第15話「最終決戦~長安の戦い」
ドゴォーン! ドゴォーン!
「夜間にも関わらず投石! 投石! 城壁が崩れます!」
秋の雨が続くある日の濃紺がかった夜明け前。雨が止んだ瞬間を狙い、長安の拠点となる城に、大きな音が何度も鳴り響いた。
やがて、城が崩壊する音、怯える女性兵たちの嘆き声が遠くに聞こえるようだ。
「城壁の中が赤い……血だぁ! 漢王室の血の涙だぁ……!」
「神子が言うとおり、呪われていたのよ……!」
メガホンを耳にあて、地獄耳のボクが敵情を軍師たちに報告する。
「鳳蓮の策略通り、敵兵は戸惑いを隠せないようじゃのぅ。ニシシ……」
「ふふふ……そりゃそうでしょう。こんな攻城兵器はありませんよぉ……夜明けで狙いが定まらない中だというのに、雨で多少濡れている事も対策済みの上、本来は無茶であり得ない飛距離。完璧に敵の城壁を崩し、中からはまさかの血の色がっ! 提案はボクでも、素晴らしいのは緻密な計算をやり遂げた馬謖さんです!」
「へーん。さっすがー僕ぅ~。でも、アンタのアイディアのおかげもあるわよ! それにしても、濡れると赤くなる塗料をシロアリに運ばせておいて崩れた時に中から見せようだなんて、なんて"妖術師"なのかしら」
「演出は大事ですからね? シロアリの物理化学をふんだんに応用しました」
「ぶつりかがく?」
「いえ、何でもありません。夜も明けて来ましたが夜襲ですよっ! 馬謖さんは明るくなったら物見櫓から来る暗号文の解読に回ってください!」
「もっちろんよーっ! アンタも、しっかりやりなさいよね」
「これだけ綿密に敷いた策です。失敗させるモノですかっ! さあて! 大急ぎで最終局面に行きますよっ! 魏延さんも準備はよいですかっ!」
「任せておれ。怪しい弟子殿よ……!」
「怪しくて結構……! 銀翼の二鳳、鳳蓮……いざ参る!」
*司馬懿*
バカなバカなバカなっ!
夜明け前の騒音で私は飛び起きた。
こんな手元も覚束ない時間に攻城兵器なぞ、定石外れも良いところ……戦ならありえん策なのに……!
火計を目論むにしろなんにしろ、雨の時期には兵糧の輸送が鈍るのだから、ハッタリに引っかからず堪え忍べば蜀軍は退却すると踏んでいたのが間違いだったか……!
「あの阿呆の娘が……! 一か八か仕掛けてくれたな……!」
しかし、城壁は頑丈。雨期でも石に耐えられる事は実証済みなのだ。その上、たとえ通常の範囲外からの固定型投石機であっても、そんなに容易く崩れ落ちる筈がない……。状況判断の為に、夜明け前の雨上がりで濡れた道を、なんとか馬で駆ける。
「なんだこれは……!」
夜明けのぼんやりとした景色の中、緊急事態の鐘が鳴り続ける。明けていく空の下、内部から真っ赤に染まった城壁の痕が見え始める。そして、シロアリの群……!?
内部から食い破られていたと言うのか……! 防水対策でなく、虫対策が甘かったとは……!
一方で、壊れた城門の向こうで敵襲の太鼓が鳴り響く中、早々に逃げまどう我が魏軍兵の群が……!
「バカなっ! 逃げるなっ! 戦え戦え!」
「妖術師の言うとおり、魏軍は呪われているのです……! 城壁の中からこの血の海……恐ろしすぎます!」
「司馬一族の裏切りは今日の為ですか……! 我々は従えません……!」
「くそうっ!」
女兵が恐怖状態に陥り指示に従わない……。我が一族が裏切るというのは、五丈原でインチキ神子の娘が流していた法螺話だ……。あの時は耐えられたというに、この惨状を前にして士気に影響してしまったか……!
横から下げた青い三つ編みを乱暴に触り考える。どんなに我が軍が人数で圧倒しようと、防御は破られ士気は壊滅的……どんでん返しの策などあるワケがない……!
ぐぅっ! 血が出るほどに唇を噛む……。
「長安はもう取り返しがつかない大失敗だ……! 首都、洛陽へ逃げるぞっ!」
そうして、長安を失うという大敗を喫した私は、数日かけて洛陽を目指す事になってしまった……。
おのれぇ……あのインチキ神子……ハッタリ妖女め……っ!
*
魏軍の守りが固い東門より逃げる我ら。兵の数は五百。斥候、しんがり、精鋭の重装騎馬隊。それだけ揃えば、泥沼の中で敵に追いつかれても洛陽まで凌ぐ事は出来よう。
遠くで、蜀軍の物見櫓が怪しげな鐘を奏で、木造の木が絡繰りのように形どる。しかし、我が軍の数日の調査でその動きは規則性があるようでいて、実はデタラメだと分かっている。祈祷に見せかけつつ暗号にも見せかける、つまりはあの神子得意のハッタリなのだ。万が一にも木の絡繰りが暗号を送ろうとも、櫓同士は遠く、このような悪天候で見えるワケがない。つまり目視の伝令や早馬よりも我らの騎馬の方が速度は上っ!
それ以前にこの雨上がり。敵とて歩みも遅く、そしてこれから向かうは敵の隊が居ない事を斥候で確認済みの谷。あのハッタリ神子の裏の裏をかいてやったのだ。充分の広さの道で、敵も兵の数も揃えられない環境ならば、逃げきれる……!
「司馬懿将軍! 再確認しましたがこの先の谷に敵影ありません……! 突破可能です!」
「歩兵斥候部隊より、崖上はぬかるみが激しく登れませんが、下からの検分では敵影なし! 登坂の形跡もございません!」
司馬懿は雨に濡れるそそり立つ崖を見上げる。
ふむ……この大雨直後の中、滑落の危険を犯してまであの切り立った崖上に伏兵を配置するなど不可能。仮に登れたとて、雨露に濡れて弓も火も使えまい……!
「よし……突撃だ! 谷を抜けるぞ!」
もう片方の退路には、赤兎馬を控えた軍神関羽が軍を構えているという。熟練の斥候が言うのだから間違いない。急いでこちらに駆けつけられる距離ではない!
などと考えている間に、大きな雷のような爆撃。目の前には土砂崩れが……!
この都合の悪い時に斥候部隊と分断された……!?
そこを狙ったように矢の雨が……いや、一直線だと……!
「ぐわぁっ!」
騎馬の女性兵が倒れる。風下であるはず崖から矢が重装すら貫く……!? なんだあの化け物みたいな弓は!? いや、直線の連弩……!?
「伏兵だ! 退け! ひけぇ!」
叫ぶ。だが私の背後からも声が上がった。その絶望の声は……。
「我が名は魏延! 魏の精鋭部隊よ、我が相手だ!」
その兵たちの手には見たこともない異様なとげのある球体……。重装騎馬すらも相手にならない様子。
「魏延の部隊だと……!? 貴様ぁ、南門に居たはずでは……!」
「怪しい弟子殿が開発した、物見櫓の暗号技術を受けて大急ぎで来ただけの事! ご立派な長安の石畳は雨でも走りやすかったものよ!」
「ば、バカなぁ……!」
*鳳蓮*
「ふーっはっはっはっ! ふははのはっ! 我が才は常に数手先をゆくのだぁ! とぉうっ!」
崖上の指示は龐統に任せ。次々と破れる司馬懿の精鋭を目の前に、ボク叫びながら、崖の上から簡易滑車付きの縄をしゅるると伝って降りる。
「おのれハッタリ妖女ぉ……っ! どうやって崖の上に……!」
「大雨の中なら物見の斥候は絶対に来ない。予め、隠密部隊を待機させておいたのです。ボクの作った滑車って濡れていてもすごく上りやすいんですよぉ~? 土砂崩れも上手くいってよかったです~」
退路を完全に断つ壁ほどの威力にまではならなかったが、歩兵ならやっと通れるという土砂の山を背に、ボクは先にいる司馬懿に向く。
「街亭の時の妖術か……! しかし、なぜこちらに来ると読めた……!? どうやってこの規模の土砂崩れを一気に起こせた……!?」
「不思議そうな顔ですねぇ。絶望も相まって良い表情です……。関羽殿の方こそが囮。わざと怪しいこの谷を、防水処理を施した火薬にて土砂崩れを起こせる場所を、貴女との最期の場所に選ばせていただきましたよぉ……? 司馬懿ちゃん……?」
「この規模のカヤク……? だと……ハッタリ妖女ぉ……! 貴様ぁっ! くぅ、兵力が分散されているのならば、雨の前に、居ると知っていた関羽の部隊くらい倒しておけば……! いや、しかしそれも陽動の可能性もあり……そもそも投石機が目の前で準備されていて……」
揺らしていた大きな三つ編みが、ふと肩から落ちる。彼女は興奮から途端に青ざめ、絶望した顔になった。
「そう。気づいたようですねぇ。貴女は慎重すぎるがゆえに、差し迫った理由が無ければ物見の兵を差し向けるだけ。確信なく動かない。なぜなら、頑丈な長安の城があるのだから。持久戦なら勝てるのだから。貴女にに一番足りないのは、判断が怪しい時に一か八かの賭けに出る……覚悟だっ!」
「うわぁああああ!!!」
魏軍兵も谷上からの連弩で壊滅的な中、司馬懿は精一杯の矢を振り絞りボクに射る。しかし……。
「当たらない当たらない……っ! 軍師程度の力じゃあ、ボクには敵いませんよ?」
「なんだと……妖術使いの分際で……! 策だけでなく武術でもこの私に勝とうと言うのか……!」
「ボクはずっと、勉学と共に武術も嗜んでおりました。故に、一人の軍師としては司馬懿ちゃんに敵わないという欠点も生まれましたが……火計の陽動作戦を思いついた龐統師匠。画期的な投石機をハッタリにも使おうと思ったのはボク。裏方で暗号を作った馬謖さん。そして、なにより……」
そしてボクは耳飾りをわざと触り、冷静になる。
「ボクの裏には、千手先を読む諸葛亮先生が居ますからね……? 司馬懿ちゃん……貴女は『チーム』の信頼に負けたのですよ」
「しょ、諸葛亮……!? 『ちぃむ』とはなんだ……!? 死んだはずでは……! 一年も前に……! 密かに火葬まで行われたのは、一年も掛けた謀略であったというのかぁ……」
苦しそうに言葉がかすれる。しかし、その驚き顔がさらに見開かれた。退路がほとんど塞がれた道の向こうに現れたのは、豪華な馬車。予め先周りしていた諸葛亮であった。
「諸葛亮……なぜ道の先に居るぅ……! そ、それもハッタリ妖女の伝令技術か……!」
「司馬懿ちゃんの言うとおり、物見櫓同士で西方の望遠硝子も用いた遠距離通信はこの戦で利用していますよ? しかし、ここに居る諸葛亮先生は……」
「司馬懿。伝令なぞなくとも、貴女ならわざとがら空きに見せかけたこの道を選ぶに決まってるいると、わたしは読んでおりました。だから、ずっと前から準備して待っていたのです」
「バカな……」
ただ、彼女たちはそれを言うのがやっとの声であった。声にならない息ばかりが漏れる。
「貴女は鳳蓮さんを『ハッタリ妖女』と呼び、甘く見過ぎましたね……? 来歴を調べすぎた結果、奇策妖術を使う軍師ではあるが、阿呆の娘と侮った。だから、"慎重にさえ"相手すれば勝てると思い込んでしまった。危険性を避け完璧に拘るが故の過ちですね。兵法を学び直すと良いでしょう。わたしが手伝うまでもなく、貴女は鳳蓮さんに負けていましたよ」
「ぐぁあああああ!!!」
ドロドロの地面に手を叩きつけて嘆く彼女。泥が頬にはねてみっともなく哀れで……ボクの心をゾクゾクとさせる……。
司馬懿軍の兵は完膚無きまでに壊滅させた。司馬懿だけを生け捕りに、ボクらの完全勝利となった。
だが、ボクは心のどこかで……物足りなさを感じていた。




