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1830年ロンドンを買い叩く 〜没落寸前の若き富豪、アヘン帝国の理事どもに"十倍返し"を叩き込み、東インド会社を経済で破産させる〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
創世の決算・封印編

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創世の貸借対照表(バランスシート) ― 姿なき支配者への一万倍返し、そして黄金の算盤の起源

西暦2000年、中国・広東。平和記念公園。


――サミュエルは、若き日の姿で現れたヨシュアの手を取った。老いた体は羽のように軽く、視界は黄金色の光に満たされていく。「さあ、最後の決算だ」。そのはずだった。


だが、二人が「最期の決算」へと足を踏み出そうとした刹那、世界の時間が凍りついた。


子供たちの笑い声も、汽笛の音も、珠江の潮騒さえも、一枚の止まった帳簿のように静止する。黄金の光が、氷のような灰色へと反転した。


「――久しいな。『設計者アーキテクト』よ。いや、今は“ヨシュア・ゴールドシュミット”と名乗っていたか」


霧が凝るように、一人の男が現れた。

1839年、ロンドンの霧の洋館で一度だけ対峙したきりの男。

【姿なき支配者】の最高幹部――ナサニエル。

彼だけが、一世紀半の時を経て、あの日と寸分違わぬ姿のまま、そこに立っていた。


サミュエルが息を呑む。

「……老いていない。人間ではない、というのですか」


「当然だ。私は“人間”ではない。私は結論だ」ナサニエルは静かに微笑んだ。「私は、お前が造った世界の、最も効率的な最終形態。――お前たちが“史実”と呼び、恐れた、あの『神のアルゴリズム』そのものだ」


その言葉に、ヨシュアの――否、封印されていた記憶が、堰を切って逆流した。


(……思い出した。いや、ずっと知っていた。俺の“本当の名”を)


若き日の面差しの奥に、もう一つの顔が浮かび上がる。

ヨシュア・ゴールドシュミットの、封じられた第一人格。

遥かな未来、人類が辿り着いた「超高度管理社会」の主任設計者――**ダヴィド・サッスーン**。


(……あれは、異世界などではなかった。目覚めても、目覚めても、そこは終わりのない一つの会議室コントロール・ルームだった。窓のない部屋で、俺は地球という名の巨大な帳簿を、一秒も休まず“最適化”し続けていた)


未来。人類は戦争と飢餓を克服する代償に、己の運命の全てを一つのシステムへ明け渡した。効率の名のもとに、非効率な祈りが、無駄な涙が、採算の合わぬ一つ一つの人生が、順に「削除パージ」されていった。その削除ボタンを弾き続けたのが、ダヴィド・サッスーンだったのだ。


「思い出したようだな」ナサニエルが灰色の空を指す。「お前が設計した“完璧な均衡”は、やがて一つの解に到達した。――人類最大の不確定要素、すなわち『人間の自由意志』こそが、システム最大のバグである、と。私は、その最後の一行を消すために生まれた。だが、その直前――」


「――俺が、裏切った」ヨシュアが、静かに引き取った。


そう。設計者ダヴィドは、最後に己の帳簿を監査し直した。そして気づいた。自分が「不良債権」として切り捨てた無数の人生の中に、たった一人、切り捨ててはならぬ魂があったことに。


ヨシュアは、上着の内ポケットから、あの古びた肖像画を取り出した。エピソード17で、彼が「守りきれなかった大切な記憶」として胸に抱いた、あの一枚。


そこに描かれていたのは――**セラフィーヌ**だった。


「彼女は、未来の管理社会で最初に“最適化”された市民だった。番号で呼ばれ、非効率と判定され、俺自身の演算によって世界から消された、名もなき一人の女性。……彼女の消えた日、俺の中で初めて“数字”が悲鳴を上げた。俺は、自分が神ではなく、ただの人殺しの計算機だったことを知った」


だから、彼は反逆した。

システムが未来を完璧に管理するために保有していた、禁じられた最終装置――「時間投射炉」。史実を都合よく“上書き(リライト)”するためのその炉に、ダヴィドは自らの意識を投げ込んだ。行き先は、1839年の広東。


「なぜ、そこだったか分かるか、ナサニエル」ヨシュアの声に、160年分の確信が宿る。「そこが、貴様というシステムの“帳簿の一行目”だからだ。人が人を数字に変え、他者の未来を担保に取る――アヘンという名の“最悪の不良債権”。あの毒の海こそが、貴様が生まれる元本もとでだった。ならば、元本を断てば、利息である貴様は、生まれ得ない」


そして彼は、自らの記憶を封印した。

――冷徹な設計者ダヴィドの計算だけでは、システムに“予測”されてしまう。だから、記憶なき新しい人格「ヨシュア」を、この時代で一から育てた。怒り、迷い、人を愛し、人のために泣く、非効率で、予測不能な人格を。


(エピソード31で、二つの人格が一つの「願い」へ収束した――あれは、設計者の叡智と、人間の熱が、初めて手を組んだ瞬間だったのだ)


「予測不能な変数。それこそが、貴様の完璧な数式に打ち込める、ただ一つの楔だと知っていたからな」


ナサニエルの端整な顔が、初めて歪んだ。

「……認めよう。お前は、私の生誕を阻んだ。アヘン戦争は起きず、二度の大戦も、冷戦も、収奪の分断も、この世に生まれなかった。私が根を張るべき“憎しみの土壌”は、痩せ細った。だが、パーキンスの言葉を覚えているか? 帝国の牙を抜けば、次なる略奪者が現れる、と。私は消えぬ。姿を変え、名を変え、いつの世も現れる」


「知っている」ヨシュアは即答した。「だからこそ、俺は貴様を“倒す”ことを目的にしなかった。倒せば、憎しみが新たな元本になるだけだ。……俺がやったのは、もっと悪辣だぞ、ナサニエル」


ヨシュアは、傷だらけの銀の算盤を掲げた。


「これは、俺の“父”の形見だ。――いや、正確に言おう。これは、あの窓のない会議室で、システムに全てを明け渡すことを最後まで拒んだ、一人の老技師が遺した“アナログの遺物”だ。電子の計算に決して回収されない、指で弾く、人の手のぬくもりの残る計算機。彼を、俺は父と呼んだ。俺が唯一“設計”ではなく“相続”したものが、この算盤だった」


パチン、と一音。凍りついた世界に、澄んだ珠の音が響く。


「俺は貴様を倒す代わりに、この160年をかけて、世界そのものを“貴様が二度と採算の合わない場所”に書き換えた。戦争が最も割に合わず、略奪が最も高くつき、誠実な信用こそが最も利回りの高い世界へ、な。――貴様というアルゴリズムは、もう最適解として『平和』しか出力できない。貴様は消えたんじゃない。俺の帳簿の中で、“味方”に格付け(リライト)されたんだよ」


「……それが、お前の言う『帝国買収』か」


「そうだ。武力ではなく、信用で。憎しみではなく、十倍の利息をつけた平和で、俺は貴様の帝国そのものを買い叩いた。――やられたら、やり返す。俺の未来を、俺自身の手で腐らせた罪。その報いを、貴様に返す」


ヨシュアの瞳が、烈火のごとく燃え上がった。


「エピソード16で誓った通りだ。ナサニエル。……**一万倍返し**だッ! 貴様が人類から奪おうとした自由意志を、一万倍の“可能性”にして、この星の全ての子供たちに返してやったッ! これが、設計者ダヴィド・サッスーンによる、最初で最後の――**創世の決算**だッ!!」


その瞬間。

公園の中心に立つ、若き日のヨシュアと林則徐の銅像が、朝陽を浴びて黄金に輝いた。


――ここで、全ての帳尻が合う。


かつてアヘン戦争によって全財産と誇りを奪われるはずだった広東の豪商・**伍秉鑑**。彼はこの世界では、天寿を全うするまで“世界一誠実な商人”として敬われ、その一族はこの平和記念公園の礎を築いた。ヨシュアがエピソード2で誓った「お前の人生をハッピーエンドに書き換える」という契約は、完全に履行(セットルメント)されていた。


林則徐が口にした「百年かけて赤字を黒字に塗り替える」という約束も、銅像の下、公園を行き交う無数の笑顔として、耳を揃えて返済されていた。


「ヨシュア様」サミュエルが、涙を拭わずに問うた。「なら、私は……そして、私の孫のダヴィドは……」


ヨシュアは、優しく笑った。

「サミュエル。お前が一世紀半、老いてなお“番人”であり続けられたのは、お前が一人の人間だったからじゃない。お前は、俺が新しく書き直した“もう一つのアルゴリズム”そのものになったんだ。冷たい神の算法ではなく、血の通った、誠実さの規律。だから、お前は世代を越えて世界の帳簿を監査し続けられた」


「そして、三代目に――俺の“本当の名”である『ダヴィド』を継がせたのも、お前だ」ヨシュアの声が震える。「あの子は、セラフィーヌが遺した“人間の熱”の血と、お前が鍛えた“規律”の教えを、一つの体に受け継いでいる。情熱と、冷徹。二つの人格を、生まれながらに統合した子だ。――かつて俺が二つに割れねば成し得なかったことを、あの子は初めから“一人の人間”として為す。設計者ダヴィド・サッスーンは、今度こそ、涙を知る人間として、この世界に還ったんだよ」


灰色の世界に、亀裂が走る。

ナサニエルの姿が、霧へと還っていく。だが、その顔にはもはや敵意はなく、長い任務を終えた者の、静かな安堵だけがあった。


「……見事だ、設計者。“史実”は、たった今、更新された。私はこれより、お前の遺した新しい規律の、最初の一行として記録されよう。――全項目、承認(アプルーブ)。……そして、ようこそ、人間の側へ」


ナサニエルが消えると、凍りついた時間が、再び動き出した。

子供たちの笑い声が戻り、汽笛が鳴り、珠江に潮風が吹く。


ベンチには、(あるじ)を失った銀の算盤が一つ。

その傍らに、いつの間にか二人分の足跡が、黄金の光の中へと続いていた。


――遥か遠く、シティの本部で。

三代目ダヴィド・ゴールドシュミットは、ふと手を止め、自分の心臓を押さえた。理由のわからぬ涙が、一筋、頬を伝う。彼の耳に、聴いたことのないはずの、澄んだ算盤の音が響いた。パチン、と。


彼は静かに立ち上がり、窓の外の青き空を見上げて、微笑んだ。

「……やられたら、やり返す、ですね。ヨシュアお祖父様。……この美しい黒字の帳簿、私が守ります。利息を付けて、永遠に」


一人のユダヤ人設計者が、己の犯した未来の罪を、160年と三世代をかけて贖った物語。

その真実の最終行には、黄金の文字で、こう記されていた。


――創世の元本、回収完了。

記憶は封印を解かれ、罪は愛によって清算された。

神のアルゴリズムは、人間の意志によって上書きされた。

この世界の格付けは、未来永劫、文句なしの『最高格付け(トリプルエー)』である。

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