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黄金の楔 ― 跪く帝国の残党

ロンドン証券取引所の喧騒が、遠く潮の引くように静まり返っていく。正面入り口の重厚な大理石の階段を、ヨシュア・ゴールドシュミットは一歩ずつ、死神の如き正確な足取りで降りていた。その背後には、かつてシティを牛耳り、清国を毒で沈めようと画策した東インド会社の残党たちが、まるで見えない手枷を嵌められた罪人のように、項垂れて列をなしている。


「ヨシュア様、パーマストン卿の代理人より電信です。……閣僚会議は、先ほどあなたの提示した『平和的再建案』を全会一致で受諾。同時に、アヘン貿易に関与した全議員の資産凍結を承認いたしました」


傍らに控えるサミュエルの声は、勝利の悦びよりも、目の前の光景に対する畏怖に震えていた。ヨシュアは歩みを止めず、シルクハットの鍔に指をかけた。


「サミュエル、勘違いするな。これは勝利ではない。……ようやく『ゼロ』に戻っただけだ。略奪という名の不渡手形を、未来の世代に回すという厚顔無恥な振る舞いを、私が金貸しとして力尽くで差し止めた。……それだけのことだ」


ヨシュアが向かったのは、シティの中枢、イングランド銀行の裏手に位置する、古びた、しかし強固な守りを固めた一軒の石造りの建物であった。そこは、東インド会社が秘匿していた「特権的負債」の原本が眠る、帝国最大の暗部である。


重い鉄扉が開くと、そこにはチャールズ・パーキンス理事が、煤けたランプの光の下で、抜け殻のような姿で椅子に座っていた。かつて清国の主権を蹂躙し、銀の重さで世界を測った男の面影はどこにもない。


「……ゴールドシュミット。貴様は、この手で何を掴んだつもりだ。アヘンを捨て、清国と握り、平和な交易だと? ……笑わせるな。帝国が牙を抜かれれば、次に世界を支配するのは、さらなる強欲を孕んだ新たな略奪者だ。貴様の理想など、砂上の楼閣に過ぎん」


パーキンスの掠れた声に、ヨシュアは冷徹な一瞥を投げた。彼は懐から、自らが書き換えた「世界新秩序の貸借対照表」を取り出し、パーキンスの鼻先に叩きつけた。


「パーキンス理事。あなたが計算していたのは『奪う側』と『奪われる側』のゼロサム・ゲームだ。だが、私はその数式そのものを廃棄した。……見ていただきたい。この項目を。……清国に鉄道を敷き、蒸気機関を輸出し、彼らの市場を自立させる。それは一時的な銀の流出を生むが、三十年後の利回りは、アヘンによる収奪の数百倍に達する。……金貸しが最も忌むべきは、元本を食いつぶすことだ。あなたは、清国という『地球最大の元本』を腐らせようとした。……その罪は、万死に値するッ!!」


ヨシュアの咆哮が、地下の静寂を切り裂いた。ドラマ『半沢直樹』の倍返しを彷彿とさせる、剥き出しの意志がパーキンスを射抜く。


「……やられたら、やり返す。……あなたが世界から奪おうとした平和の価値を、今度はあなたが、生涯をかけて『労働』で返してもらう。……東インド会社の解体資産は、すべてこの平和基金へと充当される。……一ペニーの隠し財産も、この私が逃しはしない!」


ヨシュアはパーキンスに背を向け、出口へと向かった。その脳裏には、書き換えられた未来の光景が、驚くほどの解像度で浮かび上がっていた。


アヘン戦争が起きない。それは、清国が列強の草刈り場とならず、極東の均衡が保たれることを意味する。イギリスが清国での利権争いに固執しなければ、インドでの過酷な収奪も緩和され、さらに後の世に火種を撒くことになる中東での「三枚舌」を振るう動機も消失する。略奪に基づかない経済圏の構築。それは、数十年後に予測される帝国主義の衝突を、根底から無効化する試みであった。


「ヨシュア様。……次は、どちらへ?」


サミュエルの問いに、ヨシュアはテムズ川の向こう、霧の晴れ始めた東の空を見据えた。


「広東だ。……林則徐に伝えねばならん。……『毒の時代』は終わった。……これからは、蒸気と、知性と、そして『信用』が世界を結ぶ時代だとな」


ヨシュア・ゴールドシュミット。一人のユダヤ人金貸しが、強欲の化身たる帝国に突きつけた「破産宣告」は、歴史という名の巨大な帳簿を、永遠に平和の黒字へと書き換えた。だが、彼の瞳にはまだ、妥協を許さぬ「取り立て屋」の鋭い光が宿っていた。

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