鉄血の算盤 ― 欧州連合(コンソーシアム)の胎動
1870年。清国の北部領土をロシアの魔手から守り抜いたヨシュア・ゴールドシュミットの前に、大陸最強の「合理主義者」が立ちはだかった。プロイセンの「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクである。
「ヨシュア様、ビスマルクはフランスとの開戦を狙っています。スペイン王位継承問題を逆手に取り、電報の内容を改竄してまでナポレオン3世を挑発しました。目的はフランスからの賠償金によるドイツ統一の完成。これが成れば、欧州は再び『軍事的な独占体』へと先祖返りし、我々が築いた自由貿易の鎖は寸断されます」
サミュエルが持ってきたのは、ベルリンから届いた挑発的な「エムス電報」の写しだった。史実における普仏戦争。それは、何十万人もの若者の血と、欧州経済の停滞を引き換えにする、ビスマルクによる「血のM&A」であった。
「……鉄と血か。宰相は、国家を一つの軍事会社として経営するつもりか。だがサミュエル、戦勝による賠償金など、一度限りの『特別利益』に過ぎない。そんなもののために、数世代にわたる『経済的信用』をドブに捨てるなど、私の帳簿が許さんッ!!」
ヨシュアは即座にベルリンへと飛んだ。重厚な石造りの宰相官邸。そこには、軍服のボタンを喉元まで締め、鋭い眼光を放つビスマルクが待っていた。
「ゴールドシュミット殿。君の『平和な市場』には敬意を表するが、ドイツの統一は妥協なき鉄と血によってのみ成される。フランスを叩き、欧州の均衡を再構築する。これは、我が帝国の至上命題だ」
ビスマルクが、巨大な欧州地図を指し示しながら傲慢に笑った。だが、ヨシュアは無言のまま、一通の「普仏開戦シミュレーション・決算書」を突きつけた。
「鉄と血? ……笑わせないでいただきたい。宰相、あなたが今始めようとしているのは、再構築ではなく『集団自殺』だッ!!」
ヨシュアの声が、高い天井に響き渡る。
「な、何だと!? 我がプロイセン軍の精鋭を侮るか!」
「軍隊の質を言っているのではない! その軍隊を動かすための『金』の出所を言っているのだッ!! いいですか。あなたがフランスを倒し、五億フランの賠償金を得たとしても、その間に失われる労働力、寸断される鉄道網、そして暴落する欧州各国の公債……その損失は、賠償金の十倍を超えるッ!!」
ヨシュアは一歩、鉄血宰相の鼻先まで詰め寄り、冷徹な「倍返し」を宣言した。
「条件を提示に来た。……本日、私はパリの銀行団と合意した。プロイセンとフランス、双方が軍を引くことを条件に、わが銀行が主導して両国の国境地帯に『石炭・鉄鋼共同管理組合』を設立する。……領土を奪い合うのではない。地下資源という名の『含み益』を共有し、欧州全土に供給するのだッ!!」
「……断ればどうする。君は再び、我々の国債を紙屑にするのか?」
ビスマルクが低く唸る。ヨシュアは不敵な笑みを浮かべた。
「いいえ。断れば、プロイセンが戦争のために積み上げた全資金を、私はフランス経由で清国とアメリカの鉄道投資に全額振り替える。……ドイツは統一されるどころか、資本の流出によって、新世紀の繁栄から永久に『除名』されることになるだろうッ!!」
ビスマルクの顔から余裕が消え、頬の筋肉が痙攣した。武力では勝てても、資本の「逃避」には勝てない。一国の宰相を、一人の金貸しが「資本の包囲網」で屈服させた瞬間であった。
1870年代。史実で欧州を焼き尽くした普仏戦争は、ヨシュアが仕掛けた「資源共有」という名の経済同盟によって、開戦前に去勢された。プロイセンとフランスは、互いを敵ではなく「共同経営者」として認めざるを得なくなったのである。
「サミュエル、次の工程だ。……国境線に要塞を築く暇があるなら、ベルリンとパリを繋ぐ送電線を引かせろ。……鉄は血を流すためではなく、文明の骨組みを支えるためにあることを、この世界のすべての人間に理解させてやるッ!!」
ヨシュア・ゴールドシュミット。一人の金貸しの執念が、鉄の意志を持つ男をも懐柔し、欧州を一つの「利益共同体」へと変貌させていた。彼の帳簿には、戦争という名の赤字が消え、共栄という名の黒字が、かつてない強固な筆致で書き込まれていた。




