異邦の審判 ― 広東、潮風の決意
真珠湾を吹き抜ける熱を孕んだ風が、広東の外国人居留地に並ぶ商館の旗を激しくなびかせていた。
1830年代末、東洋の門戸たるこの地は、大英帝国の野心と清国の誇りが激突する、世界で最も危険な火薬庫と化していた。
ヨシュア・ゴールドシュミットは、泥濘にまみれた埠頭に降り立ち、目の前に広がる光景を冷徹な眼差しで見据えていた。 海岸線には、林則徐の命によって封鎖されたアヘン倉庫が連なり、その周囲を武装した清国の兵士たちが厳重に固めている。
ロンドンで彼が仕掛けた「金融の罠」によって、英国艦隊の増援は事実上凍結された。 だが、この現場に残る火種は、今にも爆発せんばかりの熱を帯びている。
「ヨシュア様、あれが林則徐の陣営です。……ですが、居留地の英国商人たちは依然として、本国からの軍事介入を信じて疑っていません」
サミュエルの報告を聞きながら、ヨシュアは正面に見える巨大な商館へと歩みを進めた。 アヘン密輸の総本山、ジャーディン・マセソン商会である。
入り口には、銃を手にした私兵たちが立ち塞がっていた。 だが、ヨシュアが懐から一通の封書を取り出し、その表紙を突きつけると、彼らの顔色は瞬時に土色へと変わった。
それは、英国政府が正式に発行した「アヘン貿易の恒久的放棄」と「全資産の強制査定」を命じる、裏切りようのない全権委任状であった。
「どけ。……この紙切れ一枚の重さが、お前たちの全人生の価値を上回っていることに、まだ気づかないのか」
ヨシュアの低い声が、熱帯の静寂を切り裂いた。 兵士たちが力なく道を空ける中、ヨシュアは大広間へと踏み込む。
そこには、絶望と怒りに震えるウィリアム・ジャーディンら密輸商人たちが、最後の悪あがきのように地図を囲んでいた。
「ゴールドシュミット! 貴様、どの面を下げてここへ来た! ロンドンで我々の喉笛を切り裂いただけでは飽き足らず、この広東まで引導を渡しに来たというのかッ!!」
ジャーディンの咆哮に対し、ヨシュアは表情一つ変えず、部屋の中央にある長机に重厚な革鞄を叩きつけた。
「ジャーディン氏。……あなたが数えているのは、もはや存在しない軍艦の数だ」
ヨシュアは鞄から、緻密に計算された帳簿の写しを取り出し、ジャーディンの目の前に突きつけた。
「これを見ろ。あなたがたが清国に流し込んだ毒によって失われた労働力、崩壊した通貨価値、そして人道的被害の総額だ」
「大英帝国は、これらすべてを正当な負債として認め、賠償に充てることを決定した。あなたがたがこの地で築き上げた不当な資産は、一ペニー残らず、清国の近代化インフラの整備資金として徴収させていただくッ!!」
「ふざけるなッ! 命懸けで築いた富を、そんな理屈で奪われてたまるかッ!!」
「命懸け? ……笑わせないでいただきたい」
ヨシュアは一歩、ジャーディンに詰め寄り、逃げ場のない怒りをその目に宿した。
「あなたが懸けていたのは、自分のものではなく、名もなき清国の民の命だ。他人の命を担保に博打を打ち、勝てば自分の懐に入れ、負ければ国家に尻拭いをさせる……」
一拍の間。ヨシュアの拳が机を激しく叩く。
「そんな汚れた商売、この私が金貸しとして、断じて継続を許すわけにはいかないッ!!」
室内の温度が凍りついたかのような静寂。
「やられたら、やり返す。あなたがたが毒で市場を焼き尽くそうとした代償は、この地での『無償の奉仕』という形で、骨の髄まで返していただくッ!!」
ジャーディンは言葉を失い、持っていた羽ペンを床に落とした。 その瞬間、広東の海に沈みゆく夕日は、血のような赤色で部屋を染め上げ、一つの時代の終焉を無慈悲に宣告していた。
ヨシュアは、もはや抜け殻となった男を放置し、窓の外を見つめた。
アヘン戦争という悲劇を回避した。 それは、アジアの植民地化を免れ、後の世界大戦や冷戦、中東の悲劇さえも未然に防ぐ、巨大な平和の連鎖の第一歩であった。
「サミュエル。……明日の朝、林則徐に会う」
ヨシュア・ゴールドシュミットの瞳には、かつてないほど確固たる意志が宿っていた。
「決算は終わった。……これからは、この広大な大地を、血ではなく鉄の路で結ぶための、新たな投資の始まりだ」




