第19話 海が牙を剥く
朝の光は、やわらかく、少しだけ暖かかった。
タカシは寝床から身体を起こし、肩に掛けた熊毛外套を整える。
外では、すでに何人かの村民が動いていた。
石を運ぶ者。
海へ向かう者。
木を削る者。
この場所は、もう仮の拠点じゃない。
確実に、“街”になり始めている。
「……いいな、この感じ」
ぽつりと呟いた時。
『起きた?』
白狐――シロが、ぺたぺたと近づいてきた。
「ああ。お前、早いな」
『お前が遅い』
「うるせえ」
軽く言い合いながら外へ出ると、ユナが両手いっぱいの籠を抱えて戻ってきた。
「タカシ! 見て!」
中にはぎっしりと貝。
「また取ってきたのか」
「うん! あれ、すごくおいしい!」
目が輝いている。完全にハマった顔だ。
「……だろうな」
タカシは苦笑しつつ籠を受け取る。
「よし、今日はちゃんと料理するぞ」
「料理?」
「焼くだけじゃもったいない」
そう言って周囲を見渡し、ぽつりと呟く。
「……やっぱり、網とかフライパンが欲しいな」
『また変なこと言ってる』
シロが呆れる。
「直火だと焦げるだけなんだよ。均等に火を通したい」
『あみ?』
「まあ、見てろ」
タカシはすぐに動いた。
細い枝を集め、蔦で編む。
ぎこちないが、形にはなる。
「……よし」
即席の網。
「すごい……」
ユナが息を呑む。
『また変なの作った』
「これは革命だぞ」
焚き火の上に置き、貝を並べる。
じわじわと熱が通る。
やがて――
パカッ。
殻が開いた。
「おお……!」
村民たちも集まってくる。
「食ってみろ」
ユナが一口。
「……っ!」
目を見開いた。
「昨日より……おいしい!」
「だろ?」
タカシは少しだけ胸を張る。
歓声が上がる。
たったこれだけ。
だが確実に違う。
残念なのは蔓が焦げて、使い捨ての網だという事だ。
しかし生き延びるための食事から、“楽しむ食事”へ。
世界が一段、豊かになった。
食事の後。
タカシは砂浜へ向かった。
昨日仕掛けた“藻塩”を見るためだ。
棒に干した海藻。
乾き始めている。
木の器で海水をかける。
ちゃぷ、ちゃぷ。
『何してるの?』
ユキが隣で首を傾げた。
「塩を作ってる」
『塩?』
「しょっぱいやつ。食べ物が美味くなる」
『へぇ』
まだ実感はなさそうだ。
だがこれは重要だ。
保存も効くようになる。
「これができたら、もっと楽になるぞ」
そう言った、その時。
――ピリッ。
空気が変わった。
ユキの耳が、ぴんと立つ。
『……来る』
「何が?」
『分からない。でも、嫌な感じ』
シロも毛を逆立てた。
『これ……昨日の石と同じ匂い』
「……冬の病か」
タカシはゆっくり立ち上がる。
海を見る。
波は穏やか。
だが、その奥――
何かが、動いた。
「……なんだ、あれ」
目を凝らす。
水面が、不自然に揺れる。
ぬるり、と影が浮かび上がる。
魚じゃない。
人でもない。
長い。
異様に、長い。
そして。
ぎらり、と赤い光。
「……またかよ」
思わず呟く。
冬の病は、陸だけじゃない。
海にもいる。
しかも――
デカい。
『タカシ』
ユキの声が低くなる。
『あれ、来る』
その瞬間。
水面が盛り上がった。
――ドバァァァッ!!
巨大な何かが、海から飛び出した。
長い胴体。
鱗。
赤い目。
蛇のような、怪物。
「……海蛇かよ」
それは一直線に、村へ向かってくる。
タカシは、熊爪槍を握った。
周囲では村民たちがざわめき、後ずさる。
だが。
タカシの足は、止まらない。
「……休ませてくれねえな」
苦笑する。
けれど、その目は戦っている。
逃げるためじゃない。
守るための目だ。
「いいぜ」
槍を構える。
「海でも、やってやる」
背後で、狼たちが低く唸る。
シロが木に飛び乗る。
ユキが前に出る。
仲間がいる。
今の自分は、一人じゃない。
海が牙を剥いたなら。
――折ってやるだけだ。
タカシは一歩、前へ出た。
迫り来る海の怪物を、真正面から迎え撃つために。




