第六章 限界OLの完璧なおもてなし(接待)と、ダメ人間コンビの泥酔謝罪会見
「嫌味な視察団と、限界OLの接待モード」
ルナミス帝国の帝都にそびえ立つ、壮麗な大公邸。
死の地下迷宮でのグランピング(遭難)から帰還し、極貧地下アイドルのリーザさんという騒がしい居候を迎えてから数日後のこと。
平和な日常を取り戻したばかりの私たちのもとに、非常に厄介な「招かれざる客」が到着した。
「――おや。出迎えがずいぶんと質素だな。ルナミス帝国最強と謳われるオルフェウス大公の館ともあろうものが、我々『ゼファー商業国』の視察団に対する礼儀も知らんとは」
大公邸のエントランスに、鼻持ちならない甲高い声が響き渡った。
声の主は、隣国であるゼファー商業国からやってきた視察団のトップ、ゲルド侯爵であった。
彼は豪奢なビロードの服に身を包み、恰幅の良いお腹を突き出し、太い指にはこれでもかと下品な宝石を散りばめた指輪をはめている。背後には、同じように傲慢な笑みを浮かべた取り巻きの貴族たちがずらりと並んでいた。
「遠路はるばるご苦労だったな、ゲルド侯爵。だが、我が帝国は実力主義だ。無駄な見栄を張る虚飾の出迎えなど、用意する義理はない。大陸屈指の大企業『ゴルド商会』のオロチ会長でさえ、我が国に来る時はもっと謙虚だぞ」
オルフェウス様が、大公としての圧倒的な威厳を纏い、冷ややかな視線で彼らを見下ろした。
ゼファー商業国は、ルナミス帝国と国境を接する国であり、長年にわたり貿易の主導権を巡って冷戦状態にある。今回の彼らの視察も、表向きは「友好と文化交流」と銘打っているが、その実態は「帝国の粗探しをして、外交交渉で優位に立つための材料集め」であることは誰の目にも明白だった。
「ふん……相変わらず可愛げのない男だ。大公殿は戦場では無敵かもしれんが、外交の『粋』というものを知らんな。おや?」
ゲルド侯爵の濁った小動物のような目が、オルフェウス様の一歩後ろに控えていた私――アマネへと向けられた。
「そちらにいる、華もない地味な娘が……噂に聞く、大公殿の『平民上がりの婚約者』かな? いやはや、天下のルナミス大公も血迷われたものだ。そのような教養も品格もない、魔法も闘気も使えないような小娘を大公妃に据えようなどと。我が国の高貴な姫君たちが見たら、呆れて鼻で笑うであろうな!」
「そうだそうだ! 平民にまともなおもてなしなどできるはずがない!」
取り巻きの貴族たちが、ゲルド侯爵に追従して下品な笑い声を上げる。
――ピキッ。
その瞬間、大公邸のエントランスの気温が、物理的にマイナス数十度まで急降下した。
「……ゲルド侯爵。今、私の愛するアマネをなんと呼んだ?」
オルフェウス様の深い紫の瞳が、絶対零度の殺気を放ち始めた。彼の腰にある魔剣が、主の怒りに呼応してカタカタと恐ろしい音を立てて震えている。
「次の一言で、貴様のその無駄に装飾された首が胴体から離れることになるぞ。ゼファー商業国への遺言があるなら聞いてやろう」
「ひぃっ!?」
帝国最強の戦神による純度百パーセントの殺気を真正面から浴びて、ゲルド侯爵と視察団の面々は顔面を蒼白にし、カチカチと歯を鳴らして無様に後ずさった。
彼らは理解したのだ。目の前にいる男が、外交問題など一切気にせず、本気で自分たちをこの場で塵にしようとしていることを。
――しかし。
私はオルフェウス様の腕にそっと手を添え、彼の前に進み出た。
「オルフェウス様、お待ちください。遠方からのお客様に対して、剣を抜くなど無作法ですわ」
「だがアマネ、こいつらは君を侮辱したのだぞ! 私の命に代えても、こんな塵芥どもは――」
「大丈夫です。私にお任せくださいませ」
私は彼を優しく制し、ゲルド侯爵たちへと向き直った。
私の心の中には、怒りも悲しみも一切なかった。あるのはただ、前世のブラック企業で鍛え上げられた『絶対的な事務処理能力』と『接待のプロとしての冷徹な計算』だけである。
(……なるほど。本社からやってきて、現場の粗探しをしてマウントを取りたがる、典型的な『嫌味な役員』のタイプね)
限界OLだった頃、私はこういう輩の相手を何百回とさせられてきた。
彼らは無駄なプライドの塊であり、正面から反発すれば「現場はなってない」と火に油を注ぐだけだ。一番効果的なのは、彼らの予想を遥かに上回る『完璧すぎる接待』を叩きつけ、ぐうの音も出ないほどに圧倒(マウント返し)して、胃袋ごと完全に骨抜きにしてやることである。
カチッ、と。
私の中で、『限界OLの完璧な営業スマイル』のスイッチが入った。
「ゲルド侯爵様、および視察団の皆様。この度はルナミス帝国へようこそお越しくださいました。私はオルフェウス様の婚約者、アマネ・ヴァイオレットと申します」
私は、背筋をピンと伸ばし、指先から足のつま先まで隙のない完璧な角度(四十五度)で、優雅なカーテシー(お辞儀)を披露した。
それは、一流ホテルのコンシェルジュや、ルナミス帝国の王族教育を何十年と受けた者すら凌駕する、洗練の極致だった。
「な、なんだ……?」
「遠路はるばるの馬車の旅、さぞお疲れでございましょう。皆様の長旅の疲れを癒やすべく、ささやかではございますが、歓迎の茶会の用意をさせていただいております。どうぞ、奥のサロンへご案内いたしますわ」
一切の嫌味を感じさせない、まるで春の陽だまりのような慈愛に満ちた声色。
先ほどまで私を「教養のない小娘」と見下していたゲルド侯爵たちは、そのあまりにも堂々とした完璧な立ち振る舞いに完全に毒気を抜かれ、ポカンと口を開けてしまった。
「あ、あ、ああ……。茶会、か。ふ、ふん、よかろう! 平民上がりの娘がどれほどの茶を出せるのか、この私の肥えた舌で厳しく審査してやろうではないか!」
ゲルド侯爵は慌てて威厳を取り繕い、エヘンと咳払いをして私の案内に従った。
*
大公邸の最も日当たりの良い、豪華な調度品で整えられたサロン。
ゲルド侯爵たちをフカフカのソファへと案内した私は、裏のパントリー(配膳室)へと下がり、脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
(さて、見栄っ張りな彼らのプライドを粉砕しつつ、完全に胃袋を掌握するためには……これですね)
私が空間から実体化させたのは、地球の最高級品である【英国王室御用達・極上アールグレイの茶葉(5pt)】。
そして、お茶菓子として用意したのは、銀座の老舗洋菓子店が誇る【季節の特選フルーツタルト・ホールサイズ(15pt)】だ。
ポットにお湯を注ぎ、完璧な温度(茶葉のジャンピングが起きる九十五度)で蒸らし、香りを最大限に引き出す。タルトは美しく切り分け、ルナミスデパートの高級品にも劣らない純白の皿(マイセン風・通販)に盛り付けた。
「お待たせいたしました。本日の歓迎のお茶でございます」
私は銀のワゴンを引きながらサロンへ戻り、ゲルド侯爵たちの前に、音ひとつ立てずにティーカップとタルトの皿を並べていった。
コトリ、と置かれたカップから、ベルガモットの豊潤で高貴な香りが爆発的に立ち昇り、サロンの空気を一変させた。
「なっ……なんだ、この香りは……ッ!?」
ゲルド侯爵の目が、驚愕に見開かれた。
「ふ、ふん! 香りだけ誤魔化しても無駄だ! 茶は温度と渋みのバランスが命! どうせ平民の淹れた茶など、舌が焼けるほど熱いか、渋くて飲めたものでは……」
そう言い捨てて、ゲルド侯爵がティーカップに口をつけた、その瞬間。
「――ッッ!?」
彼の動きが、完全にフリーズした。
熱すぎず、ぬるすぎない、口内を最も心地よく満たす奇跡の温度。渋みなど一切なく、ただただ紅茶の深いコクと爽やかな柑橘の香りが、喉の奥へと滑らかに落ちていく。
「な、なんだこの茶は……! 我が国の王宮で出される最高級の茶葉すら、泥水に思えるほどの圧倒的な風味……っ! いったいどんな魔法を使えば、これほど澄んだ味が出せるのだ!?」
「お口に合って何よりです。さあ、こちらのフルーツタルトもご一緒にどうぞ」
私が微笑んで勧めると、彼は震える手でフォークを手に取り、宝石のように輝くイチゴとマスカットが乗ったタルトを口に運んだ。
サクッ……ジュワァァァ……!
「あばばばばっ!?」
ゲルド侯爵が、あまりの美味しさにソファの上で跳ね上がった。
「こ、このタルト生地! まるでガラスのように繊細に砕け散りながら、芳醇なバターの香りが口いっぱいに広がる! そして、この濃厚なのにしつこくないカスタードクリームと、果物の暴力的なまでの瑞々しい甘酸っぱさが、完璧な調和を……ッ!!」
もはや、粗探しをする余裕など1ミリもなかった。
彼らはただ、地球の最高峰のスイーツと紅茶の【圧倒的な暴力(美味しさ)】の前に完全にひれ伏し、涙を流しながら無心でタルトを貪り食うことしかできなかったのである。
「うめぇぇっ! なんだこれ! 平民の出す菓子じゃねぇ!」
「もっと! もっと紅茶をくれぇぇっ!」
視察団の貴族たちが、貴族の矜持もかなぐり捨てて、皿に残ったカスタードクリームまでフォークで舐め回している。
「……アマネお嬢の接待スキル、エグすぎるっすね。あんな嫌味なジジイどもが、完全に飼い慣らされた犬みたいになってるっすよ」
「ずるいですわ! 私もあのキラキラしたタルトが食べたいですの! あのおじさんたち、私よりたくさん食べてて許せませんわ!」
サロンの入り口の物陰から、フェイトさんとリーザさんが涎を垂らしながら様子を窺っていた。
「……ふふっ。皆様、長旅でお腹が空いていらしたのですね。どうぞ、おかわりはたくさんございますから」
私は、ダメ人間二人の恨めしそうな視線を背中に感じながらも、完璧な営業スマイルを維持していた。
(ふふっ、まずは第一段階クリアですね。彼らの胃袋と舌は、完全に私のペースに巻き込まれました)
限界OLの『おもてなし』は、まだ始まったばかりである。
(事前情報によれば、彼らはかなりの『酒豪』揃いとのこと。……ならば、夜の宴会の締めには、とっておきの『劇物(最高の一杯)』を用意しておきましょう)
私は空間収納の中に、ルナミス帝国の庶民に愛される強アルコール酒『イモッカ(度数40度)』と、地球のジャンクフードの王様『カップラーメン』を組み合わせた、最狂の夜食の構想を練っていた。
だが、その私がパントリーに秘かに仕込んだ【禁断のワンカップラーメン】が、この日の深夜、大公邸のダメ人間コンビを巻き込んでとんでもない大惨事を引き起こすことになるとは、この時の私には知る由もなかったのである。
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