていつ入ってますか?」
「え? ええと……」
予想外の質問に、私は一瞬まばたきを繰り返した。
「基本、火曜日はいつもカウンターにいるんですけど……」
「火曜日、ですね。わかりました」
納富さんはスマホを取り出すこともなく、ただ私の言葉を記憶に刻み込むように小さく頷くと、悪戯っぽく笑ってみせた。
「じゃあ、次の火曜日に図書館に行きますね。仕事の邪魔にならない時間に」
「えっ!? か、火曜日ですか?」
思わず声が裏返ってしまった。
今日は木曜日。いつも通り一週間後なら来週の木曜日なのに、彼はそれより前の「次の火曜日」に来ると言うのだ。
「あの、一週間後じゃなくて大丈夫ですか……? 活字、苦手って……」
「だからこそ、鉄は熱いううちに打て、です。面白そうだし、勢いで一気に読んじゃいます。……それに、早くクリアして神上さんに報告に行きたいので」
じゃあ、また火曜日に。そう言って小さく手を振ると、納富さんは軽やかな足取りで改札へと消えていった。
残された私は、しばらくその場から動くことができなかった。
自動改札機を通過する人波の中で、私の心臓だけが、信じられないほどの速さで警報のように鳴り響いている。
(火曜日……って、来週の、火曜日……?)
いつも通り一週間後の木曜日に来るものだとばかり思っていたのに、彼はもっと早く、私に会いに来てくれると言うのだ。
どうやって家に帰ったのか、正直よく覚えていない。
夕食の味もどこか上の空で、お風呂に入っていても、お湯の温かさより納富さんの「次の火曜日に行きますね」という声ばかりが、耳の奥で何度も繰り返されていた。
パジャマに着替え、部屋の明かりを消してベッドに潜り込む。
いつもなら、枕元の読書灯をつけて数ページ小説を読むのが私のルーティンなのに、今夜はとても活字に集中できる気がしなかった。
薄暗い部屋の中、布団を胸元まで引き上げる。
(火曜日。……あと、五日後、か)
いつもは長く感じる仕事も、全部がその日のためのカウントダウンに思えてしまう。
目を閉じると、彼の優しい笑顔と、本を受け取った時の指先の熱が、鮮明に蘇ってくる。
「……どうしよう」
ぽつりと溢れた声は、静かな部屋に小さく溶けて消えた。
ドクドクと高鳴る胸を手で押さえながら、私は何度も寝返りを打つ。
彼がどんな顔をして、どんな感想を抱えてあのカウンターに現れるのか。それを想像するだけで、頭の芯がじわりと熱くなった。
こんなに火曜日が待ち遠しいなんて、生まれて初めてかもしれない。
私は掛け布団に顔を半分うずめ、深く息を吐きながら、まだ見ぬ五日後に思いを馳せていた。




