第11話
お久しぶりです!大変お待たせしましたが、なんとか投稿しました!
のんびりマイペースですが、今後ともよろしくお願いします。
ざわざわと街の喧騒が遠く聞こえている。
私の右手をゴツゴツとした大きな熱の塊が包む。
そう。私、今、ザックと手を……手を繋いでいるのよ!
ああでも、熱を発しているのはザックよりも私の方だわ。
右手が熱い。
熱が右手からうるさく鳴る鼓動と共に私の体を巡って、緊張と奇妙な浮遊感をもたらしている。
幸せなのに、胸が苦しい。
気づかれないようにこっそり右側を見上げると、大きな右肩の上に髭に覆われたザックの横顔。
髪こそ整えられているけれど、髭はほとんど出会った頃のままだから、彼の素顔は正直なところよくわからないわね。
でも、短めの髪から覗く赤くて大きな耳と、眉間に皺を寄せてまっすぐ前を見ている深い緑の瞳が、なんだか愛しい。
その瞳がふいに私を捕らえた。
「「あ……」」
思わず、眼をそらす。
嫌だわ。ずっと見ていたの、バレたかしら。
彼は今、どんな表情をしているの?視線を戻して確認なんて、できない。
「あ、えと、お、お、お嬢様?あそこ!あそこが、例の店ですぜ?!」
動揺を隠しきれていないザックの声。
やっぱり、見つめていたのがバレていたの!?
私の気持ちがわかってしまった?それで、動揺を?
め、迷惑よね……。そうよ。私みたいな偉そうで可愛くない女、ザックは興味ないものね。
好きな娘がいるわけだし。
気持ちが落ち込む。それでも、それを悟られるわけにはいかない。
なんとか誤魔化さなくちゃ。
雇い主でしかない娘が自分に気があるなんて、彼が働きづらくなる。それに何より、拒絶されたくない。
「わかったわ……。ところで、その……あなたの耳、大きいのね」
「へ!?」
「耳よ!あなたの耳が大きくて、思わず見入ってしまったわ」
「え、耳……?大きい、かなあ?初めて言われたぞ……」
「ええ、大きいわよ。カイルの耳よりずっと大きいから」
「いや、そりゃそうだろ……。比較対象がカイルリード坊っちゃんかよ」
「……そ、そうね。確かにそうね……」
私、何を言っているのかしらね。
顔から炎系の魔法が発射されそう。
火魔法に適正がなくてよかった。
私達の少し後方、車道を走る荷馬車が、すれ違う荷馬車と軽く接触したのだろう。
御者同士、大きな声で言い争いを始めた。
「お嬢様の耳は、小さくて綺麗だよな。……触ってみてえ」
「え?」
ザックが何か小さな声で呟いた。
まわりの音がうるさくて、よく聞き取れない。
「今、なんて?」
「あ、いや!な、なんでもねえし!!」
いやに動揺しているわ。なんなのかしら。
悪口かしら。
じとりとザックを見る。
ザックは、私から眼をそらした。
そうして、「あ」と小さく声を上げた。
「着いたな。ここだよ、お嬢様」
いつの間にか私達はイエローを基調とした可愛らしい外観のレストランの前に立っていた。
繁盛しているからだろう。店は増築されており、思った以上に人が入りそうだ。
入り口を見ると、既に何人か平民の娘達が店の前に並んでいる。
私達もその列の後ろにまわって、同じように並ぶ。
ザックは、居心地が悪そうだ。
いつもはすぐに軽口を叩く癖に、全然喋らないわ。
まあ、女の子ばかりのお店だものね。緊張しているのかもしれない。
私達、恋人同士に見えているかしら。想像すると、自然と頬が緩んでしまう。
手はまだ、繋がっているのだもの。
しばらく待っていると、私達も席に通された。
店員がメニューと水を持ってきて、私達のテーブルに置いた。
ザックと二人で頭を寄せてメニューを見る。
向かいの席に座ったザックが、ぐいと体を乗り出した。
「なあ、お嬢様、俺もケーキ食べなきゃダメか?」
顔が近いのよ!
パシンッ!
「何すんっ……ですか、お嬢様!」
いけない。思わず、頬を打ってしまったわ……。
どうしよう……どうすれば……。
「あ、あなたが私を『お嬢様』と呼ぶからよ!」
「へ?」
ザックがポカンとした顔でこちらを見ている。
私だって、生まれて初めて勢いでしゃべっているのよ。もう、めちゃくちゃよ!
こうなったら、私も平民に成りきって、好きなことを言ってやるわ!
「私とあなたは、平民のこい……ゴホンッ!恋人同士という設定なのだから、私のことは名前で呼ぶべきでしょう!」
「あ、なるほどな……!そいつは思いつかなかったぜ!」
「そ、そうよ!だから、あなたは私を……ェィ、『エイラ』と呼びなさいな!」
言った!!言ってしまったわ。
平民のザックに、名前の呼び捨てをおねだりしてしまった……。
貴族令嬢の私には、あってはならない事態よ。
ザックが恐る恐る私に聞く。
「……呼び捨て……って、いいのかよ……」
「いいわ。今だけ、特別に許します!」
「な、なら、……ェ、エイラ」
!!
……なにこれ。表情を保てない。
思わず、顔を逸らして頬に力を入れた。
ちらと視界の端に、口元をその大きな手で覆いながら、やはり顔を背けているザックが見えた気がした。
でも、顔なんて見れない。目を逸らしたまま、私は返答を返した。
「な、何かしら、ザック」
「あ……いや、呼んでみただけデス……」
「そ、そう」
「「…………」」
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「「!!!」」
急に店員に声をかけられて、心臓が跳び跳ねた。
ザックがガタリと机を揺らす。
ご注文、注文ね!
ええと、ここ、何のお店だったかしら……?
店員の黄色いエプロンで、ハッと思い出した。
あ、レモンケーキだわ。そうよ、レモンケーキを注文しなきゃ!
「……レモンケーキと紅茶のセットを。ザック、あなたはどうするの?ケーキはやめておく?」
「い、いや!レモンケーキ、十個くれ!!」
「「ええ!?」」
私と店員の娘の声が揃った。
「ザック?あなた、ケーキを食べたくないんじゃ……」
「いや、なんか、今ならケーキくらい十個はいけそうな気がするんだよ!あと、エール!エールをくれ!」
「あの、ここはお酒は置いてませんけど」
「そうよ、ザック。ここはケーキのお店よ」
「なんだと……。なら、水をたっぷり頼む!」
「わかりました。レモンケーキ十一個と、セットの紅茶、お水をたっぷりですね?水差しをお持ちします」
「ああ、ありがとう!」
レモンケーキ十一個なんて、このテーブルに乗るのかしら。
だけど、ザックのおかげで少し気持ちが落ち着いてきたわ。
少しして、ケーキと飲み物が運ばれてきた。
私の前には、レモンの形を模したレモンケーキ一つと紅茶。
ザックの前には、山盛りのレモンケーキと水差しと水のコップ。
まわりの視線が集まっているけど、それどころじゃない。
だって、楽しいの。ザックと二人、まるで平民の恋人のようにいっしょにケーキを頬張っている。
ケーキを喉に詰まらせ水で流し込んだザックを心配したり、ザックの冒険話に笑ったり。
この世にこんな幸せな時間があったのね。
時が、止まってしまえばいいのに。
でも、時間は残酷だ。
「あら、ザックさん!」
鈴の音のような可愛らしい声が聞こえた。
「リミルちゃん」
後ろを振り向いたザックが発した名前。ザックが好きだという、結婚を申し込みたいという、平民の娘の名前だ。
顔を上げて声の主を見ると、まるで甘いケーキのように可愛らしい娘が立っていた。
その愛らしい大きな瞳が私をとらえる。
彼女は、ことんと首を傾げた。
「ザックさんのお友達ですかぁ?はじめまして!私、ザックさんと結婚を前提にお付き合いしているリミルといいます。いつもザックさんがお世話になってますっ」
結婚を前提にお付き合い?
そう……。ザック、彼女に結婚を申し込んで、うまくいったのね……。そう…………。
私は、いつもの仮面を着けて声を絞り出す。
「……私は、エイラよ。それは良い話ね。おめでとう。ザックとなら、きっと幸せになれるわ」
「ありがとうございますぅ。ザックさんて、本当に優しいですものね!今度、お貴族様も行くレストランに連れていってくれるんですよぉ」
「そうなの」
聞きたくもないわ。その話。
「あ、ちょっと待って、リミルちゃん。結婚を前提にお付き合いってどういう……?!」
「やだあ、ザックさん!私に結婚の申し込みをしてくれたじゃないですかあ」
「え、いや、確かに申し込みはしたけど、あの時俺、ことわ」
「ザックさんがお貴族様に雇用されたおかげで、やっと私達結婚できるんですよ?どうかリミルを幸せにしてくださいねっ」
「結婚……。確かに俺はリミルちゃんと結婚したくて、雇われた……。なあリミルちゃん、俺は」
「レストランの約束、楽しみにしてますね、ザックさん!」
「あ、え?リミルちゃん」
リミルという娘は、向こうで待っていた友人と思われる娘達のグループにさっさと合流してしまった。
こちらを向かないザック。
どんな顔で彼女を見ているの?
私には見せない表情を、彼女には見せているの?
私を見て。彼女を見ないで。
私だけを、見ていて。
ドロリとした昏い想いが、私を侵食する。
そんな私に気づかず、ザックは私に向き直った。
「おじょ……エイラ、あの娘なんだけど、リミルちゃんといって……」
「わかっているわ。あなたが結婚を申し込むと言っていた娘でしょう?うまくいったようね。おめでとう」
「いや、違う。違うんだよ」
「何が違うというの?お付き合いしているんでしょう?彼女もあなたと結婚する気みたいだし、よかったじゃない」
つい刺々しい言い方になる。
私という女がザックとデートしているのを見て、あの娘、牽制しに態々声をかけに来たのだ。
なかなか強かな娘よ。
以前、惚気の中でザックがあの娘を「天使のような清らかで優しい娘」と言っていたけど、ザックはお馬鹿さんね。何もわかっていない。
彼女、とんだ食わせものだわ。
「お……、エイラ、俺、リミルちゃんと付き合ってないんだ、本当に!」
「へえ。でもあなた、彼女と結婚したいからうちに雇われたんじゃない。なに?付き合わずにさっさと結婚したいのかしら?」
言葉を発して開いた口に、レモンケーキの欠片を放り込む、
苦いわ。
さっきまで気にならなかったレモンの酸味と苦味が広がる。
あの甘さはどこへ行ったの?
苛立ちが募る。
私にあなたの心を縛る権利など、あるはずもないのに。
全てが苦々しい。
知らぬ間に他の誰かと幸せになろうとしているザックも、それを許せない私も、苦いレモンケーキも。
私は、席を立った。
「もう結構よ。ザック、あなたにお金を預けてあるわよね。払っておいて」
「待ってくれ、エイラ!」
ガタガタとザックが席を立った拍子に、レモンケーキの山が崩れた。
そのうちのいくつかは床に落ち、ぐしゃりと潰れた。
構わず店内を通り過ぎ、店の外に出る。
「お客様、金貨は多すぎます!待ってください、今お釣りを……」
「いらねえ!とっとけ!どうせ俺の金じゃねえ!」
「ええ!?そりゃどういう意味で……犯罪!?」
会計するザックの声を背中で受け止め、私は一人で通りを歩き出した。
カツカツと石畳に靴のかかとを打ちつけながら、スルスルと人の間を歩く。
舞踏会といっしょよ。
こみ合った通りでぶつからないようにステップを踏んでいく。
「うわ!」
「いてえじゃねえか!」
「ちょっと!避けなさいよ!」
「すまねえ!!悪い!」
後ろで騒ぎが聞こえる。騒ぎは段々私の背後に迫っているようだ。
ザック、まさかあなた、人を避けずに進んでいるの?
気になって振り返ろうとした時、腕をガッと掴まれた。
「やっと……、やっと追いついたぜ」
ザックだ。
私の腕を逃がすまいと捕らえている。
腕を抜こうと動かしてみたけど、びくともしない。
「ザック……離して」
「嫌だ。離さない」
来た時は、彼と繋がっていることがあんなにも嬉しかったのに。
今はもう、こんなにも惨めだ。
だからお願い。私にこれ以上、熱を与えないで。
「一人で歩きたいのよ。あなたは、私の後ろを歩きなさい!」
「エイラ、何怒ってるんだ!俺が何かしたのか?」
「何も!いいから離して!」
「嫌だ!」
「どうして!!」
私を愛さない癖に。
ザックは叫んだ。
「んなもん、好きだからだよ!!!」
「え……」
ザックが私の腕を力強く引き寄せる。
よろけながらも、次の瞬間には、私はザックの腕の中にいた。