EP 8
気高きプライド、スパイスに散る
(……死ぬ。私の高潔な人生が、この茶色い汚物によって終わるのだ……!)
アーサーは固く目を閉じ、口の中にねじ込まれた物体を、せめてもの抵抗として無機質に噛みしめた。
その瞬間。
サクッ……。
心地よい、あまりにも小気味よい音と共に、黄金色の衣が弾けた。
中から溢れ出したのは、暴力的なまでに熱く、甘美な豚肉の肉汁。
そして、それを追いかけるように、ドロリとした『茶色い液体』が舌の上を支配した。
「————ッ!!?」
アーサーの脳内に、白銀の雷光が走った。
(な、なんだ……これは……!? 辛い! 舌が焼けるように熱い! だが……なんだこの後から追いかけてくる、猛烈な『旨味』の嵐はッ!!)
高級コンソメのような澄んだ味ではない。
じっくりと炒め抜かれた玉ねぎの濃縮された甘み、ラードの重厚なコク、そして数十種類のスパイスが複雑に絡み合い、鼻腔を、喉を、そして脳髄を直接加熱していく。
(泥だと思っていたのは、これら全ての旨味を一つに溶かし込んだ、奇跡のソースだったというのか!? スパイスが……スパイスの刺激が、私の眠っていた本能を呼び覚ましていく……ッ!)
「はぐっ……モグ……ッ、はぁっ、ふぅっ!!」
気づけば、アーサーの『絶対服従』による強制力はすでに解けていた。
しかし、彼の右手は止まらない。
自らの意志でスプーンを握りしめ、山盛りの白飯と、カレールーをたっぷりと纏った極厚のカツを、猛然と口の中へ運び始めたのだ。
「美味い……! 辛い! だが美味い! 止まらん、スプーンが止まらんぞぉぉ!!」
「あはは! アーサーさん、お顔がカレーだらけですよ?」
リアナの笑い声さえ、今の彼には天上の福音に聞こえた。
潔癖症? 帝国の誇り?
そんなものは、この一皿から放たれる圧倒的な『熱量』の前では塵に等しい。
白銀の鎧にはカレーが飛び散り、彫刻のような顔立ちの口元は茶色のタレで汚れ、額からはスパイスの刺激による大量の汗が噴き出す。
「はふっ、はふっ……! この、お肉の衣に染み込んだソースの絶妙な塩梅……! そしてこの白飯、これほどまでに茶色い泥と合うのか!! 私は今まで、何を食べて生きてきたんだ……ッ!!」
「おうおう、いい食いっぷりじゃねぇか。白ピカ野郎が、今じゃ茶色い犬だな」
フェンリルが呆れ顔でビールを飲み、デュアダロスがニヤリと笑う。
アーサーはもはや、周りの視線など一切気にならなかった。
スプーンで皿の底をガリガリと擦り、最後の一粒、最後の一滴までを惜しむように胃袋へ流し込む。
かつて戦場で一騎当千の活躍を見せたエリート騎士は今、ただの『カツカレーに魂を売った男』と化していた。
「……ごふぅっ」
数分後。
洗ったかのように綺麗になった特大の皿を前に、アーサーは力なく椅子にもたれかかった。
口の周りを汚れ、髪は乱れ、白銀の軍服はシワだらけ。
しかし、その表情は、今までのどんな勲章を授与された時よりも、深く、満たされた充足感に包まれていた。
「……負けだ。私の……完敗だ。魔王……いや、お嬢様」
アーサーは、自身の口元を手の甲で拭うと(それさえも潔癖症の彼にはあり得ない行動だった)、リアナに向かって深く、深く首を垂れた。
「この白銀のアーサー……ドアを壊した非礼を、心よりお詫び申し上げる。そして、この『カツカレー』という名の至高の洗礼……生涯、忘れぬ」
プライドは、スパイスの香りと共に、ポポロ国の空へと消えていった。
そして、彼の財布から取り出されたのは、帝国の機密でも魔導具でもなく、ずっしりと重い『金貨の袋』であった。




