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逃走中に拾った男が、どう見ても一般人じゃない  作者: 綾見 恋太郎


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第十一話 引き渡し地点の内側

 旧第七埠頭第三倉庫裏、という指定は、地図で見るよりずっと嫌な場所だった。

 夜の海沿いは、遠くから見ると輪郭が単純になる。街の明かりが途切れ、倉庫の影が並び、道路は必要最小限の灯りだけを残して黒く伸びる。だが実際に車を入れると、その単純さが嘘だとすぐに分かる。積み上げられた資材、使用停止のバリケード、無意味に見えるフェンスの折れ、監視カメラの死角になりそうでならない角度。歩ける場所と歩かせたい場所が微妙にずれている。利用者より管理者のために作られた空間だった。

 真壁彰は、指定地点から少し離れた暗がりでエンジンを切った車の中にいた。助手席には誰もいない。二階堂と九条は、すでに別の車で正面側へ向かっている。真壁はそこへ出られない。そういう取り決めだ。わかっている。わかっていても、胸の奥にずっと鈍い圧があった。

 正面から入れない。

 それがこれほど神経に障るとは、半日前の自分は思っていなかった。前を切る役を奪われたわけではない。むしろ今は、前に出るタイミングを外から測る役が必要だと頭では理解している。理解と納得は別だった。

 倉庫街のさらに奥、埠頭沿いの区画に、目的の建物があった。

 古い保養施設か研修棟を転用したような二階建て。外壁はクリーム色だったはずが、潮風と年数で灰色にくすんでいる。正面の自動ドアはとうに交換され、無愛想な引き戸になっていた。広すぎる車寄せ。窓は多いが、光は少ない。照明は必要なところにだけ落ちていて、逆にその選び方がいやらしい。玄関前は明るいのに、二メートル脇に入るとすぐに暗い。訪れる側には道筋を与え、迷う余地を消す設計だ。

 真壁にはまず、逃げ道が見えた。

 建物右手に非常階段。裏手に配送口が一つ。左奥に機械室らしい張り出し。遮蔽物は少ない。車両の進入は正面と裏の二経路。だが、人間一人ならフェンス沿いに抜ける余地はある。逆に言えば、それを知られた上で許されている死角でもある。死角は安心材料ではない。管理している側が、そこまで含めて盤面にしている可能性の方が高い。

 真壁は車外に出た。潮気を含んだ風が頬に当たる。すぐには動かず、周囲をもう一度見た。クレーンの影。積まれたパレット。遠くの照明柱。誰かに見られている気配は、もはや具体的な一点ではなく、空間全体の質としてそこにあった。

 同じ頃、二階堂壮也は九条雅紀を連れて建物の正面に立っていた。

 車寄せの灯りは白く、病院の待合のように清潔な色をしている。だが床のタイルは微妙にずれていたし、壁の角には古い打痕が残っていた。清潔さの残骸。かつてここが人を迎え入れるための場所として設計され、その後、迎え入れる対象だけを変えたのだと分かる種類の古さだった。

 自動ドアではない引き戸の前に、男が一人立っていた。スーツではなく、濃い色の作業着に近い服装。警備員のようにも、施設管理者のようにも見える。だが本物の警備員ほど身体を張るつもりはない顔だった。見る役だ。止める役ではない。

「二人か」

 男が言った。

 二階堂は立ち止まらなかった。歩幅を少しも変えず、九条より半歩前に出る位置を保つ。

「仲介役一名まで、という指定だったはずです」

「確認対象は先生だけだ」

「承知してます。私はそこまで通すだけです」

 男の目が九条へ向く。その視線は、人を見るというより型を照合する種類のものだった。九条は正面から受けなかった。少し角度を外し、しかし逸らしきらない。それだけで、必要以上に従順には見えなくなる。

 二階堂は低く言った。

「歩けるな」

「歩ける」

「止まるな」

「わかってる」

「答えすぎるな」

「それも」

 短い。事務的だった。付き添いではなく、切り離しの最終確認役としての声だ。二階堂自身、そこに冷たさが乗っているのを分かっていた。分かっていて、その温度に寄せるしかない。

 引き戸の先は、広いロビーだった。

 もとは企業研修施設か保養所だったのだろう。受付カウンターの高さが中途半端に低く、壁には掲示物を外した跡がいくつも残っている。床は磨かれているが、継ぎ目の古さは消えていない。観葉植物が置かれていたであろう空白が、いまは何もない四角として隅に残っている。消毒液の匂いと、古い空調の乾いた匂いが混じっていた。

 九条は一歩入った瞬間に、その場所の種類を理解した。

 ただの取引場所ではない。

 こういう場所は、外から見るとただの箱だ。廃れた研修棟、使われなくなった保養施設、用途不明の管理棟。だが内側に入ると分かる。ここは人を滞在させるためではなく、人を分けるための箱だ。どこで待たせ、どこで止め、誰をどこまで通すか。その線が目に見えないまま、空調や照明や廊下幅に埋め込まれている。

 九条は小さく息を吸った。

「どうした」

 二階堂が前を見たまま訊く。

「……昔と同じではない」

「何が」

「作り方。模倣はしている。でも運用が違う」

 二階堂はそれ以上は聞かなかった。聞けば芝居の温度がずれる。代わりにロビーの奥に立つ二人の職員らしい男たちの位置を見た。立ち方に現場の癖がない。視線だけが動く。見張りであり、誘導係でもある。

 受付の内側から女が一人出てきた。四十代半ばくらい。表情に無駄がなく、白衣ではないが医療事務にも見える。だが声を出す前から、二階堂には分かった。この女は単なる受付ではない。質問の選び方を知っている顔だ。

「付き添いの方は、ここまでです」

 女が言う。

 二階堂は一拍だけ遅らせてから答えた。

「最終確認までは同席と聞いています」

「確認の内容によります」

「それを決めるのは、あなたですか」

「ここでは私です」

 硬い会話だった。二階堂は相手の言い方の癖を測る。断定するところと、逃がすところ。自分がどこまで裁量を持っている人間か、こういう相手は無意識に語尾で漏らす。

「では、確認の冒頭だけ」

 二階堂は言う。

「それで不都合があるなら、その時点で下がります」

 女は二階堂を見たまま、数秒黙った。考えているというより、迷わせている時間だった。相手に小さな貸しを作る沈黙だ。二階堂は待った。こういう沈黙に焦れた方が負ける。

「三分だけ」

 女が言った。

「それ以上は認めません」

 二階堂は頷いた。九条にだけ聞こえるような声で言う。

「合わせるな」

「……」

「でも止まるな」

 九条は返事をしなかった。ただ目だけで聞いたことを示す。

 ロビーの奥へ進む。廊下はまっすぐではなく、途中で一度だけ角度を変えていた。見通しを切るための折れ方だと九条には分かる。病院や研究施設でも似た構造はある。だが本来は患者の動線や機材搬入の都合で作られるはずの曲がりが、ここでは選別のために使われている。

 同じころ、真壁は建物の外周を左手から回っていた。

 正面からは入れない。だからと言って、すぐに裏へ飛び込むわけにもいかない。二階堂と九条がまだ内側で盤面を保っている。ここで余計な気配を出せば、全部が崩れる。そう分かっているから余計に苛立つ。前に出るなと言われていない。だが、まだ出るなと言われているのと同じだった。

 フェンス沿いを歩きながら、真壁は建物の間取りを頭の中で組み直していく。正面ロビー、中央廊下、右手の非常階段、裏の搬入口。監視カメラは四つ見えたが、見えているだけなら信用しない方がいい。死角はある。ただ、その死角は侵入のための穴である前に、侵入者を泳がせるための槽でもある。

 右奥に古い発電設備らしい小屋があった。そこから本棟の側面まで、配管が渡っている。配管の陰は人一人がしゃがめる程度。非常階段の下にも一瞬だけ視線が切れるポイントがある。退路は、裏手の駐車場から海沿いの舗装路へ抜ける線と、フェンスの一部が歪んだまま補修されていない線の二つ。力尽くのラインを測るなら、最悪は裏手からだと真壁は判断した。

 突入しない。

 そう決めてここへ来ている。だが、突入できるかどうかを測ることは別だ。その距離感の置き方が、以前より少しだけ変わっていることに真壁は気づいていた。九条も二階堂も、自分が守って運ぶだけの対象ではない。同じ盤面で、それぞれ別の役を取っている。だからこそ、今は待つ。待つことが一番腹立たしいのに、それをやるしかない。

 裏手の搬入口近くで、真壁の端末が短く震えた。二階堂からの定型の無音信号だった。文字はない。まだ進行中。異常なし。そういう意味で決めてある。

 真壁は端末をしまい、建物の角に体を寄せた。海側からの風向きが変わった。わずかに薬品の匂いが混じる。清掃か、消毒か。どちらにしても、この建物が表向きに見せたい用途の名残だった。

 廊下の先には、小さな面談室のような部屋があった。

 大きな机はなく、代わりに低いテーブルと、背もたれの硬い椅子が三脚。壁際には鍵付きの書棚。窓はあるが、ブラインドが下ろされ、外の景色は見えない。明るすぎない照明。人を落ち着かせるためではなく、反応を見やすくするための明るさだ。

 二階堂と九条が通されると、女は部屋の入口で立ち止まった。

「ここから先は確認です」

「見れば分かることでは」

 二階堂が言う。

「見れば分かる人は、いまここにはいません」

「じゃあ、聞いて分かる人がいる」

「そうです」

 女はそう言って、室内のもう一つの扉を見た。そこから男が入ってくる。五十には届いていない。九条よりひと回りほど上か、少し下か。老人ではない。だが若くもない。現場を知り、仕組みも知り、その両方を管理する側へ移った年齢だ。

 男は白衣を着ていない。灰色のジャケットに細いネクタイ。研究職にも管理者にも見える、あえて輪郭を曖昧にした服装だった。部屋に入った瞬間、視線だけで九条を測る。その目つきに、九条はほんのわずかに反応した。

「久しぶりです、先生」

 男が言った。

 九条は答えなかった。二階堂が代わりに言う。

「確認事項を」

「お急ぎですか」

「急いではいません。ただ、趣味の挨拶に付き合う立場でもないので」

 男の口元がわずかに動いた。笑いではない。値踏みした結果、二階堂を邪魔ではなく部品と認識した時の顔だった。

「では確認だけ」

 男は九条の正面ではなく、斜めに座った。真っ向から向かい合わない角度だ。対決ではなく、検査に見せるための位置取り。九条はその角度に既視感を覚えた。相手に圧をかけず、しかし視線の逃げ先を塞ぐやり方だ。

「先生は、最初に何を教えた」

 唐突な問いだった。本人確認には見えない。だが九条はすぐにわかった。過去を知る者だけが使う入口だ。

「残す線の引き方だ」

 九条は短く答えた。

「人ではなく?」

「最初は線だ。人はそのあとだ」

 男が頷く。

「残すものは何だ」

「次に繋がるもの」

「切る順番を誤るのはどんな時だ」

「目先の静けさを優先した時」

 男はそれ以上書き留めもしなかった。記録のための質問ではない。反応の速さ、言葉の置き方、その一語に乗る呼吸の乱れを見ているのだ。

 二階堂は黙っていた。口を挟めば、ここまで積み上げた九条の輪郭を曇らせる。必要な分だけ誘導し、本当に壊れないぎりぎりで通す。それが今の役目だった。

「昔と同じではない、と先生は思ったようですね」

 男が言った。九条は目だけを上げた。廊下で漏らした一言が、すでに拾われている。聞かれていたのか、監視されていたのか。そのどちらでもおかしくない。

「模倣している」

 九条は言う。

「でも運用は変わった」

「どこが」

「分け方が浅い」

「浅い?」

「外から見える選別が増えた。前はもっと、選別の跡を隠した」

 男はそこで初めて、少しだけ目を細めた。自尊心に触れたのかもしれない。あるいは、正確すぎる指摘に一瞬だけ本音が出たのか。

「合理化したんですよ」

「雑になっただけだ」

「先生らしい」

 二階堂はそのやり取りの端で、女の指先が一度だけ動いたのを見た。机の下で、何かの通知を送ったかもしれない。あるいは、ただの癖か。どちらにしても、この部屋の質問は外にも流れている。

 男は少し姿勢を変えた。

「では、これはどうです。あの夜、誰を残した」

 九条の呼吸が止まった。

 一瞬だった。だが部屋の全員に分かる一瞬だった。二階堂は横目で九条を見た。さっきまでの反応速度が、そこで初めて落ちた。

 九条は答えない。

 答えられないのではない。答えれば別の何かが動くと分かっている沈黙だった。

 男はその沈黙を見て、ゆっくり頷いた。

「それで十分です」

 二階堂はそこで初めて口を挟んだ。

「本人確認としては、ずいぶん趣味が悪い」

「本人確認ではありません」

「では何だ」

「残っているかどうかの確認です」

 男の言葉は静かだった。残っているか。知識か、癖か、それとも罪悪感か。わざと曖昧にしている。

 九条は視線をテーブルの上に落としていた。崩れてはいない。だが平坦でもなかった。二階堂はその僅かな乱れを見て、ここがぎりぎりだと判断する。これ以上この部屋に置くと、相手はもっと深いところをつつきに来る。

「確認は終わりですね」

 二階堂が言う。

「次に進めますか」

「先生は進めると思いますか」

 男がわざと九条ではなく二階堂に聞いた。

 二階堂は一拍だけ置いて答えた。

「ここまで来た以上、歩くでしょう」

「自分で?」

「そこに意味があるように見せたいなら、そういう形になります」

 男の目に、かすかな興味が灯る。二階堂はそれを見逃さなかった。自分の返しが、相手の欲しい物語に噛んだのだ。危ういが、必要な一致だった。

 外周では、真壁もまた異変に気づいていた。

 裏手の搬入口近くに停められていた車両が一台、予定にない時間で入れ替わった。正面側の監視線も、さっきから微妙に動き方が違う。数が増えたのではない。見る方向がずれた。正面だけではなく、側面と裏手にも意識が割かれている。誰か別の存在が、向こうの予定を乱している時の動きだった。

 真壁は建物の角から、暗い窓を見た。中の様子は見えない。だが空気の張り方は変わる。現場はそういうものだ。わずかなノイズが入ると、人の立ち位置と視線に無駄が出る。

 端末がまた震えた。

 今度は二階堂ではない。短い画像データが一つだけ届く。差出人不明。開くと、敷地北側のフェンス沿いを歩く男の後ろ姿が映っていた。解像度は荒いが、真壁には分かった。堀島だ。

「来やがったか」

 呟く。予感ではなく確定になった瞬間だった。

 堀島は本隊の論理では動かない。だから読みにくい。だが同時に、本隊の管理の外から盤面を乱す。乱れは穴になることがある。真壁は画像の角度から撮影位置を逆算し、北側フェンスのさらに外、管理道路の影に別の視線があると読む。誰が撮ったのかは分からない。味方とも限らない。だが、いま使える情報なら使うしかない。

 真壁は配管の陰にしゃがみ、北側のルートを頭の中で引き直した。堀島が来るなら、本隊はそちらへ一部の視線を割く。裏搬入口の監視も薄くなるかもしれない。逆に、九条に近い導線は締まる。穴ができるのは別の場所だ。

 廊下の面談室では、二階堂もほぼ同じ結論に達していた。

 女の耳元の無線が小さく鳴り、彼女がほんの一瞬だけ目を伏せる。その反応があまりに短いため、普通なら見落とす。だが二階堂は見た。さらに廊下の向こうで、さっきまで壁際にいた見張りの位置が一人分ずれた。自然ではない。予定外の何かが敷地内に近づく時の動きだ。

 九条も気づいていた。

 建物全体の呼吸が変わる。人を分ける施設では、予定外のノイズが入ると空調のように流れが乱れる。見張りの目線、無線の頻度、案内の間。そういう小さな波が同時に立つ。

「堀島だな」

 九条が小さく言った。

 二階堂は横目だけ寄越す。

「たぶん」

「止めに来たんじゃない」

「壊しに来た」

「そういう人だ」

 面談室の男は、その短いやり取りを聞き流すふりをしていたが、完全には流していなかった。二階堂は相手の視線が一瞬だけ泳いだのを見て、ここにも堀島の動きは予定外なのだと理解する。

 使える。

 そう思うと同時に、危険でもあると分かった。堀島が入れば本隊の線はずれる。ずれるが、九条に届く距離も短くなる。穴と刃が同時に近づく。

 二階堂はジャケットの内ポケットに手を入れるふりをして、端末に短い信号を打った。定型ではない。二つの無音振動を連続。意味は一つ。北側に動き。線がずれる。裏を読む。

 送信に一秒もかからない。だがその一秒を自然に見せるために、二階堂は同時に言葉を置いた。

「確認が終わったなら、次へ進めてください。こちらも長居は望んでいない」

 男は頷いた。

「本棟へ移します」

 本棟。

 その言い方に、九条の背筋がわずかに強張った。いまいるのは受け皿だ。ここで終わりではない。さらに内側がある。そこが本当の選別の場所なのだと、言葉一つで示された。

「付き添いは」

 二階堂が訊く。

「一名まで」

 男は答える。

「ただし、ここから先は先生の歩き方次第です」

 九条はその言葉を聞いても、何も返さなかった。ただ立ち上がる。立ち上がる動作に無駄がない。従順に見えるほど滑らかでもなく、反抗的に見えるほど遅くもない。自分で歩く人間の速度だった。

 二階堂も立つ。ここから先、どこまで同行を許されるかはまだ分からない。だが少なくとも、本棟へ通じる直前までは切られていない。そこに意味がある。自分が残っている限り、盤面はまだ死んでいない。

 真壁の端末が無音で二度震えた。

 北側に動き。線がずれる。裏を読む。

 二階堂の合図だった。真壁は即座に視線を上げる。北側フェンスの向こう、管理道路の暗がりに車のライトが一瞬だけ滲んだ。近づいて、すぐ消える。堀島の線だと直感する。なら穴は裏へ開く。

 真壁は配管の陰から身を起こした。非常階段下の死角。そこを抜ければ、搬入口脇のサービス通路へ届く。まだ入らない。だが入れる位置まで詰める。タイミングを待つ。待つことが、もう苦痛ではなくなりつつある自分に、真壁は少しだけ驚いた。苛立ちは消えない。だがそれを動力に変える場所が分かってきた。

 面談室を出た九条は、廊下の先を見た。

 本棟へ続く連絡通路は、妙に明るかった。新しく補修された床材だけが不自然に白い。古い施設の内部に、そこだけ別の時代の清潔さが差し込んでいる。模倣と更新。昔の仕組みを引き継ぎながら、別の目的で運用し直した跡だった。

 通路の手前で、女が二階堂を止める。

「ここから先は、先生の確認が優先です」

「付き添い一名まで、のはずです」

「その判断をするのは向こうです」

「向こう、ね」

 二階堂はそれ以上押さなかった。押せばここで切られる。切られれば、その先は完全に九条一人になる。まだ早い。

 男が九条に向かって言う。

「先生、こちらです」

 九条は一歩だけ進んだ。

 その瞬間、建物のどこかで無線の音が重なった。表には出ないほど小さいざわめきが廊下の空気を揺らす。予定外の接近者。堀島。外周の線のずれ。真壁が別ルートに入る気配。全部がまだ形になっていないのに、同時に近づいている。

 二階堂は通路の入口で立ち止まり、九条の背中を見た。背中だけで分かる。九条は、いまこの先にある場所の種類を知っている。知っていて歩く。その歩き方が、かえって二階堂には危うく見えた。

 九条は振り返らなかった。

 ただ、連絡通路の白い床を見て、小さく息を吐いた。その先は、昔自分が一度見て、二度と戻らないつもりでいた種類の場所に、よく似ていた。


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