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・・・・・出会い、ふれあい・・・・・・

 


 人は心が満される時に幸せを感じ、

 心が空虚である時は欲望に目覚める。

 夢を描くより愛を描ける時代・・・・・。

 古代の人類は幸福の姿を知っていた。

 後戻りは出来ない、しかし、学び取る事は簡単だ。

 彼女は日本列島の先住民だった。


 1956年

 私が彼女の存在を知ったのは小学校6年生の春だった。

 父の転勤で北国の札幌と言う街に転校になった。母が手続きを済ませ明日から登校だと言う前日の事だった。私は手持ち無沙汰を持余し、始めて見る土地の散策に余念が無かった。

「あそこに居るのは・・女の子・・」

 学校への道を辿って、最初に渡る橋の袂に人影を見つけた。しかし、対岸である為にはっきりとは確認できなかった。

「あれは同じ頃の歳の女の子・・・」

 なぜか気になって確かめたくなった。

 近づくにつれて風体がはっきりと見て取れるようになってきた。

「同い年の・・・彼女は・・・・妖精?」

 自分の目に映っている人影が、まるで今にも空に舞い上がりそうに見えた。その人影には重力が働いている事が嘘の様に軽やかに、そして、清らかな雰囲気を醸し出しているのであった。そして、心の目で見る事が可能なほどに、その少女の存在が際立っているのであった。


  ・・・・・・・出会い・・・・・・


「あの・・・少し聞いてもいいですか?」

 信一は我を忘れた様に、ただ問い掛けの言葉を発していた。それは、目の前に存在する得体の知れない、崇高な光に導かれるようであった。

「はい・・・・」

 少女は振り向きながら信一に答えた。

 その瞬間、魚達が川面に跳ねる姿が重なって見えた。

「・・・・・・」

 信一はその光景に心を奪われ呆然と立ち尽くし金縛りの様に身動きの自由を奪われていた。

「あの魚たちは今はこの辺りがお気に入りのようですわ」

「はい・・・」

「いつもは、もっと上流で虫を食べているのですけれど」

「はい・・・」

 目の前の川の流れは雪解け水を伴って勢いを増していた。しかし、彼女が指差す所だけは何故か穏やかに時間が流れているかのようだった。

「あなたは魚と話せるのですか」

 信一は、その問いかけに奇妙さを覚えたが自然に口を衝いた。

「出来ません・・彼らの心は判ります」

「え・・・」

「彼らは春が来た事を喜んでいるのです」

 少女の返答も奇妙だった。あたかも川面の魚達が友人でもあるかのように話すのである。

 太陽の光は眩しくきらきらと川面の飛沫を照らした。雪解け水は透明度が高く不純物が少ないので青く光って見える。そして、この流れは春を継げる魚達の合図にもなっている。回遊魚が川を遡上するのは海に雪解けの水で道が作られるからなのだった。

「もうすぐカムイチップが戻ってくるのですよ」

「はい・・・」

 信一は思いもよらない展開に我を忘れかけていた。

 そして、じっと少女の瞳に食い入るばかりだった。

「どうかされました・・」

 不思議そうに少女は問いかけた。

 何とか我に返った信一だったが頭の中は整理がつかない状態の儘だった。

「えー・・と・・君の名前は・・・」

 信一は少女を見つめたままだった。

「亮子と申します」

 軽く会釈しながら答えるしぐさは優雅に見えた。

「僕は信一・・えーっと・・・」

 信一は亮子の持つ雰囲気に飲み込まれた。

「お魚が好きですか?」

「はい・・」

  ・・・・・・・・・

「お嬢様・・・」

 亮子を呼ぶ声が何処からとも無く聞こえた。

「ごめんなさい、もう家に帰らないといけないのです。」

「またお会いできると嬉しいですわ」

 ・・・・・・とまた軽く会釈をして少女は居なくなった。

 思えば既に日が傾いて夕刻が迫っている様子が感じられた。




・・・・・・・ふれあい・・・・・・・・・


 少女の姿が見えなくなると信一は直に正気に戻った。

「あれは・・」

 信一は首を捻りながら家路に着いた。

「ただいま・・・」

「信ちゃん・・今日はお父さん遅いからお風呂ね・・」

「はーい」

 信一の母は段取り良く家事を早く切り上げる為に準備していた。

 風呂が先なのは食事の後に寛ぐ時間を多く取るためだった。

 信一の風呂の時間はいつも短かった。

「ご飯まだ・・」

「はいはい・・母さんと食べましょうね」

 信一は濡れた髪を肌蹴させ辺りに水滴を撒き散らしていた。

「だめでしょ・・」

 いつもの一撃が信一を襲っていた。

 食事の後は母に急かされ早めに寝床に入り昼間の少女の事を思い出していた。

 母は趣味の小唄に興じる時間が欲しかったのである。

 信一は母の歌声を子守唄に星空を眺めながら、ひたすら今日の出来事を思い起こしていた。思い起こせば、その出来事が余りにも夢の中の出来事のようで信一は現実と夢の狭間を彷徨っていた。

 次の朝、信一は父の声で目を覚ました。

「信一・・朝ごはんだぞー・・・」

 札幌に来てからは父が朝の声だった。

 仕事の都合で転校を余儀なくされた息子に心を尽くしての事だった。

「早く食べないと学校に遅れるぞ・・」

「初日から遅刻なんて有り得ないだろ・・」

 信一は母が用意してくれていた洋服に着替え直ぐに食卓に向かった。

「父さん・・あのね・・・」

「いきなり・・あのね・・じゃなくて・・おはよう・・でしょ」

 信一は夕べから昨日の少女の事が頭から離れなかった。

「おはよう・・それで・・昨日さ・・」

「慌てないで・・落ち着いて話しなさい」

「人間じゃ無い様な女の子に会ったんだ・・」

 昨日の奇妙な出来事が現実であると父に話したかった。

「人間じゃ無いないなら・・女の子でも無いだろ・・」

「それが・・姿は本当に綺麗な女の子なんだ」

 信一の空想好きは父も母も周知の事だった。

「何処かで・・昼寝でもしていたんだろ・・・」

「あのね・・」

「早く食べてしまわないと学校に遅れるわよ・・」

「担任の先生にちゃんと挨拶するんですよ・・・」

 母が父との会話を断ち切ろうと現実に戻した。

 信一は母の命令には逆らえなかった母が怒った時の怖さを知っていたからだ。その為、そそくさと朝食を済ませては学校に行く準備を始めた。

「行ってきまーす・・」

 信一は母に見送られながら登校したが、頭の中には昨日の出来事でいっぱいだった。

 学校に着いた信一は、すぐさま担任の先生の所へ向かった。

「おはようございます。」

「山本信一です・・よろしくお願いします。」

 担任は中年の背の高い女性の先生だった。

「ちゃんとご挨拶が出来て大変よろしい。」

「じゃ・・君のクラスに向かいましょうか・・」

 そそくさと先生は自分の受け持つ教室へ向かった。

 信一は早足の先生の後を小走りに付いていった。

「起立・・・」

「礼・・」

「着席・・」

 先生はおもむろにチョークを取り黒板に信一の名前を書いた。

「山本 信一君です・・東京の学校から転校になりました。」

・・・・・・

「ご挨拶・・」

 信一はぼーっと立ったままだった。

「山本 信一です。よろしくお願いします。」

「信一君の席はあそこの空いている席ね・・」

 信一が先生の指差す方を見る、とそこには昨日の少女の姿が有った。そう亮子も同じ学校の同じ学年だったのだ。そして、亮子も昨年の暮れに、この学校へ転校して来たばかりだったのであった。

 亮子は信一が席に向かって歩いて来るのを見て、やはり信一に向かって軽く会釈するのだった。そして、信一の目には再び亮子の姿が妖精の光に包まれた様に映るのだった。

 信一は亮子に会釈した。

「よろしく・・お願いします。」

 周りの男子たちは亮子に会釈する信一を囃し立てたが先生が直に窘めた。

「はい・・・では皆んな仲良くしましょうね・・・信一君は北海道が初めてだから親切に教えてあげる事・・」

 信一の隣は亮子だったが周りにはクラスのやんちゃ坊主が取巻いていた。誰でも受け入れる信一はそんな連中とも直に打ち解けたが、心の中は亮子の事で一杯であり他の事には気が回らない状態が続いていた。

 当の亮子の方は何時も一人で居る事が多かった。それは亮子がアイヌの娘である事を彼女自身も隠そうとはしなかった為なのであった。

 亮子の両親は今は誉れ高い天野陸軍中佐の家柄であるのだが、それは父親が戦争中に自分の命も顧みず中佐を助け戦死してしまった恩義を忘れ得ないからであり。その後、亮子の母親も病気で亡くなった事で中佐は自分の娘として育てたいと養子として迎え入れたからであった。だから、亮子は良家の家柄にも関わらず、触れては成らないアイヌの血筋を持っている事で複雑な心情を持たずに居られない存在なのだった。

 かと言って、東京から転校してきた信一にはアイヌが何者かも知る由も無く、かえって興味を引く事項が増えたに過ぎないのであった。そして、亮子の方も普通の女子として接してくれる信一が特別な存在に成り始めているのであった。

「信ちゃん・・校門の所で待ってるからね・・」

 こうして信一と亮子の距離は何時しか近づいて行ったのであった。


・・・・・・放課後の風景・・・・・・

「信ちゃん・・・」

「おう・・・・・・・」

 通学路が殆ど同じ二人は登下校の時間を一緒に過ごした。

b校門の所で待っている亮子の姿は今や学校で知らない者は居ない程であったが、その事を大げさに嗾ける者も居なかった。東京の男子とアイヌの女子の話として噂されるに過ぎなかったのである。

「もうすぐ・・桜が咲くね・・・」

「うん・・・・・」

 信一は亮子の問い掛けに何時も生返事を返していた。亮子の存在は、それだけで信一を至福の時間へと導いてくれる物だった。

声、香り、姿、全てが信一の五感を満たす時、時間は永遠に止まり思考能力に支障をきたした。亮子にとって、そんな信一がとても大切な存在に思えてくるのであった。

「信ちゃん・・・また明日ね・・・」

「うん・・・・」

 帰途に着く橋の袂が別れの場所だった。

 信一は亮子の姿が見えなくなるまで橋の袂で佇んでいた。もう既に、信一の心の回路は亮子と言うアイヌの女性を中心に回り始めていたのかもしれない。

 

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