第7話
唇が触れ合っていた時間は一瞬だったのか結構な時間だったのか……。
そんな事も分からないくらい私はパニクっていた。
人生初めてのキスなのだから当然だろう。
「和紗ちゃんが俺を好きだってのは……気付いてたんだ。近藤とかも言ってたし」
私の気持ちは他人から見れば一目瞭然だったようだ。
気付かれていないと思っていたのは私だけなのだろう。
そう思うと恥ずかしさがこみ上げてくる。
確かに、私の気持ちは香月さんに向いていて。
今されたキスだって、凄く嬉しかった。
だけど、心の中で何かがモヤモヤしていて。
心の底から嬉しいと喜べない私がいるのもまた確かで。
どういう反応をしていいのか悩んでいる私がいる。
「和紗ちゃんの大事なお姉から伝言」
「え?」
「今回だけは負けてあげる。和紗のくせにイイ男掴まえちゃって……見てなさいよ、いつかもっとイイ男掴まえてやるんだから、だそうで」
自分を振った相手にこんな伝言を頼めるお姉が凄い。
さすが、と言うべきなのだろうか?
私には到底真似できない。
でも、その伝言を聞いた途端に心の中にあったモヤモヤが消えていくのが分かった。
私の心のモヤモヤはお姉に対するものだったのだ。
大喧嘩しても、悪態を吐いてもやっぱりお姉はお姉で。
嫌いだけれど大嫌いになどなれなくて。
でも、大好きなわけじゃなくて。
好きとか嫌いとかのカテゴリーのどこにも属さないけれど大事で。
私が存在する以上、なくてはならない存在。
……それがお姉なのだ。
「昨日、お姉と喧嘩したんです。いつも私が言い返さないから喧嘩になんてならなかったんですけど……和紗のくせに、って言われるの凄く嫌で……特に、香月さんに関して言われるのが凄く嫌で……大きな声で言い争ってたらお母さんに引っ叩かれちゃいました」
「え? 和紗ちゃんが?」
「お姉もです。お姉は両親に引っ叩かれた記憶がなかったみたいで動揺してました。ううん、多分……それ以上にショックだったんじゃないかな……って」
そうやって言葉にすると、罪悪感みたいなものが湧いてくる。
お姉に謝らなきゃという気持ちになってくる。
やっぱり酷い事を言ったと思うから。
いくら自分が言われても、酷い言葉を返していいはずがないから。
「大丈夫、上原さんって神経図太いし厚かましいし、あれで繊細だなんてありえないから」
「香月さん、あんなんでも私の姉なんですけど?」
「あ、そっか。ごめん。でも、本当に大丈夫だと思うよ? 彼女は心が強い人だから」
私が知らないお姉をきっと香月さんは知ってるのだと思う。
少し申し訳なさそうな顔で俯き加減に笑った香月さんの表情がそう思わせた。
「上原さんって社内でも社外でもモテるし、きっとすぐにイイ人が見つかると思う」
香月さんの言葉がお姉に想いを寄せる人の存在が本当にあるのだと教えてくれる。
お姉がその人に甘えられるようになればいいのにと思う。
「まぁ……今日は上原家でかなりからかわれる覚悟をして帰った方がいいかもしれないけど」
「は?」
「あの上原さんがそう簡単に納得して引き下がるような人じゃないのは妹の和紗ちゃんがよぉく知ってるでしょ?」
……返す言葉が見つからない。
香月さんの言葉で家に向かう足が急に重くなる。
「ま、それはそれで諦めてもらって帰りますかね。送るよ」
「香月さんはいいですよね、他人だから。でも私は……」
家族なんです。
お姉と。
「俺の場合、家族じゃないけど上司なんデス。明日から気まずいって、本当」
違う意味で怖いんデス、と香月さんは苦笑した。
街灯によって作られた長い影を見つめて、私も小さく笑う。
家に帰ればからかわれるだろう。
お姉はある事ない事適当に両親に話していると思う。
いつものように。
だけど、きっと大丈夫。
昨日みたいな喧嘩にはならない。
そんな気がする。
「俺は……頑張ってる姿とか、素直なところとか、ちゃんと自分の非を認められるところとか……人間としても、勿論女性としても和紗ちゃんが好きだよ。変な出逢いではあったけど、今はこんな名前だった事に感謝してる」
「私も……同じ事思いました。元々自分の名前嫌いじゃないけど、香月さんに出逢えたのはやっぱりこの紛らわしい名前のお蔭だろうし……そう思ったら今まで以上に好きになりました」
視線がぶつかると、香月さんは優しく微笑んで。
私は恥ずかしくて顔を背けたけれど。
隣を歩く香月さんの手が私の手にぶつかって。
掬うように手を握られて。
心拍数は急上昇。
香月さんは暗がりでも分かるほどの眩しい笑みで私を見下ろして。
少しだけ屈んで。
人生2度目のキスをくれた。
― Fin ―
第7話までお付き合い頂きありがとうございました。
久々の投稿に緊張しておりましたが、お付き合いくださる方々のお蔭で書き上げる事ができました。
たくさんの「ありがとう」を皆様に。
サイトのほうも更新できるように頑張ります。
Grazie!