見つめあい
少しづつ近づく二人の距離・・・・
北海道の春は遅い・・・・。
4月の新学期が始まる頃は未だ肌寒く,桜が咲く5月前後にやっと気温は春らしくなる。そして、若葉が街中を埋め尽くす頃にはライラックの花が彩りを添え、短い春と初夏を思わせる気候が重なり合って爽やかな風が吹き抜ける日々が訪れるのである。
「おはよう・・・信ちゃん・・・」
「おう・・・亮・・・・」
いつも待ち合わせる橋の袂は初夏の香りに満ちていた。
そして、亮子は命の輝きが躍動する、この時期が好きだった。
北国に暮らす人々にとって春は特別な意味を持ってやってくる。特にアイヌ神揺の伝承者として母に育てられた亮子には芽吹きや、土の香りが何を意味しアイヌの暮らしにどう関わっているかが手に取るように見えるのだった。
「運動会は頑張ってね・・・」
五月の下旬は運動会の時期でもあった。
信一の母は何時も海苔巻きを作って応援に駆けつけていたが、今年の信一には母の海苔巻きより亮子の声援が楽しみだった。
「そうだね・・・」
信一は川の上流へ視線を走らせて五月の風景を亮子の背中に被せて見ていた。遠くの山の稜線には残雪が白く覆っていて北国の風景を演出していた。
「私・・走るの得意なの・・・」
「僕は苦手・・・」
突然、亮子が・・・
「あ・・・蝉が鳴いているわ・・・」
信一の耳には脇を流れる川の音しか聞こえなかった。
しかし、この季節を熟知している亮子には確かに季節の声が聞こえるのであった。
「馬鹿な・・蝉が居るわけ無いでしょ・・」
東京には春蝉は居なかったので仕方が無かった。北国では、気候が温暖になり鳥たちが子育てを始める頃に彼らの鳴き声が聞こえるのが、特別な風情なのであった。
「向こうの山の方で鳴いているのよ・・」
「へー・・・」
「放課後に行って見ましょう。」
「う・・・うん・・・・」
信一には春蝉の事など関心は無かった、亮子と居る時間だけが嬉しかったのである。
「東京には蝉が居ないの・・・」
「居るけど・・蝉が鳴き出すと煩いんだ・・・」
「そうなんだ・・・・北海道の蝉は話しかけるんだよ・・・」
亮子は森の生き物たちの話を信一に聞かせ続けた。
しかし、信一の耳には何も届いては無かった。
そして、その日は何事もなく過ぎて行き・・・・・放課後がやって来た。
・・・・放課後の校門・・・・・
「信ちゃん・・・」
亮子は何時もの校門の前で信一を待っていた。
「ほら・・森に行く約束でしょ・・」
「う・・うん・・」
「家とは反対側だけど遠くはないの・・・」
学校から藻岩山と言う原生保護林までは2キロ位の距離だった。
既に、亮子は早足で歩き出していた、その速度はとても速く信一は遅れまいと小走りに追いかけなければならない程だった。
「走るの得意なんだ・・」
「そうだよ・・でも・・蝦夷鹿には負けるけのよ・・」
「蝦夷・・・なんですか・・・」
その為、見る見る山は近づいた。
「はぁ・・・はぁ・・」
「ほら・・蝉が鳴いているでしょ・・」
「鶯も囀っている・・・」
原生林は若葉の香りに満ち溢れていた。
木漏れ日に抱かれる様に二人の姿は森の中に溶け込んで行った。
「なんか・・・こんなの・・・始めてかも・・」
信一は大きく深呼吸をして森の囁きを感じていた。
そよ風が木々を渡り、鳥たちが懸命に囀り続けている。
そして、春蝉は休憩を挟みながら仲良く鳴きあっていた。
「春蝉・・・居るでしょ・・・」
「う・・・うん・・・」
「あそこに居るのはシジュウカラ・・あそこには赤ゲラ・・・」
「はら・・・ヤマリスさん達も子供が出来たのね・・・」
亮子の表情は何時もより眩しかった。
その表情は正に森の妖精である様にも感じられたのだった。
「あのさ・・・」
信一は亮子に心を全て奪われた様に放心状態に陥っていた。
そして、亮子が言う侭に彼女の後を突いて歩いているのであった。
全ては夢の中の出来事のように過ぎ去って気が付いた時は何時もの橋の袂に戻っていた。
「じゃ・・信ちゃん・・また明日ね・・」
「う・・・うん・・・・」
信一はその日から暫くの間、夢から覚める事が無かった。
あの森の中の亮子の姿が何時も信一の脳裏を駆け巡っていたのであった。
そう突然振り返って・・・・・
「ね・・・クマゲラの巣に雛が居るようだわ・・」
と・・・優雅に気高く話しかける亮子の瞳は信一を悩殺するに十分すぎたのだ。
次々に信一を襲うこの現象がどれだけ続いたのだろう。季節は既に夏本番となり子育てで賑やかだった森も落ち着きを取り戻し、濃い緑に変わった木漏れ日には春蝉の変わりに蝦夷蝉が遠慮がちに羽音を響かせていた。
そんなある日の放課後、信一は何時もの様に校門で亮子の姿を探した。
「亮・・・・・どうした・・・・具合でも悪いのか・・・・」
亮子は伏せ目がちに呟いた。
「だって・・・もうすぐ・・夏休み・・・」
「分かってる・・・後1週間ぐらいだろ・・・それが・・・」
亮子は今度は少し顔を赤らめながら呟いた。
「夏休みに成ると毎日は会えなくなるでしょ・・・」
「どうして・・・・」
「だって・・お父様が習い事や旅行だのって何時も一緒だから・・」
亮子の義父は陸軍中佐らしく教養のある人格を望んでいたのであった。それ故、亮子の成績は学年でも何時もトップの仲間に入っていたし、立居振る舞いから話し言葉まで非の打ち所がなかった。
「亮子は大変なんだな・・・僕なんか誰も構ってくれないから・・・何時でも・・暇人・・・」
「なんか・・・いい方法は無い物か・・・」
夏休みの期間は4週間で中間に臨海学校が3泊4日の日程で予定されていた。しかし、亮子との接点は何処にも無く二人で過ごす理由は見つからなかった。この期間をどう過ごすかが二人の1週間の宿題となった。




