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泥濘の監査 ― 太平天国の火種

スエズ運河の第一鍬が入り、世界が「物流の革命」に沸き立つ中、東洋の龍・清国は、アヘンよりも恐ろしい「内側からの腐敗」に悲鳴を上げていた。


1850年代前半。広東でヨシュアが林則徐と結んだ「鉄路の盟約」は着実に進んでいたが、長江流域では、洪秀全率いる『太平天国』が猛威を振るい、清国の経済動脈を断ち切ろうとしていた。これに乗じたのは、一度はヨシュアに屈したはずの英国の強欲な商人たちである。彼らは「清国政府が機能していない」ことを口実に、再び武力によるアヘン解禁を画策し始めていた。


「ヨシュア様、香港のジャーディン・マセソン商会が、太平天国に密かに武器を売りつけています。……彼らの狙いは、内戦を泥沼化させ、清国政府を破産に追い込むこと。そうなれば、私たちが敷設した鉄道も、彼らが『借金のカタ』として強奪する算段です」


サミュエルが報告する。ロンドンのゴールドシュミット銀行本部の窓の外では、勝利を確信した投資家たちが、清国の「再植民地化」を前提とした空売りに走っていた。


「……内戦という名の『粉飾決算』か。死体の山を築いて、その血で帳簿を赤く塗りつぶそうとは。サミュエル、彼らは根本的な勘違いをしている。……この清国の市場は、既に大英帝国の所有物でも、洪秀全の私産でもない。……このヨシュア・ゴールドシュミットが、未来のために買い取った『公共財』だッ!!」


ヨシュアの瞳に、冷徹な殺意に近い光が宿る。彼はすぐさま、香港へと飛んだ。


香港の英国総督府。そこには、ジャーディン・マセソンの代表や、武力介入を煽る英海軍の将校たちが、祝杯を挙げんばかりの勢いで集まっていた。


「ゴールドシュミット! 貴様もようやく諦めたか。清国はもう終わりだ。太平天国の賊どもに国を割らせ、我々がその残骸を拾い集める。これが最も賢い『出口戦略イグジット』だと思わないか?」


かつてヨシュアに煮え湯を飲まされた商人たちが、下卑た笑みを浮かべる。だが、ヨシュアは無言のまま、テーブルの中央に一通の「最終通告書」を叩きつけた。


「出口戦略? ……笑わせないでいただきたい。あなたがたが今行っているのは、投資家に対する『背任行為』そのものだ」


ヨシュアの声が、喧騒を切り裂く。


「いいですか。太平天国に売ったその銃、その弾薬。その決済に使われた手形は、すべて私が欧州市場で『偽造品ジャンク』として凍結した。……あなたがたは賊軍に武器を渡し、代わりに一枚の価値もない紙屑を掴まされたのだッ!!」


「な……何だと!? 貴様、何という真似を……!」


「さらに! あなたがたがこの遠征のためにイングランド銀行から受けた融資。それも本日付で、私が全額買い取らせていただいた」


ヨシュアは一歩、商人の鼻先まで詰め寄った。


「今日この瞬間から、あなたがたの債権者は、大英帝国ではない。……この、ヨシュア・ゴールドシュミットだッ!!」


静まり返る室内。ヨシュアの眼光が、逃げ場のない怒りを宿して男たちを射抜く。


「やられたら、やり返す。……内戦を煽り、平和という名の利益を毀損しようとした罪。……その重さを、あなたがたの『全私産の没収』という名の強制執行で、骨の髄まで味わっていただくッ!!」


ヨシュアの咆哮が、総督府の重厚な壁を震わせた。商人たちは顔面を土色に変え、持っていたグラスを床に落とした。砕け散るガラスの音は、略奪による繁栄の終わりを告げる弔鐘であった。


ヨシュアはサミュエルと共に、広東へと向かう船に乗った。


「ヨシュア様。これで太平天国への武器供給は止まります。ですが、内乱そのものはまだ続いています」


「分かっている。次は清国政府だ。……無能な官僚どもに、『民を飢えさせることの損失』を、算盤そろばんの弾き方から教えてやらねばならん」


ヨシュア・ゴールドシュミット。一人の金貸しの執念が、再び東洋の地を覆う暗雲を、金融という名の剣で切り裂こうとしていた。

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